「世界」に牙を剥かれて
エースの称号を奪い返さんと、燃えた剣崎の復活で早くも2点のリードを得た和歌山。長居の一角の緑の集団だけが沸いていた。
(…素晴らしいゴールだ。日本にあんなストライカーがいたとはな)
その最中、セレーノの新助っ人FWマリオ・ファルカンは、剣崎の活躍に舌を巻き、心に火をつけた。
(負けたままではいかんな。こっちも攻めるとしよう)
この間、ランポビッチ監督は、早くも交代カードを切った。ソンに子供扱いされていた鳴橋に代えて、百戦錬磨の新発田を投入した。
「新発田か…。常勝鹿島の名サイドバックだった男。確かに彼ならソンを封じれるだろう」
相手の采配にバドマン監督は唸った。
「しかし、ソンを止められるとなると、ちょっと苦しくなりますね。向こうのボランチも、猪口や江川に対応しつつありますし」
「その通りだ、竹内コーチ。だからこそ、立ち上がりの剣崎の活躍が生きてくる。ここからハーフタイムまでは、忍耐の時間だ」
「…」
バドマン監督の懸念は、全て的中する。まず、ソンは新発田の卓越したディフェンスで躍動感を殺され、猪口と江川は次第にセレーノのボランチコンビの対応に後手を踏むようになった。
そしてそれは、トップ下でプレーする、W杯得点王に自由を与えた。
『では反撃しよう。ヤマウチ、ボールをくれ』
ファルカンが動き出した。ボールを保持していた山内が、合図に反応してパスを出す。
受けるや、ファルカンは前を向き、わずかにタメを作ってから仕掛けた。そして一本の強いパスを出した。
出した先には、セレーノのエース晴本が走っていた。沼井が慌てて対応する。
「ハン。甘いで」
一拍の切り返しで沼井を振り切ると、鋭く左足を振り抜く。友成がこれひ左手一本で前にはじく。だが、弾いた先に、いつの間にかファルカンがいた。
「…たった二人で崩しやがった。どんだけウチの守備はザルいんだ」
友成がそう吐き捨てたときは、ファルカンが既にネットを揺らしていた。
ファルカンのプレーは、世界を知らない若い選手たちを怯ませた。キープ力、トラップ、パスへの反応…W杯得点王兼MVPの肩書き通りの実力で、試合のイニシアチブを完全に取り返されてしまった。しかも、猪口、江川もミスが目立ち、ソンにいたっては完全に新発田に遊ばれていた。
弱り目に祟り目とはよく言うもので、あせるあまりファールで止めてしまうことが増える。失点後から10分もしないうちに沼井、関原、江川がカードをもらってしまう。そしてアディショナルタイムが気になりだした時間帯に、最悪の結末を迎える。
晴本が鮮やかなシザースで、ごぼう抜きで友成と一対一となる。
「や、らすかぁっ!」
何とか止めようと沼井がスライディングを試みる。背後からの一撃に晴本は倒される。が、これは当然カードもの。しかもPKを献上して沼井はピッチを去った。
ここで追い付かれるとなると、流れを失ったまま後半に臨むことになる。是が非でもこれを止めなければと、友成はいつも通りに殺気を発散した。
(殺るか殺られるか、か?上等!)
キッカーの晴本は、これに受けてたつ。ゆっくりと動き出し、シュートの体勢に入る。
一瞬だった。
友成は右に跳んだ。しかし、シュートは左に飛んでいった。
(ちぇ。また引き立て役かい)
きっちりと決められた友成は、そのまま大の字に寝ころび、前半終了のホイッスルを聞いた。
「松本君。チョンと竹内を連れてきてくれ」
「後半から行きますか?」
「ああ。それから竹内にはこう伝えてくれ。『後半、君にゴールを託す』と」
「え?」
聞き返そうとする松本コーチに見向きせず、バドマン監督は足早にロッカールームに引き上げた。指揮官には、すぐさまやるべきことがあったからだ。
「やれやれ、前半はどうなるかと思ったけど。和歌山も崩れるの早かったなぁ」
「完全にのまれてましたからね。若いというか幼いというか。攻守てあれだけ力が違うとね」
「しかし、剣崎は大したもんだよな。あれだけ点取れるならサプライズあるかもな」
「ですね。あの馬力はギリシャやコートジボワールに対抗できますよ。本人は『ゴールを奪うことしかできない』って言ってますけど、ジョーカーならそれさえしてくれればいい」
「ま、まずは守備をどうにかしないとな。いくら剣崎がハットトリック出来ても、それ以上とられそうな雰囲気あるしな」
ハーフタイム中、記者席では各紙のライターが、剣崎に一目を置く一方で、ディフェンス陣の脆弱さに呆れていた。
その様子を見ていた浜田は、誇らしくも悔しくもあった。
(悪いのはある程度覚悟してたけど…、バゼルビッチがいないだけで、あそこまで落ち着きがなくなるものかしら)
浜田が改めて感じていたのは、バゼルビッチの存在の大きさだった。
開幕から不安視されていた守備を、どうにか戦えるようにしていたのがバゼルビッチだった。欧州各国で国際Aマッチを戦った彼の経験値は、若い和歌山の選手たちを下支えしていた。PKのシーン、バゼルビッチならばもっと落ち着いて対応できたはず。そう思ってしまった。
「でも…どういう交代をするのかしら。センターバックのメンバーがいないし…村瀬選手やチョンさんで何とかなるのかしら…」
そのころ、ロッカールームでは、バドマン監督が、最大の大仕事をこなしていた。
その主役は剣崎であった。




