8-2 聞きたいことが・・・って、あれ?
着替えが終わりどうしようかと思っていたら、お父様が来てくれました。
私を抱き上げたお父様を見て、おばあさまが目を丸くしました。
が、眉間にしわがより、厳しい目をしました。
「セルジアス、もしかして、セリアテスは歩けなくなってしまったの?」
「いえ、母上。筋力が落ちてしばらくは動くのに不自由するだけです。なので1階に抱いて連れて行きます」
それで、3人で居間に行ったら、おじいさまにも同じことを聞かれました。
今日は6人での朝食です。
うん。今日のご飯もおいしいです。
あ、ご飯はないですね。
パンですもの。
今朝はフワフワのオムレツです。
いやん。チーズ入りです。切り口からトロトロのチーズが出てきます。
もう、最高です。
添えらせたカブ?の酢漬けが絶妙です。
ベーコン?をカリカリに焼いたものまであるなんて。
幸せです。
うふふっ、また初めての果物が出てきました。
これは、もしかして、もしかしなくても、イチゴ、ですか。
でも・・・これも大きいです。
なんで、15センチもあるのよ。
まさか、イチゴをナイフとフォークで食べるとは思わなかったわ。
食事が終わるとお父様とお母様、おじいさま、おばあさまは別の部屋に行かれました。
事情説明ですね。
私はお兄様に見守られながら、居間へと移動しました。
壁伝いなら何とか行けるようです。
昨日もそうでしたが、少し長い距離を歩くと足がガクガクしてきます。
ほんと、なんでこんなに筋力が落ちているんだろう。
居間に落ち着くとお兄様とお話をしました。
「お兄様、教えていただきたいことがあります」
「なあに、セリア」
「フォングラム公爵家のことを教えてください」
「うちのこと?」
「はい。みんなの名前は聞いたけど・・・。あれ?おじいさまとおばあさまの名前を聞いていません」
「ああ、そうだね。言ってないね。ごめん、ごめん」
「謝らないでください、お兄様。お兄様のせいではないのですもの」
「うん。じゃあ、おじいさまの名前から。おじいさまはリチャード・ヴェンデル・フォングラム。おばあさまのお名前はセレネ・フォングラムだよ」
「みんなの歳をまだ、知らないのですが」
「えーと、セリアの歳は言ったっけ?」
「はい。7歳と聞いてます。お兄様は私の3歳上の10歳ですよね」
「うん。父上は33歳。母上が31歳。おじいさまはちょうど60歳だったとおもうよ。おばあさまが54歳かな」
「えーと、じゃあ、アルンスト侯爵家の叔父様と叔母様は?」
「お二人は同い年でね、たしか30歳だよ」
「あと、他国に嫁がれた伯母様がいるのですよね」
「あー、カテリア伯母様だね。伯母様は父上より二つ上だから、35歳かな」
「カテリア伯母様の子供は?」
「う~ん・・・これは、まだ教えない方がいいかな」
「お兄様?」
「会ってからのお楽しみにしようよ」
「でも、いつ会えるかわかりませんよね」
「大丈夫。そんなに待たないですむとおもうよ」
「?」
「今頃、こっちに向かっているはずだから」
「・・・私のため?」
「うん」
「・・・・・」
おもわず黙ってしまいました。
お兄様が私の目をのぞき込むように見てきました。
「セ~リア。何考えてるかな~」
「・・・わざわざ来てもらうなんて悪いな~っと」
お兄様が軽く額を小突きました。
「そんなことあるわけないでしょ」
「でも~」
「というより、良い口実が出来たとばかりに馬車を走らせてるんじゃないかな」
「えっ?」
「普通、他国に嫁ぐと滅多に帰れないんだけど、あの人は年に一回は帰ってくるから」
「は、い?」
「うん。理由が理由だから、キャバリエ公爵も一緒に来るみたいだし」
「キャバリエ公爵?」
「そう伯母様が嫁がれた家だよ」
「えーと、えーと」
「ちょっと待ってね」
お兄様が紙と鉛筆を持ってきました。
そして、紙に簡単な地図を書いてくれたけど・・・。
えっ、えっ、なんで?
鉛筆があるの。
間違えた線を消すのに使ったのは、もしかしなくても消しゴムだよね。
えー、たしか彼女が調べた鉛筆の歴史って、かなり近代だったよね。
その、彼女が使っていたのと、同じようなのが出来たのは、あの世界でも本当にここ150年くらいだったはずよ。
この世界にあっていいものなの。
それに、自然に受け入れていたけど、お風呂に水洗トイレって。
時代的におかしくない?
どうしよう。
なんか、アラクラーダの神子のことがわかっちゃったかも。
アラクラーダの神子って呼ばれた人って何人かいたわよね。
それで、いろいろな事を伝えた、と。
それが国の発展につながった・・・。
な~んだ。
アラクラーダの神子って、あの世界の記憶持ちじゃん。
と、いうことは!
うふふふっふ。
70話です。
さて、今話は、セリアちゃんが、アラクラーダの神子について気がついたね!
と、言う回でした。
それから、補足というか、説明を。
鉛筆についてですが、鉛筆は今から400年ほど前に黒鉛が見つかったことによりできました。その頃は木や金属で作った軸の先に、黒鉛の塊を詰めるものだったそうです。
2枚の細長い木の板の間に、芯となる細長い黒鉛の棒をはさんで固定した、現代のように削って使用する鉛筆は、1616年までに発明されました。
鉛筆が普及し、黒鉛が不足すると、黒鉛を節約し、黒鉛くずも活用する方法が考えられました。
1795年にフランスで、黒鉛と粘土を混ぜて焼いて作るという、現在と同じしくみの芯が開発されました。
更に、粘土の量によって芯の硬さや書く文字の色の濃さも変化させることができるようになり、鉛筆は必要に応じて硬度別に生産されるようになったそうです。
1839年、ドイツで現在と同様の六角形の鉛筆を開発すると共に、鉛筆の長さや太さ、硬さの基準が設けられました。
1870年代までは、鉛筆の芯は四角のままでした。また、19世紀中ごろまでは、鉛筆の形も八角形のものが主流で、外見は17世紀のものからほとんど変化はありませんでした。
基準が定められたのち、19世紀末までには、鉛筆の形は円、六角形または三角形になり、芯も丸くなりました。八角形で芯が四角いものは、工程上芯が中央からずれる場合があり、その場合鉛筆削りではうまく削れなかったので、しだいに消えていき、三角形のものは製造工程の都合上安価にできず、あまり普及しなかったそうです。
消しゴムは1770年に、イギリスで発明されました(それまでは古くなったパンが使われていました)。
ついでに、徳川家康や、伊達政宗も、芯を詰める鉛筆を持っていたそうです。
おまけのミニ知識でした。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
では、次話で。




