第八話 『意地をぶつけろ』
「ひっ!」
視界が青い炎で覆われたカナは、思わず悲鳴を上げる。ただしそれは熱さも焼ける臭いも感じない。
カナが見ている光景は、あくまで“クロガネ”を通して見えるものであり、実際には“クロガネ”の厚い装甲によって、カナへの被害はまったくと言って良いほど無かった。
「だけど、どうしたら………」
なんとか戦う気力を取り戻そうとするカナだったが、炎は“クロガネ”を包んだままであり、視界が奪われている。
いくら“クロガネ”が頑丈だとしても、長時間高熱量の状況に晒されれば、黒い金属に覆われた外部が溶け出す可能性がある。そうなれば、“クロガネ”の耐久性がガタ落ちするかもしれない。ブラックドラゴンの狙いはそれなのだろうか。相手を弱らせ、徐々に敵を追い詰める。そうであるならば、じっとしている理由は無い。
「炎の中だとしても、こっちは動けるんだ! やみくもでも、炎を吐くドラゴンに体当たりするくらいは!」
炎に包まれたままだったが、カナは一か八か、“クロガネ”を走らせた。青い炎が目に映ったままと言うことは、まだブラックドラゴンは“クロガネ”へ向きながら火を吐き続けているのだ。そこにさえ進めば、敵を捉えることができるはず。
そんな“クロガネ”とブラックドラゴンの戦いを、ジンはある程度、離れた場所で見ていた。
ドラゴンが歩く際の風圧で飛ばされた場所でもある瓦礫の上で、“クロガネ”の動きを観察するジン。“クロガネ”はドラゴンの炎に焼かれている最中であり、若干の不利に思える。
「だが、戦い全体での有利不利の話なら、“クロガネ”側に分があるだろうな」
ジンは“クロガネ”を評価する。癪な話ではあるが、確かに“クロガネ”はブラックドラゴンに対する有効な兵器であった。
分厚い装甲に重みのある体。それを十分に動かせると言うのなら、ブラックドラゴン程度の相手なら敵では無いとジンは考える。
“クロガネ”とブラックドラゴンは同じ程度の体高か、ややブラックドラゴンが高い。しかし質量で言えば、圧倒的に“クロガネ”が勝っている。その防御力もだ。
「ブラックドラゴンは全力で“クロガネ”を噛みに来たわけだが、“クロガネ”はそれを物ともしない。どっちが有利かなんて、見れば明らかだな」
攻撃が通じぬ相手と戦えば、攻撃をする側が疲労する。“クロガネ”はただ、ブラックドラゴンが消耗するまで耐えれば良いだけであり、“クロガネ”と戦うことを決めた時点で、ブラックドラゴンの敗北はほぼ決まっている様に思える。
「問題は、あのドラゴンもそう考えているかもしれないってことか………」
火を吐くブラックドラゴンの元が、グリーンドラゴンなのだとしたら、野生動物の中ではかなり賢い方だと言える。敵と相対し、それなりに頭を使って戦えるはずだ。
そして、自分の不利を悟ったブラックドラゴンはどういう手に出るか。追い詰められた野生動物は思わぬ行動を取るものだ。
「ちょっと待て? あの炎のブレスがどういう意味を持つのか……そうか、しまった。おい、止めろ!」
聞こえるはずの叫びを“クロガネ”へと向けるジン。ドラゴンの攻撃に耐えていた“クロガネ”が、炎に包まれたままではいけないと、炎の中を突っ切る動きをし始めたのを見たのだ。
ドラゴンの狙いはそこであった。炎のブレスは“クロガネ”への目暗ましであったのだ。相手の視覚を奪い、単純な攻撃を行ってくる様に仕向ける。
「それ以上突っ込むな! それはドラゴンの間合いの中―――」
叫びの途中でジンは絶句した。ブラックドラゴンへ突き進もうとした“クロガネ”を見たブラックドラゴンは、火を吐くのを止めて、体を一回転させる。
ブラックドラゴンには尾があった。ドラゴンらしい長い尾だ。体と同じく巨大化したそれを伸ばし、振り回し、鞭の様にそれを“クロガネ”へと叩きつけた。
弾ける様な音の後に、爆音が鳴る。尾の先端が音速を超えた音と、それが“クロガネ”へ直撃した音である。
体を安定させた姿勢であるならば、なんとか耐えられたかもしれない一撃だったが、“クロガネ”はドラゴンを攻撃しようと、走り出した瞬間だった。
