第六話 『文は読みたし見る目は持たぬ』
「馬っ鹿じゃないですか?」
今日何度目かの罵声を聞いて、ジンは耳を塞ぎたくなる衝動に駆られる。それをしないのは、昨日それをした時、無理矢理耳から手を引き離されたからである。
罵声の主であるカナ・マートンの睨み顔だけでも、心が痛む物があるため、耳の次は目も閉じたくなるのも問題と言えば問題だ。
「そうは言っても、あの時はああする以外思いつかなかったんだよ」
病室のベッドで上半身だけを起き上がらせて、ジンは自身のことを弁護する。確かカナはジンの見舞いに来ているはずなのだが、何故、彼女に怒鳴られなければならないのだろうか。
「別にジン先輩がどういう作戦で行動するのかについては文句を言ってません。ただし作戦が成功した後に、動く体力が無くなるなんて、馬鹿なことじゃあないですか」
「んじゃあ、命のかかってる戦闘中に、これくらいの体力は後で温存しとかないとなんて気を使えってか? 無茶言うなよ。だいたい馬鹿とはなんだ馬鹿とは。君の方こそ、クロガネが船の下敷きになっちまう様な行動を取ってだな………」
お互い、先の作戦では無茶をした。ジンの方は肉体的なダメージが大きかったため、この様に入院する破目になったが、まあ、なんとか生きている。
カナの方はと言えば、作戦が終わってからも意識があり、五体にも深刻な怪我が無かったので、頻繁に入院しているジンの見舞いに来ていた。
「だって、そうしなきゃあ、ジン先輩が死んじゃうじゃないですか! いきなり船から何か落ちて来たなあって思ったら、ジン先輩の姿で、そのまま箱みたいな物をどこかに跳ばした後、その場で寝転んじゃって………」
「寝転んだんじゃなくて、倒れたんだよ!」
「だから倒れちゃうくらいに体力を使うってどうなんですかー!」
こんな言い合いが続くのはこれが最初では無い。彼女が見舞いに来る度に行われている。要は二人とも暇なのだ。
いくらか言葉を交わした後、とりあえず喧嘩の様な話し合いは終わり、今後についての話し合いが始まった。
「黒い船討伐作戦から暫く経ちましたけど、呼び出しとかがまだありませんよね? 働かなくても良いんでしょうか?」
「船に直接乗り込んだ連中も似た様な状況だから、暫く休んでいろってことなんだろ。君はそうじゃあないかもだが、クロガネを動かしてたんならやっぱり休むべきだと判断された」
実際は人手が必要だから、ジン達にも働いて貰いたいのが本音なのだろうが、そこは国家の意地があるというもの。働いた人間はそれなりの休養をということなのだろう。
「けど、やっぱり動けるんだから、何かしたいですよ」
カナが頻繁に見舞いに来ているのもそれが理由か。彼女としては、町の復興や黒い船の調査と言った仕事に従事したいのだろう。まだまだ町は危険な状態で、何もせずにはいられないという、随分と生真面目な性格をしているのが彼女だ。
「心配しなくても、そろそろ嫌と言うほど働かされるよ。魔奇対も国家の組織だ。人員を長時間休ませてる状態じゃないだろうしな」
国の面子と実情がそろそろ釣り合いが取れるころだろう。怪我をしていても動けるならば仕事をしろとの命令が、各組織に下る頃合いということだ。
「本当ですか?」
疑問符を浮かべるカナであるが、病室の扉がノックされる。看護の人間ほど優しくは無く、友人ほどには気安くも無い。そんなノックを聞いて、ジンはカナへ一言。
「ほらな?」
ノックの後は、こちらの返事も待たずに病室の扉が開いた。入って来たのは国防騎士団の師団長であるダストであった。
「少し良いか?」
ダスト師団長はさっそく仕事の話に入る。急を要する話なのだろう。
「箱が見つかったんですか? なら、すぐにでも話してください」
ベッドから完全に体を起こし、そのままベッドを椅子代わりにして、ジンはダストを見る。カナは話の邪魔にならぬ様、部屋の隅に体を移動させていた。
「ああ。お前の言う通り、南区の西側で見つかったよ」
ダストが答える。この病室へ来る前に、ジンがとにかく真っ先に伝えなければならない事があったので、それを伝えたのがダスト師団長だ。船の落下場所近くに彼が居たことが幸いだった。
