最終話
ハイジャングを黒い船が襲撃してから一月の期間が過ぎた。町の復興と黒い船の調査に追われる一月であり、それらの仕事がまだ終わらぬ一月でもある。
ただし、区切りにはなるだろうとジンは思う。町は一時の危険な状態からは回復を始めており、人々の表情も明るいとは言わぬが、悲しみに包まれてはいない。
「とは言え、何もかも無かったことにするのは無理だよな」
ジンはハイジャングの南区。未だ黒い船の残骸が残る場所へとやってきていた。黒い船の幾らかは解体されているが、その大半の骨格や装甲を残したままだ。もしかしたら、町を飾るオブジェになる可能性も無いわけでは無い。勿論、一般人は立ち入り禁止であろうが。
「今日も今日とて、黒い船の調査ですね………何か新しい発見があるわけでも無し、嫌になってきます」
ジンの横には、憂鬱な顔をしたカナ・マートンが立っている。
「おいおい。最初は自分にできる仕事が来たって喜んでただろう。なんだその様子は」
現在、ジン達魔奇対の仕事は、黒い船の調査であった。魔奇対は奇跡に対処するための組織であり、黒い船は奇跡の塊の様な存在だ。カナが魔法使いの研究者、ジンが船内で何かあった時の戦力という形で、黒い船の調査を任されている。
それらの仕事は魔奇対に一任されるということでも無く、国に認められた複数の組織が黒い船の調査に赴いていた。
判明することと言えば、とりあえず良く分からない船であるということでしか無かったが。
「ここは単に意味の無い空間。ここは何かありそう。そうやって区別するだけじゃあ、やりがいも面白みも無いですよ。嫌になってきます」
「とりあえずは、このデカブツをどうにかすることが先決だったからなあ。安全に解体できるなら、やっておきたかったんだろうが………」
調査の結果、わからない事が多過ぎて、余計な手出しをすれば何が起こるか予想できなくなるということだけが分かる。全体的な解体作業などもっての外だったのだ。
「もっとこう……船の中枢近くに踏み込むべきだと思うんですけど………」
現状、一月経ったと言うのに、船の調査は外部分だけで終わっている。中枢になればなる程、足を踏み入れただけで、不可思議な現象が起こる時があったからだ。
「カラフルに光る窓に、侵入者に反応して動く床。後はなんだったか?」
「音が鳴るボタン……それはもしかしたら鍵盤楽器か何かの装置かもしれませんけど、他にも丸い玉みたいなのが突然動き出したり、そういうのを直接調査できれば良いんですけど………」
というよりも、魔法使いとして研究してみたいと言ったところか。だというのに、やることはあまり不思議なことが起こらない区画の整理と言うのだから、彼女の士気は下がる一方らしい。
「まあ、暫くしたら、そっち方面でも俺達にお呼びが掛かるだろう。一応、俺はこの船の中心部まで侵入した経験があるし、君はその船の記憶を少しばかりだが覚えている」
「うっ……思い出させないでくださいよ。思い出したら、今でも気分が悪くなるんです」
以前に黒い船で捕えられた時の後遺症らしく、植え付けられた記憶を思い出そうとすると眩暈がしてくるらしい。ただ、それだけで済んでいるのだからまだ良い方だろう。
「とは言っても、船内で仕事をするのなら、そういう状況にも慣れて置かないとな。ほら、早く行くぞ」
ジンはカナの肩を叩くと、黒い船へ入るために歩き出す。入口はジンが開けた穴がそれになっており、そこを警備するハイジャング自警団員とは、既に顔見知りになっているため顔パスだ。
「真っ先に調査すべきは、船内への正式な入口だと思うんですけどねえ」
カナは出入り口を見ながらなにやら呟いている。ジンが開けた穴は、奇跡の力が破壊的に開けたため、とてもでは無いが人間のための出入り口とは言えない形状をしている。穴が開き、ひしゃげた鉄板と言うのを出入り口とは言わないのである。
「悪かったな。無駄に威力があるんだよ、俺の新しい奇跡。暫くは使う予定は無いが」
曲げる力は強すぎる力だ。あんなものを手軽に使っては、自分が人間でなくなってしまう。ジンはあくまで奇跡所有者の人間であり、奇跡そのものになった覚えは無い。
「ううーん。私達が今いる場所も、それ以上の奇跡の産物なんでしょうけど、さっぱりわかりませんねえ。そう思うと、良く撃退できましたよ、私達」
船内に入ってから、その天井や廊下を見るカナは、そんな感想を呟いていた。
