プロローグ
「フィリア様・・・ですか?」
思わずサエは復唱した。
’赤獅子の盾’という言葉がこの国にはある。
この世界で生まれた子供は自我が確立するまでの間、悪意ある全ての接触を無力化する殻をもつ。この殻は実際は魔力の膜であり目には見えず触れることもできないが、この殻をまとっていると乳飲み子であっても攻撃は遮られ毒さえも効くことはない。最強の盾は赤子が持つという意味だ。故に最強の獣と言われる獅子に、赤子という言葉を懸けて赤獅子の盾である。
つまり、先程生まれたばかりのフィリアは今まさにその殻を持った状態であり何者も彼女を害することはできないはずなのである。
「そう。フィリアよ。」
「それは、フィリア様の殻が割れた後の話でございましょうか。」
そうでなければ一体なんだというのか。サエはサリアの言葉の意味が分からず困惑する。
しかし、サリアはサエの言葉を否定するように首を横に振った。
「いいえ。今すぐにでもお願いしたいの。」
「それは・・」
どういう意味ですかと続く言葉はサリアによって遮られた。
「わからないの。だけど、あの子をこの体に宿したその時からなぜか守らなければいけない気はしていたの。ジーク達の時だって母として守るという気持ちはあったのだけれど、そうじゃないの。その時とは何かが違う。あの子が生まれた瞬間、あぁこの子は誰かが守らなければいけない守らなければ・・生きていけない。そう強く直感したの。」
様子のおかしいサリアに対し、奥様、落ち着いてくださいませ。と傍に控えていた医師が声を上げる。しかしその声が聞こえないかの様にサリアは続ける。
「私には先見の力はないわ。あの子の何が私をここまで不安にさせるのかすらわからない。けれど、恐らくあの子はこの世界で生きていくうえで、何かが決定的に足りないのよ。」
そこまで言って、サリアはハッとしたように口元を押さえ涙を流した。
「私は・・今なんてことを・・・自分の子に」
その様子にサエは一瞬体を硬直させた。普段はあっけんからんとしているサリアがここまで取り乱すのは数十年仕えてきて初めての事だからだ。
サエの動揺を察した医師がすかさずサリアに声を掛けた。
「奥様、出産直後で興奮なされておいでなのですよ。落ち着いて、息を吸いましょう。」
吸って、吐いて、吸って、と医師がサリアを落ち着かせる横でサエも徐々に冷静さを取り戻そうと試みた。
屋敷の中は未だフィリアとサリアに対する祝いの言葉が響いており、この部屋の状況を知る者は少ない。
自分とこの医師以外には数名の若いメイドたちだけのこの空間で、落ち着かなければならないのは自分であるという使命感で己を叱咤した。
そして静かに深呼吸を一度すると、サリアの手を握り優しい口調で語りかけた。
「奥様の御命令とあらばこのサエ、できる限りのことをさせていただきます。ですからどうか今はお眠りくださいませ。」
サエの言葉を聞いたサリアは糸が切れたように意識を飛ばした。
一瞬他のメイドがざわついたが落ち着きを取り戻したサエの牽制によりそれは静められた。
-恐らく、あの子はこの世界で生きていくうえで、何かが決定的に足りないのよ。
その言葉の真意がわかったのは月が替わり、樹の月
フィリアが生まれて5日目の事である。