しっかりと伝えることができなければ、おちおち休んでもいられない。
「その箱は黒い船の中枢みたいなもんですから、絶対に船へは近づけないでくださいね。まだ、箱の中で生きてる可能性だってあるんだ」
ジンが話しているのは、ブライト・バーンズの本体が入っているらしいあの箱についてだ。
あの箱を船から離したことで、ジン達は勝利することができたと言える。一方で、万が一にでもまた船に近づけて、船が再び動き出せば、目も当てられない結果となるだろう。
「安心しろよ。落ちた場所から動かさず、少ない人員を動かして警備させている」
だから落ち着けと手で制止されるジン。ベッドから少し腰を浮かしただけだ。そんな飛び掛かろうとしている様に見えたのだろうか。
「できれば、さらに黒い船から離すべきです。そうして然るべき研究機関に調査を依頼する。二度と船を動かせない様にしなきゃあならない」
「わかっているが、そこまでできるほどこっちも人手は足りて無いんだよ。とりあえず箱の確認のため、お前が直接来てくれると助かるんだが」
ダストにそう言われたので、ジンは立ち上がる。体の節々が痛みを訴えて来るものの、筋肉痛程度のそれであるため無視できる。
「ジン先輩! もう動いて大丈夫なんですか?」
慌ててカナがジンの体を支えようとしてくるが、その手を避ける。
「別に動けない程じゃあないってのは、君と同じだよ。なんなら、一緒に来るか?」
「良いんですか?」
着いて来いと言われるとは思っていなかったらしい。さっきまで、働いていないことで申し訳なさそうにしていたくせに。
「別に来たって誰かが文句を言うもんでも無いだろ。なあ、ダストさん」
「うん? こっちとしては、お前さえ来るのなら別になんだって構わないが」
ダストの許可が下りたため、カナと共に箱がある現場へと向かうことにする。あの老人に会うのは、もしかしたらこれで最後になるだろうか。
黒い船の落下現場よりも少し離れた町中。落下の際の衝撃波もあっただろうが、少し町中が汚れる程度で済んでいる。
ただし、何故か町中の一軒家が見事に屋根から潰れていた。
「おいおい。運の悪い家もあったもんだな。なんだ? 船に弾き飛ばされた瓦礫でも降って来たか」
潰れた家を見たジンの感想はそんなものだ。それが自分の借りている部屋だったりすれば慌てたりもするが、どうせ他人事である。中の住民も避難中だっただろうから、人的被害も無いだろうし、気にする様なことじゃあない。
「お前がブッ飛ばした箱の落下地点がこの家なんだがな」
ジンを横目で見てくるダスト。その言葉に冷や汗が出てしまう。
「つまり、事実上、ジン先輩がこの家を壊したってことですか。結構良さそうな家ですよ? 弁償できますか?」
カナが心配しているのか遠回しに責めているのか分からぬ言葉を口にする。
「可哀そうな家だなあ。これもまた黒い船が行なったことだと思うと、義憤に駆られるぜ。きっと国が補償してくれるだろうさ」
とにかく自分が金を払うという状況は避けなければならない。臨時騎士などという職業は、安定した収入はあるものの、基本的に安月給なのだから。
「まあ、それでも良いけどよ。とにかく中に入ってくれ」
瓦礫に近い形となった家だが、まだ基礎となる柱や壁は残っており、一応、中と外が区別されているらしい。
そうして家の奥にその箱は存在した。二人の国防騎士団員に監視されていたそれは、天上の穴からの日差しで輝いて見え、何かの宝物の様だった。皮肉めいた光景だと思う。
「間違い無い。これは俺が吹っ飛ばした箱だ」
ジンが近づくと、監視の騎士団員がジンを避ける様に横に移動する。彼らにしても、この箱がどういう意味を持っているのかわからない状態で監視していたのだから、漸くその種明かしがあると期待しているのだろう。
「じゃあ、その中にブライト・バーンズの本体……が、あるんですよね?」
疑い深げにカナが箱を見る。箱は何の反応も示さずそこにあるだけだ。
「そうだ。あの黒い船を動かしていた本人が頭だけで入ってるらしい。だから船には絶対に近づけさせちゃあいけないし、できれば今すぐにでも船から離す必要がある」