不安定な姿勢のまま、鋭く重い一撃を加えられた“クロガネ”。その体は宙を舞い、ドラゴンが振った尾の軌道の延長線上に吹き飛ばされた。
その日、カナはこれまでの人生の中で、もっとも激しい衝撃を感じることとなる。カナは最初、何が起こったのかを理解できずにいた。
青い炎を掻い潜り、その先に黒い竜が見えた瞬間。視界の端に黒く細長い何かが見えた様な気がする。
その時、黒い竜はこちらに背中を向けており、そのことに疑問を覚えるより早く、カナの視界は大きく動いた。
勿論、カナが“クロガネ”をそういう風に動かした訳ではない。ただ視界が右へとズレ、そこから傾き、次に浮遊感を覚える。その浮遊感は一瞬で消えて、次に襲ってきたのが衝撃だ。
“クロガネ”を動かした時や、ブラックドラゴンに噛みつかれた時とは比較にならぬ程の衝撃が、“クロガネ”全体を襲った。カナが存在する空室ですら激しく揺れた。
「きゃああああああああああ!!!」
今日、何度目かの悲鳴を上げるカナ。前に映る“クロガネ”からの視界は横方向に倒れてしまっている。いや、空室、そして“クロガネ”そのものが倒れているのだ。
そして倒れた体勢のまま、さらに地面を削り、飛ばされる。それも長くは続かない。漸く振動が収まり、視界の移動が止まった後、カナは空室を襲った揺れによって意識が朦朧としていた。
「な、何が……私………」
あやふやなのは意識だけでは無い。視界もどうしてだか歪んでいた。“クロガネ”の方に不備が出たのか、はたまたカナの頭がぶれているのか。少なくとも、正常な判断をするためにはもう少し時間が掛りそうだった。
ただし、ブラックドラゴンはその時間を待ってくれそうには無い。非常に危険な状況だったが、それでも動けないからこその混乱なのだ。
「ああ、どうしよ……。本当に朦朧としてる。まさかジン先輩の幻覚まで見るなんて………」
カナの歪んだ視界には、“クロガネ”から見える景色の他に、黒い鎧姿のジンが映っていた。こんなところに彼がいるはずも無いのできっと幻覚だろうと考えるが、幻覚は消えず、ついには前面に映る画面を叩き始めた。どうやら“クロガネ”の目に当たる部分を叩いているらしい。
「って、本当にジン先輩!?」
知り合いの存在を認識したことで、カナの意識は一気にクリアになる。どうにもジンはカナに会いに来たらしく、出てくるなりなんなりしろとジェスチャーで伝えてくる。
「ま、待ってください。今、空室を開けますから………」
危険な行為であるが、カナは自分のいる空室の出入り口を開ける。扉の役目をしている大きな岩が魔力によって開き、カナは外部の空気が“クロガネ”内部に入ってくるのを感じた。
そうしてすぐに、開いた扉の先からジンが顔を見せる。
「大丈夫か!?」
聞いてきた最初の言葉がカナを心配する言葉であったことに、胸を撫で下ろす。もしこれが叱咤であったのなら、カナは泣き出していただろうから。
ブラックドラゴンの尾に吹き飛ばされた“クロガネ”が、ジンが居る方向へ飛んできたのは幸運なのか不幸なのか。それを考える暇も無く、“クロガネ”はジンがいる瓦礫のすぐ近くで倒れた。
その衝撃はすさまじい物で、ジンは再び吹き飛ばされない様に必死だった。外にいる自分ですらそうなのだから、中に乗っているカナも恐らく無事では無いはずだと判断し、すぐに“クロガネ”へとジンは走った。
“クロガネ”のどこにカナが存在しているのかが分からなかったので、倒れた“クロガネ”の顔付近を叩く暴挙にも出る。事態は急を要するのだ。ブラックドラゴンは、倒れた“クロガネ”にトドメを刺そうと近づいて来ている。
こちらはまさしく幸運だろう。反応はすぐにあり、“クロガネ”の胸付近から、胸を構成する岩石の一部が動いた。空いた空間の先には、勿論カナがいた。
「大丈夫か!?」
ジンが見たカナの顔は青あざだらけだった。巨人が倒れたのだ。その中にいるちっぽけな彼女にとっては、家の屋上から飛び降りる程の衝撃が襲っていたとしてもおかしくは無い。もしかしたら命に関わって来る可能性すらあった。
