第4話 調査テーマ
1限目は数学。
我らが1年D組の担任である安曇祥子先生が受け持つ授業である。
安曇先生は美人で優しく、男女問わず人気の高い先生だと噂されている。
確かに、僕から見ても美人で優しく…何より、自然体な感じが好印象。
授業の進め方も、丁寧でありながら切り替えがしっかりしている。
「……」
しかしながら、僕は数学が苦手だ。
あんまり得意な教科というのも無いのだが、中でも数学はすこぶる苦手。
一度ハマってしまうと、抜け出せない感じなんだよね。
「う~ん…。 こうなると、xは4で間違いない筈なんだが」
そうなると、yの方が正しくないこととなり、式が成立しない。
ならば、yの方が正しいと判断すべきか…?
しかし、それはそれで、しっくりこない気がする。
「秀輝くん。 これって、一体どうなってんの?」
僕は仕方なく、隣の席の秀輝くんに助けを求める。
彼はサッと僕のノートに目をやり、ものの数秒で結論を出した。
「計算の順番を間違えていますね。 この括弧の中を先に計算して、
それから2乗するんです」
「…ふ~む」
言われてみれば、そんな気もしてきた。
そうなると、かなり初歩的なミスをしでかしたことになるが…。
僕は早速、改めて計算をやり直してみる。
「…これで合ってる?」
「えぇ。 よく出来ました」
どうにか正解を導き出し、秀輝くんからお褒めの言葉をもらう。
こういったものは、コツさえ掴めば後は何とかなる…。
そんな理屈も分からなくはないのだが、そのコツが掴めないからこそ、
世の学生たちは苦労しているのだ。
「…んっ?」
他の問題の見直しでも始めようかと思った瞬間、視界の隅に何かが
転がり込んできたのを目撃する。
僕は数秒迷った挙げ句、その物体に手を伸ばしてみた。
何処からどう見ても、消しゴムと思われる物体。
僕は転がり込んできた方向から、その持ち主と思わしき人物を推理する。
「これ…新里さんの?」
「う、うん」
僕の右隣、秀輝くんとは対になった位置に座る女の子。
彼女は新里美樹さんといい、高校に入ってからの付き合いだ。
「ありがと…杉山くん」
「どういたしまして」
彼女は恥ずかしそうに微笑みながら、消しゴムを受け取る。
入学以来、ちょくちょく会話は交わしている仲だが、未だに彼女からは
緊張の色が隠せない様子が窺える。
まぁ、僕が人見知りし過ぎない性格なのかもしれないけど。
4限目…社会の時間。
今日は数学、国語、理科と続いてるものだから、少し頭が疲れている。
そろそろ、右脳や体を動かし、生きていることを実感したい気分。
「……」
しかしながら、社会という教科は、別段嫌いというわけでもない。
これまでに人類の歩んで来た歴史は、これからのこの世界の未来を
切り開いていくための鍵と成り得るからである。
古きを知り、新しきを…というやつだ。
「この凪蔵雪宗という武士は、この辺りでは『雪鬼』と呼ばれていてね。
この学校の名前にもなっている『桜雪』という地名にも関係があるんだよ」
社会担当の伊原孝治先生は、細長い輪郭の顔が印象的な初老の男性。
ややのんびりした雰囲気もあるが、授業は分かりやすく、教科書には
載ってない情報なども、こうしてちらほら披露してくれたりする。
中々面白い人だと、僕は思う。
「先生! それって、どういうことですか?」
前方の席の誰かが手を上げ、先生に質問をした。
僕も丁度、同じ疑問を抱いていたところだ。
「まぁ、掻い摘んで話すとね…その雪宗という武士が、この地方にいた
『桜姫』と呼ばれる良家の娘と恋仲になるんだ。 しかし、2人の仲は
大勢の人に反対されてしまってね…ある日、2人は駆け落ちしてしまうんだ」
先生は穏やかな口調で、そんな昔話を語り始めた。
なんか教室内の雰囲気が、何処かの芝居小屋みたいに感じてくる。
「以来、2人は行方知れずとなるんだが…ある時、この地方が
戦火に巻き込まれてしまってね。 故郷の急を聞き付けた雪宗は、
桜姫を残し、1人で駆け付けたんだ」
しっかり聞き入ってくれる生徒もいれば、そうでもない生徒もいるようだ。
4限目という時間的な状況も考慮すれば、既に昼休みを念頭にして
今後の計画を立てている者も少なくないのだろう。
「雪宗は次々と敵を討ち倒していったが、やがて疲れが見え始めた時、
藪に潜んでいた敵の襲撃に遭い、命を落とすんだ。
そこへ、雪宗の身を案じてやって来た桜姫が現れてね…」
それにしても、この話…。
初めて聞くものじゃないかもしれない。
遠い昔、誰かから聞かされたことがあるような…。
「敵は既にその場を去っていたようだが、雪宗の亡骸を見た彼女は
自らその命を絶ち…2人は折り重なる様に、その場に倒れていたそうだ。
