エースの一撃
(これがJリーグ…。日本人のスピードは想像以上だ。ミリッチの言っていたように、Jリーグは世界でもトップクラス。セルビアリーグとは比べ物にならないな)
バゼルビッチは早くもJリーグのレベルの高さを実感していた。
母国セルビアの現役代表選手で、国内リーグでも名門チームのレギュラーとして高い人気を誇る。それだけの実力を持つ彼は、初めての海外挑戦の場を日本に選んだ。理由はその成長度だった。
自分が生まれた頃に誕生したJリーグ。それまでは弱小アジアでW杯予選すら勝ち抜けなかった国が、リーグ誕生以後はW杯の常連となり、欧州各リーグに主力となる選手を排出。世界でも類を見ない右肩上がりの成長を続ける環境に興味が沸いた。そして決定的だったのは、今日対戦する広島に所属するミリッチのインタビュー記事だった。Jリーグ最古参のヨーロッパ人選手は、欧州に挑戦する日本人を痛烈に批判し、「安心して成長できる環境があり、ブンデスやエールディビジ(オランダ)と十分渡り合える力がある」と評価していたことだった。
言葉の通じない環境に戸惑いはしたが、自分と同世代の選手たちが切磋琢磨する和歌山で、彼もまた自分の持ち味をアピールした。そして開幕スタメンの座を掴んだ。
だが今は自分のプレーをするより、広島の猛攻に耐える時間が長くなっている。
(優勝するチームがこれほどか…セルビアよりすごい。やりがいがあるな)
そして入団が決まってから徹底的にJリーグを調べて感じたもう一つの魅力。それはJリーグは全てのチームに頂点に立つ可能性が存在することだ。
(プレミアやエスパニョーラと違って絶対的な存在がない。つまり俺たちにも頂点に立つ資格が十分にあるわけだ)
いろいろ考えている最中、友成からのパスを受けたバゼルビッチ。意を決した。
(この試合をモノにすればその可能性は広がるわけだ。だったら恐れずに反撃するぞっ!)
バゼルビッチはロングボールを前線へ蹴りあげた。
「やっときたか。こじ開けてやるとするか」
一歩早くバゼルビッチのロングボールに反応した小宮は、マークにつく青島を振り切って、ボールがまとわりついたかのような鮮やかなトラップを見せる。
「3バックってことはサイドは広い。わかってんじゃねえか、クリ」
そしてすぐさま左サイドにスルーパス。スペースへ走っていた栗栖は、ボールを受けるとゴール前を見た。ニアの剣崎が「くれっ!」と目で訴えていたが、申し訳なさそうに苦笑する。
「わりいな剣崎、おこぼれを期待してくれ」
栗栖のクロスボールは、剣崎の頭上を大きく通過し、逆サイドまで流れる。その落下点には、江川が走っていた。
これまで息を潜めたかのように、存在が消えていた江川だったが、チャンスと見るや駆け出し栗栖にアイコンタクトを送りながら右サイドに開いていた。
そしてボールを受けると、角度のないところへドリブルを仕掛ける。そうして相手ディフェンダーを引き付ける。
(釣れた!)
包囲されるうちに中央にパスを出す江川。ボールは再び小宮に帰ってきた。
「ポカしたら殺すぞ、クズ」
それをヒールパスて流した小宮。剣崎の足元にようやくボールがきた。
「待ってましたぁっ!」
熱く叫んだ剣崎は、冷静にボールをゴールに押し込んだ…はずだった。
「げっ!」
「はぁ?」
ボールは寸でのとこらで広島のDF潮崎がスライディングしてブロック、そのままクリアした。
「くっそー、行けたと思ったのにな…」
指を鳴らして悔しがる剣崎。J2の時ならほぼ確実にネットを揺らしていただけに、「これがJ1か」とぼやく。ようやく生まれたチャンスだったが、決めれなかったことは和歌山に悪い流れをもたらす。
広島のエース瀬藤が、友成が守るゴールをこじ開けたのはそれからまもなくだった。
辛うじてピンチを凌ぎきり、ようやくエースにチャンスを生み出しながら、当たり前のように割れていたゴールが割れなかった。それは選手たちの心を折るには十分だった。ギアをあげた広島の攻撃陣の圧力を耐える力は今の和歌山にはなく、その立て続けに失点。瀬藤と2シャドーのつかみどころのないオフザボールの動きに翻弄され、石山、竹萩に立て続けに得点を許し、前半ロスタイムの時点で3点ものビハインドを背負った。
(…くそ。あんとき俺が決めてれば…)
静まり返る和歌山サポーターを見ながら、剣崎は悔しさをこらえていた。
先制点のチャンスだったあのシーン、チャンスを大事にしようと冷静に狙いすまして打った。確かに狙ったところに蹴れはしたが、思ったよりも弱々しいシュートとなった。それが相手にギリギリ追いつかれることになった。
「せめて一発ぶちかましてやる。そうでねえと自分が許せねえ」
剣崎はボールをもらおうと下がった。自分の近くでプレーしていた小宮も追い抜いて。
「前線でじっとしてろよ。下手くそなくせに下がってどうすんだ?」
遠退く背番号9を小宮は吐き捨てる。しかし数秒後、とんでもない一撃を見る。
「トシ、ボールくれ」
「え、剣崎?なんでこんなとこに…」
ボランチに近い位置でプレーしていた竹内は、剣崎が目の前まで来たことに驚く。ベンチの首脳陣も剣崎の行動に気付き、すぐさま竹内コーチが注意する。
「剣崎、お前まで下がらんでいい。前線に残ってろ」
しかし剣崎の耳には届いていない。貴久コーチの注意も、俊也の驚きの声も。頭の中には一つの思考しかなかったからだ。ボールを受けると剣崎は反転。小宮の先にあるゴールマウス、距離にして30メートルほどだが、迷いはなかった。
「どぅりぃやぁっ!!」
裂帛の咆哮を挙げながら、剣崎は右足を振り抜く。ぶっぱなされたボールに、広島のGK森が反応したときにはもう遅かった。
「う、わぁっ!!」
気づいて慌てて飛びついたが、既にゴールネットが揺れた後だった。
同時に前半終了を告げるホイッスルが響く。それを合図に、沈黙していた和歌山サポーターが、息を吹き替えして剣崎のチャントを高らかに歌った。
剣崎は笑みを見せず、ゴールを指差しながら呟く。
「覚悟しとけよ。あと2点ぶちこんでやっからな」
試合はまだわからなくなった。




