第六話 『信頼する者、信頼に答える者』
「クロガネごと船から脱出するってのなら、あの穴をクロガネでこじ開ける必要がある。できるか?」
カナは先輩のジンが指差す方向を見る。先ほど、復讐すべき相手をクロガネで潰した際に、船底に穴を開けてしまった跡である。
「あれを……さらに開けるんですか?」
黒い船は空高くを飛んでおり、その船底に穴が開くというのは危険なことだ。その危険をさらに大きくしようとするのは抵抗がある。
「外に繋がる、デカい穴が必要なんだ。クロガネが通れるくらいにな」
ということは、クロガネごと穴からハイジャングへ落ちるのが脱出方法ということか。
「あの……いくらクロガネだって、この高さから落ちれば一溜りも無いと思うんですが………」
今の状態でクロガネを動かすのは、酷く疲労して辛いのだが、とりあえずそれは置いておく。船底の穴を広げて、穴へ一歩足を踏み出すくらいのことはできるからだ。
ただし、船からハイジャングに落ちて無事に済ますことはできそうにない。
「大丈夫。俺に考えがある」
まったく信用できない台詞である。これが、わざわざ単身で自分を助けにやってきてくれた人の言葉でなければ、馬鹿なことを言うなと否定から入ったことだろう。
「……信じますよ」
今のカナは、ジンのことを全面的に信用するつもりでいた。自分で後先のことを考えるほど、今の状態に余裕が無いというのが大きな理由の一つだ。
船の記憶を流し込まれた結果、未だに体がふら付く。頭の中と視界についてはもっとだ。実を言えば、クロガネの拳をブライト・バーンズに振り下ろした時、当たるかどうかが不安になるくらいに視界がブレていた。
だから、これからどうするかについては、ジンの指示だけに従うつもりだった。
「それじゃあ、さっそくあの穴をこじ開けてくれ。早くしないと、追手が来るかもしれない。爺さん以外にも船員がいるわけだしな」
「わかりました」
クロガネの両手を空いた穴に差し込み、無理矢理両側へ開いていく。かなり固く頑丈な印象を受けるが、それでもクロガネの力は、船底の穴を広げて行く。数分の後に、クロガネが通れるだけの穴を作りだせた。もしかしたら、今いる部屋は特別床の装甲が薄いのかもしれない。
(クロガネが収容されていることを考えると、元々、床が開く構造になってたのかも……私は無理矢理穴を開けたけど)
そんなことを考えながら、自分が開けた穴を見る。ハイジャングの全貌が見える程の高さに唾を飲み込む。
「よし、良くやった。あとはこの穴から落ちるだけだな。お前は、胸部空室の扉を閉めろ。俺はクロガネの外でしがみ付いてる」
ジンの言葉に驚く。彼はその状況が怖くないのだろうか。
「空室の中なら、まだ安全かもしれませんよ?」
「俺が外に居ないと、無事に町へ着地できないんだよ」
そう言われては、無理に止めることはできない。ジンがクロガネの胸部から離れたのを確認すると、空室の扉をカナは閉める。
密室になった空室の中、クロガネの視界が、クロガネの背中側に回るジンを映す。どうやら、しがみ付くというのはクロガネの背中にらしい。
「大丈夫かな?」
若干の不安が残るものの、カナは意を決して、開いた穴に飛び込んだ。クロガネが空から落ちると同時に、カナは胸部空室内に浮遊感を覚える。それは本当に浮かぼうとしているので無く、クロガネがハイジャングへ落ちているのと同時に、中に乗るカナも同様に落下しているというだけのことだった。
「うっ、このままじゃあハイジャングに激突しちゃう………」
クロガネがこのまま落ちれば、カナ達がぺしゃんこになるどころか、下敷きになった町にまで被害が及ぶだろう。なんとも不名誉な死を迎えてしまうことになる。
「ジン先輩はなんとかするって言ったけど、さ、さすがに怖くなって来たかなあ………」
しかしもう既にカナにできることは何も無い。クロガネは空を飛べぬし、魔法を使うための巨大棍棒も、黒い船に攫われた時に、攫われた現場に落としてきてしまっている。
どれだけの高度から落ちようと、地面への接触にはそれほどの時間は掛からない。どんどん近づく地面に恐怖を覚え始めた頃、突如、クロガネの落ちる軌道が変わった。
真下から緩やかな斜め下へ。その軌道の変化に体が圧迫される。空中での軌道変化など、本来は有り得ないことだ。クロガネにそんなことができる推進力などない。
(ということは、ジン先輩が何かしたんだ)
恐らくは、新たに手に入れたらしい奇跡の力だろう。何をどうしたのかは知らないが、ジンは例の老人と戦うために、さらなる力を手に入れたらしい。そうしてその力は、現在、クロガネを空中で動かすことに使われている。
「クロガネを動かせるなんて、凄い力………けど、本当に大丈夫かな?」
恐らく、クロガネの落下軌道を真下から平行に近い斜めへと変更することで、町の外へとクロガネを軟着陸させるつもりなのだろう。
「軌道がまだ深い………」
落下するクロガネはかなりのスピードが出ている。これで安全に着地しようとすれば、それこそほぼ平行に近い形で地面に接着せねばなるまい。しかし、クロガネはまだ地面へと向かっている。