「体中が痛い……です。けど、大怪我ってわけじゃあ……ないみたい」
カナの返答は安心できるものでは無かった。大丈夫というその言葉が酷く弱弱しかったからだ。
「………急いでコイツから降りるぞ。ドラゴンが近づいて来ている。地響きを感じるだろう?」
もうカナが戦うことは無理だろうとジンは考えた。確かにカナの体は、大きな怪我を負っている風では無い。しかし、心まではそうは行くまい。彼女はどう考えたって子どもなのだ。命の危険に晒された経験なんて殆ど無いだろう。
そんな彼女が、凶悪なドラゴンと相対し、こっぴどくやられた後に、もう一度自ら立ち上がるのは不可能だろうと思えた。
「……駄目です。“クロガネ”はまだ動けます。動けるなら、戦わなくちゃ……ですよね?」
しかしジンが考える以上にカナは気丈だった。その言葉を話すカナは、今にも泣きそうだと言うのにだ。
弱い自分を外面だけでも良くしようとしている姿だ。ここでジンが無理矢理“クロガネ”から彼女を引きずり出せば、彼女の本音はきっと安心するだろう。ただ、それは彼女のプライドを大きく傷つけることになる。
プライドより命だろうと考えられなくも無いが、命よりも自分の意地だと考える気持ちはわからなくも無い。ドラゴンに町を荒らされるというのは、自分の命を奪われるより腹立たしく感じる自分がいた。
「あいつの顔面にワンツーパンチだ」
「………はい?」
唐突なジンの言葉を理解できていない様子のカナ。勢いで口にした言葉なだけに、ジン自身だって意味を良く理解していないのだから仕方が無い。
ただし、案外そういう勢いで出た言葉が、思わぬ形で事態を好転させることも多々あるだろう。
「もし、まだ“クロガネ”を動かすつもりなら、ドラゴンの顔を狙って、右左と一発ずつ殴れ。喧嘩じゃあ顔を狙うのはご法度だが、一発当たればKOを取れる」
「そんなに都合良く行かないと思いますけど………」
まったくだ。ジンは“クロガネ”の攻撃を避けて、その首元に噛みついたドラゴンを見ている。反射神経は、どう見たってブラックドラゴンに分がある。普通にやれば、攻撃を仕掛けた瞬間、それを避けられ、その隙に反撃を喰らうという事態が繰り返されることになるだろう。
ただしそれは、やる事に何の種も仕込まなければの話だ。
「どうせ動かせると言っても、疲労で十分に動かすこができなくなってるんじゃないか? なら、可能性が低くても、あいつを何とかできる方法を取るべきだ」
ジンはゆっくりと近づくブラックドラゴンを見た。もっと早く“クロガネ”に追撃を加えることだってできるだろうに、獲物をじっくりと追い詰めるつもりなのだろう。
その余裕綽々の糞面に一発かましてやる。
ジンの無謀とも言えるその作戦に、カナは黙って頷いた。他に何も作戦が思い浮かばなかったというのもあるが、ジンの考える通りに動き、それが上手く嵌れば、きっと気分の良いことになるだろうと思えたのだ。
あのドラゴンに何か一つでも意趣返しができなければ、カナの立場が無い。
「ジン先輩はどうするんですか?」
カナが気になったのはジンの事だ。自分を心配して駆けつけてくれたのだろうが、“クロガネ”とブラックドラゴンがもう一度戦うことになった今、何をするつもりなのか。
「俺か? まあ、戦いの邪魔にならないよう、隠れて応援でもしているさ。それより忘れるなよ? 右、左の順で一発ずつだ。するのはそれだけで良い」
そう言って、ジンは“クロガネ”胸部空室の扉の前から去った。ジンの顔が見えなくなり、カナは少し心細さを感じたが、既に心はブラックドラゴンと戦うことに決めていた。行動を止めるはずがない。
「まずは立ち上がること……それくらいなら」
カナは町の瓦礫の上に倒れたままでいる“クロガネ”の腕と足を動かし、這いつくばる様にしてからその体を持ち上げる。意味の無いことかもしれないが、カナの意思を反映するかの様に“クロガネ”の手は力み、強く握られていた。
この隙にドラゴンに襲われなかったのは幸いか。それとも、ドラゴンはまだこちらを侮っているのか。そうだとしたら許し難いことだ。