…とまぁ、これがこの地方に伝わる、桜雪の地名にちなんだ話だよ」
話を終えた先生が、教科書の文面に目を落とす。
どうやら、授業が再開するらしい。
「……」
ありがちといえばありがちな、悲恋の物語。
しかし何か、心の琴線に触れるものがあった。
『桜姫』と『雪鬼』…か。
気が向いたら、もうちょっと詳しく調べてみようかな。
「では、改めまして…」
放課後となり、僕は昨日と同じく旧校舎の第1美術室へとやって来た。
部室には、既に合計4人のメンバーが揃っている。
僕が空いている椅子に着席すると、部長さんがスッと立ち上がった。
「私は、浅木乃亜。 ミステリーハント部の部長を務めております」
昨日と全く同じ自己紹介を、改めてしてくれる。
僕も、そして恐らく他のメンバー達にも周知の事実だと思われることなので、
これといった反応は見られない。
「…次、あたしだね? あたしは、藤嶺まゆか。 副部長をやってるよん☆
よろしく、期待の新人くん!」
続いて声を上げたのは、ツインテールと呼ばれる髪型をした
いかにも元気がありそうな女子生徒。
彼女が手を差し出してきたので、しかと握手してみせる。
「俺は、藤嶺彰浩。 あんま似てないが、こいつとは兄妹ってことになる。
ま…楽しくやろうぜ」
次に口を開いたのは、細身で中世的な顔立ちの男子生徒。
ニヤリと不適な笑みを浮かべながら、僕を見てくる。
一見すると、軽薄そうな印象にも思えるが…。
「んっと…僕は、枕井奏健っていうんだ。 変な名前だけど、よろしく」
最後に名乗りを上げたのは、小さな目が印象的な男子生徒。
体格からしても話し方からしても、あまり活発そうな感じではない。
まくらい、そうけん…? 確かに、変わった名前かもしれない。
「さて、一通り自己紹介も終わったところで…今日はまず、
新しいテーマを決めたいと思います」
僕が部員たちそれぞれの名前と顔の合致を再確認している最中、
部長さんが全員を見渡して言い放った。
まだ再確認は終わってないが、ひとまず思考を切り替える。
「この部活では、基本的に最低1つの調査テーマを決めており、それを
部員たちが調べ上げていくという体制を執っています」
部長さんが僕1人に視線を向け、言葉を続ける。
恐らく、他のメンバー達には周知の事実なのだろう。
「しかしその一方で、決められたテーマとは無関係なことを
調査していても、特に問題はありません」
「えっ…?」
更に付け加えられた言葉を聞いて、僕はちょっと首を傾げる。
そんな自由奔放な体制で、果たして大丈夫なんだろうか。
「人間、興味の無いこと調査してても、良い成果は挙げられないからね。
あたしらの部は、情熱失ったらおしまいだし」
「……」
副部長の補足説明を受け、一応は納得する。
確かに、情熱にお値段は付けられないものだが…。
「さて、話を戻しますよ。 では、新しい調査テーマについてですが…」
部長さんに話を戻されてしまったので、僕も気持ちを取り戻す。
何にせよ、ここで告げられるテーマが、部にとって肝要なことなのだ。
聞き逃す訳にはいくまい。
「杉山くん。 君が決めて下さい」
「…えっ?」
またしても部長さんの視線に捉えられ、僕が名指しを受ける。
僕は戸惑いながらも、何とか状況を噛み締める。
「おっ、いいですねぇ~。 新入部員のためとなれば、こっちも
気合いが入りますもんね☆」
「だねぇ…賛成」
副部長も枕井さんも、その提案には乗り気な様子。
そして、彰浩さんはというと…黙ってあの不敵な笑みを浮かべている。
「……」
さて、どうしたものか。
急に調査テーマと言われても、困ってしまう。
…ま、僕が調べてみたいことを気軽に言ってみればいいか。
今、僕が一番調べてみたいこと…。
それはズバリ、何だろう。
しばしの間、思考を巡らしたのち、結論は出た。
「じゃあ、幽霊のことにしましょう。 この辺りに、最近よく出るそうなので」
僕が導き出した結論を口にすると、メンバー達の間に
僅かだが、何とも言えない空気が流れた。
もしかすると、白けさせてしまったのか…。
「いいね。 実は俺も、気になってたんだよ」
真っ先に賛同の意を表してくれたのは、彰浩さんだった。
意外と言っては失礼かもしれないが、ちょっと意外だった。
「えっ、なになに? あたし、まだ聞いたことない話なんだけど」
その妹である副部長さんは、何だかキョトンとした顔。
どうやら、例の幽霊騒動の件は、まだ彼女の耳には入っていない様子だ。
「おいおい、情けねぇな…。 そんなんで、よく情報屋気取ってるもんだ」
「うっさいな~。 兄貴が地獄耳過ぎるんだよ」
兄妹間で、やや険悪な雰囲気が発生する。
それにしても、情報屋気取り…ってのは?