「ジン先輩………信じてますから」
ここからならジンに声は聞こえまい。だから臭い台詞を口にしてみた。
「やっぱ、自分で使う力くらいは、良く知っといた方が良いかもな」
クロガネの背中にしがみつきながら、ジンは盾を後方に向けていた。盾の力でクロガネの落下を曲げて、平行に飛ぶ様にする。そうすることでクロガネを飛行させ、安全に黒い船から脱出しようと考えたのだが、いかんせん、盾の出力がいまいち足りない。クロガネ全体の落下しようとする力を平行に移動しようとする力に変換させることが、一部しかできていないのだ。
「町への落着は防げるだろうが、クロガネは無事じゃあ済まないな。いざとなれば、カナと俺だけでクロガネから脱出すれば良いんだろうが………」
ここまで来たら、すべてを成功させたいではないか。ジンとカナは元よりクロガネだって完全に取り戻したい。
「なら、ちょっと頑張りますか」
クロガネの装甲の隙間に足を挟み、両手を後方に向ける。左手には盾を右手には剣を。盾はクロガネの落下を別の方向に曲げるために使うが、剣はさらなる出力を盾に与えるために使う。
「さて、上手くいってくれよ!」
盾が曲げる力を発揮できるのは、盾の周囲の限られた空間のみである。だからクロガネの挙動をすべて操作できないのだ。だが、盾が曲げられる力の上限にはまだ余裕もある。だからさらに盾へ推進力を足してやるのだ。剣から放出する力を。
「よっ―――うお!」
盾の前方に向けて、剣の力を放出する。相互に干渉した曲げる力は、ジンの意思により一方向へ収束していく。放出された力の反発により、クロガネの軌道がどんどん持ち上がった。ほぼ平行、少しだけ落下方向にクロガネの軌道が安定したのは、もう少しで地面と接触する寸前であった。
あとはこのまま少しずつ盾の剣の力を減少させて、クロガネを軟着陸させるだけ……なのだが。
(やばいな……手がキツくなってきた。体全体も軋んでる様な……)
クロガネと剣と盾の力を繋いでいるのは、ジンの体のみだ。クロガネの様な巨体をジンだけで支えている状況であるので、ジンの体に負担が掛かり過ぎてしまう。
「頼む。あと少しだけ持ってくれよ」
クロガネの足が地面に接触していく。激しい揺れがクロガネ全体を襲い、体にガタが来ていたジンにとっては酷な状況になる。
「まだだ。まだ力を抜くには早い」
今、力を抜けば、着地の際に、落下速度分の衝撃が一気にクロガネやジン達を襲ってくる。それでは駄目だ。徐々に力を調整し、ゆっくりとクロガネを止める必要がある。
しかし体への負担から、もう力を抜いても良いのではないかという誘惑に駆られる。すでにクロガネは地面に足を着いているのだ。ここで力を抜いても大丈夫なのでは。
(くっそ、甘えるなよ。仕事ってのは最後まで手を抜けないから仕事なんだ)
体の痛みに耐えながら、剣と盾が放出する力の調整を続ける。クロガネの足は地面の表層を抉りながら、さらに進んでいく。地面との摩擦力が高くなり、クロガネの速度は減少し続ける。その減少速度と、ジンの奇跡の力。その二つを上手く組み合わせて、できるだけダメージなくクロガネを停止させていく。
「もう……少し!」
クロガネが完全停止する少し前に、剣と盾の出力を上げた。少しだけクロガネを浮かせる様に曲げる力を傾けた結果、クロガネは地面から離れ、そのすぐ後に着地する。地面から響く様な衝撃がジンにも伝わるが、なんとか体は無事だ。クロガネの方も、なんとか立っている。
「は、はは。成功しちまったよ。あの黒い船に侵入して、カナとクロガネを奪還。クロガネの方も、まあ見た感じ無事のまま。十分にやれたんじゃ……ない…かなって、うわっ」
クロガネが停止し、後方へ放出する力を止めた結果、足だけでクロガネの背中にしがみついていたジンの体が、クロガネからずり落ちた。ジン自身、気が抜けてしまったというのもある。
「くっそおお、確かに最後まで油断しちゃあいけないよなあ………」
頭から地面に落ちたせいで、視界がぐらぐらと揺れる。そんな頭を擦りながら、ジンは空を見上げた。
「まだ悠長に浮いてやがる。近いうちに落としてやるから覚悟しとけ?」
既に夕暮れとなった空の彼方に、黒い影が映る。先ほどまでジン達がいた黒い船だった。今回はカナ達の救出で終わった接点だが、すぐに決着の時はやってくるだろう。
「ジンせんぱーい。大丈夫ですかー」
クロガネの胸部から、弱弱しいカナの声が聞こえて来た。ジンがクロガネの背中側にずっと居たため、安否が分からないままだったのだろう。
「大丈夫だー! なんとか生きてる。少し休んだら、ハイジャングに作戦の結果報告をしに行こう」
もしかしたら休んでいる内に、ハイジャングからの救援がくるかもしれない。そうだったら良いなと考えながら、ジンはクロガネの足に背中を預けて、暫く目を閉じることにした。
休憩は取れるときにとっておくべきだ。なにせこれからは、黒い船とブライト・バーンズとの決着のため、暫く十分に休めない日々が続きそうだから。