「奇跡だなんだと言っても、今を生きようとする人間には敵わないもんさ。船の力だって、船員やあの爺さんが利用とした結果でしかないからな」
今でもこの船は途轍もない力を秘めているのだろうが、乗組員が居なくなった後は、単なる邪魔な置物程度の扱いから向上していないのだ。
「でも、やっぱりこの船は未だに強敵だと思います。だって………」
カナは深刻そうな表情をして、ある一点を見つめる。廊下の壁を見る仕草であるが、彼女はその先にある物を見ているはずだ。
「未だにクロガネが下敷きだもんなあ。とりあえずそれは何とかしなきゃ、この船での仕事は終わらないだろうなあ」
邪魔な置物と言えども、下敷きになった物から見れば脅威的な存在だ。如何にクロガネを黒い船から救出するか。それもまたジン達の仕事と言えた。
「ぜーったい、私達だけじゃあ無理ですよ。もっと人手がないと………」
「クロガネ関連の仕事だから、整備班員なんかの手を借りるって方法もあるな。人手が集まったところで、どうにかできる問題にも思えないんだが」
「うう……ワーグ班長になんて言えば良いか………」
クロガネが黒い船に捕えられている現状、クロガネの整備班員達は仕事が無くて困っているという状況だ。とりあえずは町の復興事業に従事しているものの、本来の仕事では無いと不満を漏らす人間も居ないではない。
「人手と言えば、魔奇対に新しい人員が増えるらしいな」
「そうなんですか? 新しい人員って、クロガネの整備関係……とかじゃあ無いんですよね?」
「ああ。どちらかと言えば、俺達の同僚って感じだな」
黒い船との戦いでは魔奇対が大いに活躍した。であるならば、組織としての増員願いも通るという物らしい。今頃、フライ室長は増員メンバーの面接をしているのかもしれない。
「さて、良く来てくれた……と言えば良いのかな?」
何時も通り魔奇対の執務室にて仕事机に面と向かい合いながら、フライ・ラッドは一枚の資料を見ていた。この資料は、今、机の向こうにいる人間についての履歴書だ。
こういう履歴書と言うのはフライにとって馴染みあるものである。過去は単に区別すべき書類の一つとして、今は部下を選ぶための資料として。
「いえ………、こちらに来るというのはご命令でしたから………」
高い声が部屋にぼそぼそと聞こえる。相手はジンと同年代かそれより低い女性だ。この年代の女性と言うのは、中年のフライにとっては接し難い相手であるのだが、既に一人、部下にもっと接し難いのがいるため、物怖じする状況では無かった。
「では質問させて貰うよ、ティラ・フィスカルト君。君は前の組織に未練はあるかね?」
鮮やかな赤毛が特徴の、見た目は女性らしい女性と言えるティラだが、その実、特事という組織の一隊員だった。
その特事の隊長が、魔奇対の室長、つまりフライ自身を暗殺しようとする事件が発生し、結果、特事は組織としての解体が進み始めている。暗殺未遂事件が関わった人間は、当然、獄中に入ることになっているが、問題は事件に無関係な立場だった人間だ。
特事は魔奇対と同様、奇跡に関わる事件を担当していた国防騎士団の一部門であり、その隊員には奇跡所有者が複数人存在していた。その扱いに困り、一人が魔奇対に押し付けられたと言ったところだろう。
(人手が足りないのは事実だから、有り難くはあるのだが………)
目の前にいる人物はどの様な厄介者だろうか。また頭痛の種が増えそうであるが、とりあえずの性格は、さっきの質問でわかるだろうと思う。
「………ありません。突然、解体されたことには驚きましたが………、次に働ける場所を用意していただけた以上、そこで仕事をするまでですから………」
さて、この言葉は真実だろうか。そうであれば別に構わないのだが、もし実は特事に未練があるとなれば、フライはその組織を潰した人間となり、恨みを抱かれているだろう。彼女は真に特事への執着が無ければ良いのだが。
「どんな人なんでしょうね、新しく雇う人って」
黒い船の調査を続けるジン達であるが、ふと足を止めたカナは、そんなことをジンに尋ねて来た。
「案外、既に顔見知りだったりしてな。って、なんだ、もう飽きたのか?」
現在、ジン達は船内の通路に関する地図を作成中であり、足を止めるというのは、その作業を止めることにも繋がってしまう。
「だってえ……ここ、通ったの何度目ですか?」
「記憶が確かなら3度目だな」
