まさかの奇策
「なんでなんだよ監督っ!」
ハーフタイム中、和歌山のロッカーでは、剣崎の怒号が響いていた。ほんの数分前までは、バドマン監督から最大級の賛辞を受けて上機嫌だったのだが。
ロッカーで選手を待っていたバドマン監督は、野口に代えて竹内、江川に代えてチョンを投入することを説明。そして仰天プランを明かした。剣崎のセンターバック起用だった。
選手たちは驚きの声を上げたのだか、剣崎が一番目を見開いて怒鳴った。2ゴールを記録しただけに、最前線から最終ラインへの唐突な配置転換にキレるのは当然と言える。
「君の怒りは最もだが、今の我々のディフェンスは勇気を失っている。そのカンフル剤として君が必要なのだ。晴本とファルカンのプレーに敵うのは君しかいない」
「いや、でも…俺今日ハットトリックする気満々なんだ。最終ラインに下がっちまったら」
「俺も反対っすね監督」
「友成?」
「知能指数低いこいつがラインコントロールとか、頭使った守備できるわけないっすよ」
「…それ、要するは邪魔って言いたいわけか?」
剣崎たちのやり取りの最中、大森は慎重な面持ちだった。久々のスタメンに気負ってしまい、精神的にも守りに入っていた。もっとアグレッシブにプレーできていれば、少なくとも晴本のごぼう抜きを止めることができていた。指揮官が言った「勇気を失っている」のが、前半追い付かれた要因だと言えた。
「監督の言葉、身に染みたか?」
そこにチョンが声をかけた。監督がその言葉を発した瞬間、顔つきが変わったのがわかったからだ。
「確かに、久しぶりのスタメンで気負ってたってのはわかる。だが、だからこそ後先考えずに今の目の前に集中するんだ」
「はい」
「人間はメンタルに左右される。ポテンシャルの100を120にするのは無理でも、80で止まってたのを100まで引き上げることぐらいはできる。大丈夫、お前ならやれる。お前は剣崎に勝てる体の強さがあるんだ。怯まず行け」
「はい!」
ちなみにこの剣崎のコンバートは、指揮官の独断である。ピッチで控えメンバーのアップを指示していた竹内コーチが、またも呆れたのは言うまでもない。無論、これは記者席のライターたちも驚かせた。
「け、剣崎がセンターバック?正気かよ」
「まあ体格はでかいけど、それでなんとかなるもんじゃないだろ」
「一体何考えてんだ?バドマン監督は…」
後半、10人で臨む和歌山の布陣を整理すると、キーパーは変わらず友成。最終ラインは右からソン、大森、剣崎、関原。中盤はチョンがワンボランチとなり、竹内は1トップに。トップ下が小宮で、猪口は右サイドハーフ。栗栖のポジションはそのまま。4−1−3−1という形になった。
「ぐ〜、なんで俺がこんなとこいなきゃなんねえんだぁ?今日ならハットトリック狙えんのにい」
ピッチ上、渋々バドマン監督の策を受け入れた剣崎だが、さすがに未練はたちきれない。実際結果も残しているから尚更だ。
「『セレーノのFWになったつもりで守れ』って、そんな起用な真似あいつにできんのか?」
友成もまた、剣崎のセンターバックに不安を感じずにはいられない。ロッカーでの悪態はいつものことだが、得点感覚がビンビンな状態で指揮官の指示を正しく遂行できるのか。とっさの状況でクリアを選択できるのか、不安は尽きない。
「あいつのオウンゴールで負けそうな気もするけどな。ま、そうなりゃ監督に責任を丸投げすりゃいいか」
友成はそう気持ちを切り替えた。
当然セレーノは、剣崎を集中的に狙ってくる。萩原、ファルカンら中央でプレーする選手たちは、剣崎の方向にパスを出し、晴本もそこを進入路と定めて仕掛ける。対する剣崎の対応は、あまりにもぎこちない。落ちてくる生卵を地面スレスレで掴むようなたどたどしい動き。
「剣崎っ!もっとじっとしてろバカっ!」
ちょこまか動く剣崎を、友成は声で必死にフォローする。そして、大森が前半とは見違える動きを見せる。
「剣崎、クリア」
「お、おうやっ!」
「オッケー、無理しなくていいからな。パスやドリブルを邪魔していけ。俺や友成がカバーするから」
「あ、あぁ。サンキューな」
たどたどしい剣崎をフォローしているのは、友成や大森だけではない。いや、セレーノの雰囲気に飲まれていた若手選手たちを生き返らせたのは、ベテランの存在感だった。
「いいぞ大森っ!積極的に動けてれば、お前は十分にやれる。剣崎も周りをしっかり見てろよ!」
後ろを向いてディフェンス陣に励ます。そして後半沈黙していた、ソンにも声をかけた。
『テジョン、攻め上がりは一人でやろうとするなっ!対人に強い猪口がフォローするからな。タイミングをしっかり図れ。むやみやたらに行けば、それこそ思うつぼだ』
『は、はいっ!チョンさん』
「やはり、彼はまだまだ必要だね。ピッチの質がまた戻ってきた」
「ええ。頼もしいかぎりですよ。さすが元韓国代表と唸らせますね」
チョンの働きに納得するバドマン監督に、松本コーチは同調する。松本コーチは現役の時に、チョンとクラブの黎明期を共に戦っただけに尚更だ。
確実に立ち直りつつある和歌山の雰囲気を、晴本は敏感に感じていた。
(チッ。退場者を出しといて、大分立ち直っとんな…。こりゃボチボチゴール狙わんと数の優位が生きんようになるな。そやけど…)
晴本は再び、剣崎の方向に走りだし、サイドの掛本にクロスを要求した。
「まだぎこちないこっちから行くでっ!」
晴本がゴール前に切れ込むと同時に、掛本が関原を振り切ってクロスを上げる。ボールは正確に晴本の方向へ流れてくる。
「やらすかこんちくちょうっ!」
このクロスに真っ先に反応した剣崎が、ヘディングを打つ。が、本人の中ではクリアしたつもりが、ボールはゴールの中に飛んでいった。ネットが揺れた瞬間、剣崎の表情は凍りついていた。
「…一応、ハットトリック達成な」
友成は額に血管を浮き上がらせて、剣崎を見下ろしていた。
これから獲物に飛びかかろうとする狼のような目だった。
やっぱりこうなりました(笑)