「馬鹿にして!」
カナが苛立ち紛れに叫び、それを叱咤として“クロガネ”を完全に立ち上がらせた。立った目の前にはドラゴンがいる。まるでこちらが立つのを待っていたかの様に。
やはり舐められていたらしい。
「!!……最初は右……次に左」
視界に映ったブラックドラゴンの姿に、驚きと恐怖の感情が浮かんでくるが、カナはジンに言われた通りのことを実行しようと集中する。
やることが決まっていれば、多少の恐れや動揺を排除できる。それを狙って、ジンはカナに単純な指示をしたのかもしれない。
視界に映るブラックドラゴンは、口を開いていた。喉の奥には青い光。先ほど“クロガネ”に吐いた炎のブレスを、もう一度浴びせようというのだろう。そして“クロガネ”が再び同じ手に引っ掛かることを狙っている。
「そうそう何度も!」
カナは立ち上がる際に“クロガネ”の左手で握りしめた瓦礫を、ブラックドラゴンへ投げつけた。
“クロガネ”やブラックドラゴンにとっては小石に見える大きさであるが、実際は人一人を下敷きにできる程の瓦礫だ。
馬鹿みたいに口を開いたブラックドラゴンに当たれば、ある程度の衝撃を与えられるかもしれない。
ただし、それが本当に当たることをカナは期待していない。むしろ、ブラックドラゴンが石を危険だと思い、避けることを狙っていた。
「避けた!」
案の定、ブラックドラゴンは口を閉じて瓦礫を避ける。これで炎のブレスが襲ってくる心配は無い。ならば突貫する時だ。今度は“クロガネ”の右手を握りしめさせるカナ。そして“クロガネ”を数歩だけ走らせ、ブラックドラゴンにその握りしめた右手を、腕ごと一気に振り抜いた。
その伸ばされた右腕の上をジンは走っていた。カナには隠れて応援でもすると伝えていたが、隠れていたのは“クロガネ”の右肩部であり、応援内容は実力行使だ。
ジンは自分の走る先を見る。“クロガネ”の右腕の先にはブラックドラゴンの顔があった。
「やっぱり避けるか………」
これまでは揺れる“クロガネ”の肩に必死で掴まりながら、ジンはカナの戦い方を見ていた。瓦礫を牽制手段として、相手の隙を作って右腕のストレートを喰らわせる。
中々に喧嘩の才能はありそうだと思ったが、それでもブラックドラゴンの方が一枚上手だった。
ドラゴンは瓦礫、右腕どちらをも最小限の動きで避けたのだ。まさに野生である。反射神経が人間のそれでは無い。放って置けば、すぐさま“クロガネ”に反撃してくるだろう。向こうもそれが狙いで“クロガネ”の攻撃を誘ったのかもしれない。
カナの作戦は浅知恵に終わってしまう可能性があった。
「なら、先輩が尻拭いをしてやらなくちゃあな!」
ジンは“クロガネ”右腕の先端まで走り抜けて、そこから空へとジャンプした。
“クロガネ”の攻撃を、顔を動かす程度で避けたブラックドラゴン。見事な回避方法と言えるが、それは腕のすぐ近くにまだドラゴンの顔が存在するということだ。ジンはドラゴンの顔を狙って飛んだのである。
鎧姿のジンは全身の能力が向上している。その跳躍距離はドラゴンの顔へ十分に届く。そしてジン自身の両手は、弓では無くいつのまにか愛用の重い槌が握られていた。
ジンはそれを空中で振りかぶり、ドラゴンの顔と自身の影が接するその瞬間に、槌を振り下ろした。
「よっしゃあ!!!」
槌からはしっかりとした手応えを感じる。槌はドラゴンの頬を叩き、その反動で、ジンは再びドラゴンから離れて再び宙へ浮くこととなった。
その瞬間、ジンとドラゴンの目が合った。ジンの全力の一撃を喰らわせたところで、ドラゴンはびくともしていない様子。人間にしてみれば、蚊が刺すよりかは痛かっただろうが、蜂に刺される程のものでは無かっただろう。
ただ、ドラゴンが槌の一撃を気にして、ジンの方を向いたと言う事実が重要だった。ドラゴンは間違いなく意識をジンに向けており、“クロガネ”のことを一瞬だけ忘れてたという状況こそがジンの狙いだ。
(おいおい。どれくらい痛かったかは知らないが、悠長にこっちを向いても良いのかよ?)