ジンの言葉に驚く監視の騎士団員。まさか自分達が守っていたものが、そんな大それた物だとは思っていなかったらしい。
「確認ができた以上、北区にある騎士団の保管所にでも移動させよう。勿論、船にこれ以上近づかないルートでだ」
ダストもジンの言葉で緊張感を持ったらしい。監視している部下達に指示を出し始める。
「なんて言うか、実感が持てませんよ。こんな箱の中にある物が、町を破壊したり、沢山の人間を傷つけたって、信じられません」
カナは箱を睨み付けているものの、その目には感情の力が無い。憎い相手を前にして、その相手がここにいるとは信じられない。そんな考えが頭の中にあるのかもしれない。
「むしろこんな箱の中にいるからこそ、世界を自分の遊び場程度にしか思わなかったんじゃあないか?」
小さな箱の内側。ブライト・バーンズにとっての世界は、その延長線上にしか無かったのかもしれない。
「なんだか、それはそれでとても悔しいです」
当たり前だ。遊び半分でこちらが生きている世界を壊されては堪らない。本人にとっては意義ある行動だったとしても、こっちから見れば迷惑千万な行いなのだから。
「なあ、ダストさん。こいつは一旦、騎士団預かりになるんだろうが、その後はどうなる?」
「どうって、確かなことは言えんが、厳重な監視の元で保管されるか、どこぞの奇跡を研究する機関にでも再度預けられるか……でなければ跡形も無いくらいに破壊されるかだ。このまま放って置かれるってことはないな」
ダストの答えを聞いて、ジンは少し考え込んだ。
「今までにやって来たことに対する罰って意味じゃあ、どれも軽いな」
「そうは言ったって、それ以上はどうしようも無いだろ、この箱」
ダストが箱を軽く叩く。体が残っていれば壮絶な拷問を。などという意見だって出るだろうが、残念ながら老人にとっての肉体はただの操り人形でしかない。
「なあ、カナ。この箱の中にブライト・バーンズの本体があったとして、外の声やら出来事がわかるもんなのかな?」
「私に聞かれたってわかりませんよ。ちゃんとこの箱を調べたわけじゃあないですし………」
となると、これからジンが与える罰は、効果があるかはわからないわけだ。
「ダストさん。ちょっと頼みたいことがあるんですが、良いですか?」
「聞ける頼みなら別に構わないぞ。そうでなければ断るだけだ」
回答になってない回答を聞くものの、この頼みくらいなら聞いてくれるだろう。
「ちょっと待っててくださいよ」
ジンはポケットから紙を一枚取り出すと、そこに何か書く動きをしてから、紙を閉じ、箱の上に置く。
「ここには俺が前に黒い船に侵入した時、船から手に入れた記憶についての情報が書かれている。多分、あの爺さんも知らなかった情報だ。ここにいる全員に頼みたいことだが、この中身を箱に見える形で覗かないで欲しいし、内容についても箱の周囲で語らないで欲しい。それでいて、箱の上にはできるだけこの紙を置いてくれ」
ジンは周囲にいる人間を見渡してから同意を求める。答えるのはこの場でもっとも地位の高いダストだ。
「別に構わないが、それは、この箱がこれからどこかに保管されたり、研究機関に預けられたりしても、ずっと箱の近くに紙を置いておくってことで良いのか?」
「はい。できるだけそうして欲しい。さっき言った取り決めもしっかり守ったうえで」
こちらの言っていることは変に思われるだろうが、あくまで真剣な提案だ。ダストもそれを汲み取ったのだろう。ジンの言葉を受け入れてくれる。
「わかった。次にこの箱を管理する人物にも、お前の言葉を伝えよう。一応聞いて置くが、お前が言った決まりさえ守れば、紙の中身を確認しても良いんだな?」
「勿論です。ただし、絶対に箱の周りで中身を明かさないこと。それだけを守ってくれれば良い」
それさえ認めてくれるのなら、ジンの提案は終わりだ。この後の箱の取り扱いに関しては、ジンに言えることはもう何も無い。
「その意味はわからないが、お前がこの箱を黒い船から引き離したんだから、引き継ぎの人間にもそう伝えて置くよ」
ダストの言葉により、箱の確認に関する仕事は終わる。後に残るのは、箱の持ち運びに関するルート決定であるが、その点に関しては、ジンが口を出せることでは無いので、ただその場で話を聞く程度で終わり、ジンとカナはこの場を去ることになった。