別に迷ったわけでは無い。船内の大まかな地図なら、既に2度作成済みなだけだ。2度では調査が足りぬ。もっと細密な資料をとのお達しがあったため、3度目の地図作りに挑戦している途中であった。この仕事が終われば4度目の地図作りを命令されるかもしれぬ。
「本当にそんな細かな地図が必要なんですかねえ………」
「だから知らねえって。大方、上の連中はこの船が火薬の塊とでも思ってるんじゃないか? 細心の注意をし尽す必要がって感じでな。間違っちゃあいないと思うがね」
ただ、そう言うジン自身もそろそろ飽きてきた。船の機能自体は、判明したことは少ないのであるが、何度も船内を歩く内に、慣れの様な物が生まれてしまい、もっと目新しい発見は無いものかと気分が浮ついてしまっている。
「いい加減、船の中枢付近も調べさせて貰いたいんですけど………」
「本音はそれか」
カナの魔法使いとしての血が疼いているのかもしれない。なにせ彼女も生粋の研究者だ。例の老人ほどでは無くとも、目の前の謎を解明したいという欲求を持ち合わせているのだろう。
「………まあ、余程のことをしない限り、大丈夫かな?」
ここでカナを注意することが普通であろうが、些か上の命令も慎重に過ぎる部分もあると考え、カナの要望を受け入れることにする。
ほんの少しだけ命令された道を逸れて、船内の別の部屋へと入ることになる。
「しかし、調べるったって、どこからにするんだ? 心当たりでもあるのか?」
「実は、気になってる部屋があるんですよね。ここのすぐ近くなんですけど」
カナが通路の先に幾つかある扉のうち、一つを指差した。いったいその部屋の何が気になるのだろうか。
「船の位置的に見て、比較的重要な場所の様に思えるんですけど、どうでしょうか?」
「そうか? ちょっと待ってくれよ」
1度目に船内の調査を行った際に作った、簡易的な地図を見る。カナが指し示す部屋は、船の前方先端近くにある部屋である。
「船先にあるってことを考えると、まあ、何かありそうではあるよな。ここは普通の船じゃあないから、本当にそうかは分からないが」
「だから、調べてみたいじゃないですか。何も無いなら無いで、一応の収穫です」
船内調査が仕事なのだから意義はあるかもしれないが、通路以外の調査は命令されていないため、報告できない仕事になりそうである。
「俺としては、何も無いことを祈りたいね。何か起これば、隠すのが面倒そうだ」
「私としては、何かあった方が嬉しいですけど」
そう言いつつ、二人して部屋の中へ入る。ジン達が近づくと、扉が独りでに開いたのは驚いた。
「おおっと。どんな仕掛けだ?」
「さあ。調べてみないことには……ただ、船の動力自体はまだ働いているみたいですね」
「あー、そういうことか。あの爺さんが入った箱を近づけなくて正解だな」
要するに船は動かし手が居なくなっただけで、まだその力は健在なのである。
「これは調べ甲斐がありそうですね」
「頼むから嬉しそうな顔をしないでくれるか?」
部屋の中には、巨大なガラス板と、そのガラス板の前にある机が存在していた。机にはスイッチの様な物が複数配置されており、何かの装置であることだけはジンにもわかる。
「で、どんな意味があるんだこれ」
「分からないから調査するんじゃないですか。ええっと……えい!」
「あ、こら、勝手に触るな!」
どこにそんな度胸があるかは知らぬが、カナが突然、装置のスイッチを押す。すると部屋全体に鈍い地響きの様な音が聞こえだした。心なしか、部屋自体も揺れている様な。
「おいおいおい。いったい何が起こるんだ!?」
「ええっと、とりあえずこの装置が動き出しそうなスイッチを押してみたんですけど」
「一番ヤバい物を押しやがって!」
怯えるジンであるが、隣のカナは何故だか目が輝いている。こいつと共に仕事をすることについて、今後は考えなければならなくなった
「あ、見てくださいジン先輩。ガラス板の色が変わりましたよ!」
カナの言う通り、ガラス板が無色透明の状態から、青い色の板に変化した。
「ガラスの色が変わる装置なんて、なんの意味があるんだ? って、これは文字か何かか?」
ガラス板にさらなる変化が起こる。青い色の板に文字の様な物が黒い色で浮かび始めたのだ。ただ、ジンの知らない言語であるため、なんと書かれているのかさっぱりだ。
「もしかしたら、これって何かの仕事机だったりしませんかね? この板は書類代わりの物で」