鎧の奥のジンは笑っていた。ジンが重力に従って地面へと落ち始めると同時に、ドラゴンの顔があったはずの場所を、“クロガネ”の左腕が通り過ぎて行ったからだ。
“クロガネ”が放った二発目の拳は、間違いなくブラックドラゴンの顔を直撃した。そのことを確認したジンは、安心して地面への自由落下を開始したのだった。
今回“クロガネ”に伝わった衝撃は、カナを恐怖させるものでは無く、達成感を味あわせる物であった。
“クロガネ”の右腕を動かしての一撃は、空を切り、外れたことを実感させるものであったが、間をおかず放った左腕のもう一発は、確かに何かがぶつかる感触がした。
勿論、カナと“クロガネ”の感覚は共有されてはいないはずだが、それでもまるで自分の腕でドラゴンを殴ったかのような気分になった。
「はぁ………はぁ………」
“クロガネ”からの視界にも、倒れるブラックドラゴンの姿が映る。今度は“クロガネ”がドラゴンに土をつける番だ。
「まだまだあああああ!」
ブラックドラゴンは、もう一度“クロガネ”が立ち上がるまで待つという愚策を実行した。しかしカナはそんな選択はしない。
地面に倒れたブラックドラゴンの上に“クロガネ”を圧し掛からせる。その重みだけでもかなりの威力があるだろうが、カナは“クロガネ”の両手を組ませ、それをドラゴンの顔面へと振り下ろした。
現在、“クロガネ”が行える最大級の力を込めたその振り下ろしは、辺り一帯を震わせた。そしてカナが“クロガネ”の腕をどけさせた先に映ったのは、ブラックドラゴンの潰れた顔だ。これで生きているのなら、それはブラックドラゴンで無くゾンビドラゴンだ。間違いなく“クロガネ”はドラゴンにとどめの一撃を放ったのだ。
「や、やった………」
潰れたドラゴンの顔は不快さを感じさせるものであったが、それよりもドラゴンがもう一度立ち上がり、町を壊さないという確信を持てたことが、カナの心を落ち着かせる。
「あ、あれ? なんでジン先輩があんなところに」
落ち着いた以上、視野が広がる。倒れたドラゴンのすぐそばに、同じく倒れたジンが手をこちらに振っていた。どうにも土で汚れており、立てないでいる様だ。安全な場所で隠れているのでは無かったのだろうか。
「もう、危ないなあ。あんなところで人の戦いを見物するなんて」
文句を言いたい気分だったが、間抜けなジンのその姿に、カナはつい笑い出した。ジンが手を振った後、その手を握り親指を立ててこちらに向けた姿は、自分がちゃんと仕事をやりとげたのだと言う実感をくれたのである。
それと同時にだろうか。強い倦怠感がカナの体を襲った。どうにも限界が来たらしい。
“クロガネ”を動かすには多大な魔力を必要とする。カナが生来からの才能とこれまでの努力によって培った魔力は、“クロガネ”を数十分動かすだけで使い果たしてしまったのだ。
結果、襲ってくる精神的疲労や肉体的疲労は、これまで味わったことが無い程のものとなる。今まではそれを緊張や義務感で押さえつけていたものの、ドラゴンを倒した今となっては、それを維持するのは難しい。
「やることはまだ沢山あるんだろうけど………今は目を閉じても良いよね」
倦怠感は眠気となり、カナの体は休息を欲する。ほんの少しだけ目蓋を閉じたというのに、それだけでカナは深い眠りの中へと落ちて行った。