「あの紙って、中に何も書いてませんでしたよね?」
「なんだよ、覗いてたのか」
箱が落下した家から離れて暫くの道中で、カナが先ほど箱の上に置いた紙について尋ねてくる。
「その通りだ。何も書いてない真っ白な紙を置いてやった」
「何の意味があるんですか? それ」
「そりゃあ、あの爺さんに少しでも苦しんでもらうためさ」
町を破壊した罪は、少しでも償って貰う必要がある。効果はあるのかどうか怪しいものの、箱に老人の意識がまだ残っているのなら、もしかしたらという話だ。
「白紙の紙切れにそんな効果があるとは思えませんけど」
「箱の中にいる奴にはそんなこと分からないだろう? あの紙には、ブライト・バーンズが知らない知識が書かれている。俺はそう言って箱の上に紙を置いたんだ」
あの老人に苦しみを与えるにはどうすれば良いかとジンは考えた。肉体があったとして、通常の死刑では意味が無いだろうし、過酷な拷問も耐えてしまいかねない精神性でもあった。
ならばどうすれば良いか。そう考えた時、ブライト・バーンズが研究者であったことを思い出す。研究者であるならば、研究者としての苦悩こそが罰になるはずだ。
「疑問への答えがすぐ近くにあるのに、それに手を伸ばせない。そういうのって、やっぱり苦しいもんじゃねえのか?」
失礼かもしれないが、老人と比較的似た感性を持っているであろうカナに尋ねる。
「確かに……それは嫌ですね。ずっとその状態が続いたら、発狂しちゃうかも」
「そこまでかよ………」
思いの外に効果がありそうで驚く。あの紙は意趣返し程度の意味合いでしか無かったのだが。
「私も魔法使いですからね。未知の知識には興味がありますし、調べられるのなら調べてみたいって思いますよ。でも、箱の状態じゃあそれもできないんですから、じれったく感じるのは自然だと思いますよ」
「そのじれったさで発狂するまで至れるってのが理解できないんだが………まあ、効果がありそうなら良いんだよ」
若干、カナの考えに引きながら、ジンは納得する。
「しかも、紙の中には何も書いてないっていうのが意地悪ですね」
「万が一にでも紙の中身を見られても、中には何も書いてませんでしたってオチがあって良いじゃねえか。本当に爺さんの意識があるのなら、それがわかる瞬間が一番痛快だぜ?」
顔は既に無いのだろうが、どんな表情をするやらと想像してしまう。必死に求めた答えが白紙という気持ちというのは、いったいどの様な感情を抱くのだろう。
「………意識があれば………ですか………」
少し顔を落とすカナ。彼女の考えていることがジンにもわかる。
「もしかしたら、もう爺さんは死んでるのかもしれない。箱が魔法を使っていない時点で、その可能性の方が高いだろうな。それが悔しいか? 復讐する機会も無かっただろう」
ジン自身、あの老人を倒さねばという義務感はあったが、真に直接老人に手を下したかったのはカナだろう。老人に直接狙われて、親代わりの人物まで殺された。彼女にはブライト・バーンズに復讐する正統な権利がある。
「……でも、もう良いんです。そりゃあ相手が生きていれば、何を言われようとも復讐に走ってたかもですけど、もう、ああなっちゃった以上、吹っ切るしか無いんです」
すべてが既に終わったことだとカナは言う。攫われた事も、魔法学校の恩師が殺されたことも、老人への復讐心さえもそうなのだと。
「そう簡単に切れるもんじゃあないさ」
「え?」
「感情なんて、簡単に切り落とせるもんじゃあない。何時までだって心のどこかに引っかかるもんだし、それが普通だ。ただ、もう終わったって思えるのは大事だな。次に進もうってことだから」
そう言って、ジンはカナの頭を撫でた。お前は良くやったと褒めてやりたくなったからだ。
「ちょ、ちょっと、止めてくださいよ! いきなりなんですか!」
恥ずかしがるカナを見て、ジンは笑う。同じ仕事をする以上、彼女とはこれからも色々な感情を引きずり合うことになるだろう。だが、この瞬間はとても笑える物だ。ならば笑い、喜ばしい時を実感することこそが仕事の終わりに相応しいとジンは考えていた。