「では、新しい調査テーマは、そのことに決定します。 よろしいですね?」
兄妹間でまだ言い争いが続く中、部長さんがピシャリと言い放つ。
有無を言わせないその威圧感は、さすがなものだ。
「それでは各自、調査を開始して下さい。 あ、そうそう…誰か1人は、
杉山くんとペアを組んでもらいましょうか」
部長さんが、チラリと僕に目をやる。
どうやら新人ということで、サポート役の人間を付けてくれる感じらしい。
「藤嶺さん、お願い出来ますか?」
「おっ…あたし? 乃亜ちゃんの頼みとあれば、断れないなぁ」
ご指名を受けた副部長さんが、言葉以上に乗り気な様子で引き受ける。
それにしても、先輩を『ちゃん』付けで呼んでいるとは…。
今時の女子高校生とは、そんなものなのだろうか。
「ふ~ん、なるほどね…」
桜雪高等学校、下駄箱付近の廊下にて。
コンビを組むこととなった副部長さんに、早速、僕が知り得る限りの
情報を提供してみることにした。
彼女はうんうんと頷きながら、手際良く手帳にメモをしていく。
「君の話だけ聞いた限りでも、何だか色んな場所で目撃されてるもんだね。
こういう類の話は、大抵もうちょっと、限定的な範囲に絞られるもんなんだけど」
ちなみに僕がした話は、松下くんのじいちゃんの目撃談。
大地くんによる龍頭公園での目撃談。
それと、今日の休み時間にクラスメイトが話していた新たな目撃談。
こちらは、町外れの廃工場にて、という話だが…。
「目撃者たちには、これといった接点も無いみたいだし。 なるほど…
単なる噂話じゃ済まない可能性はアリだね」
キランと瞳を輝かせながら、彼女は呟いた。
どうやら、多少なりか興味を惹かれる題材と判断してくれたようだ。
「あの、副部長さん」
「…んっ、なぁに?」
「副部長さんは、幽霊とかって信じてるんですか?」
せっかくなので、彼女にもこの質問をぶつけてみる。
そういえば、部長さんにも訊いてみるつもりだったが…忘れてた。
「いないという確証が得られない以上、探求の余地はあります。
信じる、信じないの問題ではありません」
彼女は急にキリッとした表情をして、やけに淡々とした口調で答える。
その雰囲気は、いつか何処かで見たような…。
「な~んてね。 これ、乃亜ちゃんの受け売りなんだけど」
そんな風に感じた刹那、彼女はテヘッと舌を出してネタばらしをする。
またいつものデジャヴかと思ったが、なるほど…。
いかにも部長さんらしい、深みのある言葉だ。
「実はこの学校でも、昔から幾つかの幽霊話があってね。
それを一緒に調査してる時に言ってたんだ」
「…へぇ」
「ま、こういう場所にゃそういう話は付き物だし、そのほとんどは
適当な作り話…。 大した成果は無かったけどね」
彼女は『やれやれ』という感じのジェスチャーを交えながら語る。
いわゆる、学校の七不思議とか呼ばれる類の話であろうか。
確かに、そんなものが全部本当であれば、学校を建設するたびに
いちいち妙な不安を抱かねばならなくなる。
「で…これから、どうします?」
足早に下駄箱へと向かっていく生徒たちに目をやりながら、言葉を紡ぐ。
狭い日本、そんなに急いで何処へ向かうのか。
「そうだね。 とりあえず、目撃情報のあった場所に行ってみよっか。
っと…君、ちゃんとこの後の予定は空いてる?」
「はい。 大丈夫です」
やはりこういった不可解な事件を紐解くためには、現場を入念に
調べ上げることが大切なのであろう。
いつか見た刑事ドラマの中でも、そんな感じの台詞があった気がする。