「ガラスの板で書類なんて作っても、重いだけだろ。しかも壊れやすそうだ」
「そういうのじゃなくて……ええっと………もういいです」
何故かさっそく説明を諦めたらしいカナ。根気が無いのは損気であろう。
「ふうん。じゃあ他のスイッチも、このガラス板を変化させる物なのか」
「多分、そうだと思います。少なくとも、船全体に影響する様な装置では無いかと」
カナは物は試しとばかりに他のスイッチを押していく。その度にガラス板の色や中に書かれているらしき文字が移り変わるが、その内容についてはさっぱりであった。
「ううーん。変化の法則が分かりませんね。何かしらの意味があるとは思うんですが………」
「そうなのか? って、おい、ちょっと手を止めてくれ」
ジンはカナを止めようとするが、それより前にカナも手を止めていた。ガラスの板に地図の様な物が映ったのだ。
「これは………どこの地図だ?」
「多分、ハイジャングの周辺の地図です、これ」
「ハイジャング周辺? こんな地形だったか?」
ジンが知っているハイジャングの地形と、ガラス板に映る地図は大分地形が違って見える。
「ジン先輩が知っている地形より、もっと広い範囲の地図なんですよ。中央付近を広げて見れば、市販されている地図の似た地形に見えません?」
「………確かにな。ここはミドルレイ湖で、こっちがシュンジ湖か。って、それがこんだけ小さいってことは、この地図はホルス大陸の地図ってことじゃねえか!?」
地図の範囲は、アイルーツ国を越えて、隣国の地形まで映し出している。もしかしたらさらに向こうの地域も映っているかもしれない。つまり一国家の地図でなく、大陸規模の地図だということ。
「そうなんですよ。しかもハイジャング周辺の地形を見る限り、かなりの精度です。この地図だけでも、軍事的や経済的価値ってありそうですよね」
他国の地形を知ることができるのは、それだけで利用価値はいくらでもある。黒い船には、そういう価値のある物が存在しているのだろう。
「黒い船の謎がさらに増えましたね。この地図はいったい何の意味があるのか………」
「軍事的な意味を持つ地図であるってことは避けて貰いたいけどな」
「つまり、何らかの武力手段に用いるための地図かもしれないってことですか?」
半信半疑という目線でこちらを見るカナ。こっちとしても、あったら嫌なことを口に出したに過ぎない。
「例えば、この船は凄い速さで動けるわけだろ? だったら、どれだけ動いたかについて、これだけの範囲の地図が必要なのかもしれないし………」
「しれないし?」
「いや、まあ杞憂だろうさ。それより、結構重要そうな装置だってことは分かったんだから、ここは一旦調査を中止して、正式な調査を上に願い出た方が良いんじゃねえか?」
「………そうですね。あんまり大変な情報がまた映っちゃったら、私達の身に危険が及ぶかもしれませんし」
無断で知ってしまう重要な情報ほど厄介な代物は無い。見て見ぬフリができぬのなら、上役に許可を貰うのが上策だ。
「確か装置を動かすスイッチはこれだから、止めるのも同じかな? えい」
「おっ………消えたか」
ガラス板が元の透明な物に戻る。するとカナがスイッチの並ぶ机から離れて、ジンの横に並ぶ。
「それじゃあ、一旦は船を出ましょうか?」
「……今の、見なかったのか?」
「見なかったって、何です?」
どうやらスイッチの方を見ていて、カナは気付かなかった様だ。ガラス板が透明に戻る少し前に映っていた物について。
「いや、見なかったら別に良いんだよ。ほら、さっさと調査の報告に向かうぞ」
「え、ええっ、ちょっと、いったい何のことなんですか? 気になること言わないでくださいよー」
渋るカナの背中を押して、ジンは部屋を後にする。
これは単なる予測でしかない。先ほどの地図が、船の動いた距離を判断する物であるならば、地図に船以外の何かも映せるのではないか。
映せる物と言えば、それは船の味方だったり敵だったりするのではないだろうか。
そうして、これは先ほど見たガラス板の変化であるが、ガラス板が透明になる一瞬前に、地図に複数の光点が映った。その光点はいったい何を意味するのか。
(俺にゃあさっぱりさ。この船を仕留めるのでさえ精一杯だったんだからな)
ただし一つだけ言えることがある。それは、魔奇対の仕事は無くなりそうにないということであった。