第六話 『ぶつかり合う者達』
カナがクロガネ整備用テントに辿り着くまでに、二度の衝撃音を聞いた。どれもがハイジャング中央からの物であり、あの玉型ゴーレムが他にも二体撃ちこまれたことを意味するのだろう。
「急がなくちゃ!」
テントに辿り着いたカナを待っていたのは、既に動かすことができる状態のクロガネと、来るかどうかもわからないカナのために仕事をしていた整備班員達だった。
「緊急なのは知ってる! 早くこっちに来てくれ!」
整備班長のワーグがクロガネ胸部から縄梯子を降ろしてくる。地面近くまで降ろされたそれを登り、カナはクロガネ胸部空室に入ろうとしたところ、ワーグに話し掛けられた。
「お嬢ちゃん。ちょっと待ってくれ、説明がある」
「なんですか?」
ワーグは右腕の親指だけを立てて、仰向けになっているクロガネの横にある、別の巨大な構造物を指差した。
「あれのことだ。クロガネの2号装備って奴でな。漸く用意できたんだ。今の状況なら、きっと有用な武器になるはずだろう」
カナにぶっつけ本番でその装備を扱えということだろうか。若干の不安が残る事である。これまでに用意されたクロガネの装備というのは、あまり戦闘向きでは無いというか、ぶっちゃけちゃんとした装備とは言い難かった。
「どういう装備なんでしょうか?」
「一言で言っちまえば、棍棒だ。クロガネ用のな」
なるほど。クロガネ程の巨大なゴーレムの武器を、本気で用意しようとすれば、単純な機構の道具になるだろう。それで棍棒だ。というか持つための柄を加えた岩の塊と言った方が良い程の物だろう。
「あれだけ大きければ、ただの棍棒でも大した物になるってことですか」
「敵さんも巨大な奴らばっかりだからなあ。武器があるに越したことは無いだろう? それに、こいつは少し細工してあるんだ。お嬢ちゃんが持ってきてくれた資料も参考にしてな」
「そうなんですか? いったいどんな?」
「詳しくはこれに書いてある。クロガネを動かす準備の間にでも、流し読みしといてくれ」
そう言って、ワーグは紙を一枚渡してくる。彼の荒っぽい字でびっしりとクロガネ用棍棒の説明が書かれていた。これを短時間で読めというのは中々難しいことであるが、今は緊急事態だ。やってみせようではないか。
(資料を読み解くのは得意分野だから………大丈夫!)
今だにクロガネを動かすことへ恐怖を感じるカナである。せめてこういうところで自分の特技を発揮できなければ、本当に役立たずになってしまう。
切羽詰った状況だからこそ、能力を発揮できたらしいカナ。本当に動かす準備をしている間に、紙に書かれた説明書きを読んでしまえた。
「思った以上に、あの棍棒って凄いみたい。っていうか、作るのにどれだけお金が掛かったんだろう………」
棍棒だというのに、それに使われている素材は非常に高価な物だった。それは棍棒自体の性能や、付け足しの能力のために使われた物だったが、あの巨大な棍棒の素材となれば、ただの石だってそれなりの値段になるはずなのだ。
「と、とにかく。それを私が使うんだから、しっかりしないと!」
そうこうしている内に準備ができたらしい。クロガネの胸部空室内部にはテントの天上が映り、そのまま立ち上がる。既にワーグや整備班員達は動くクロガネの邪魔にならぬ様に移動している。相変わらず動きが早い。
「向かうのは町の中央。まだ大丈夫なら良いけど………」
クロガネが立ち上がると同時に、テントが開かれる。一歩踏み出せば地響きを立て、二歩目は地面をめり込ませる。手には巨大な棍棒を持つ巨人が、今歩き出した。目指すは町の中央。テントから離れ、町の方向を向くクロガネ。
「町は……どうにもなってない? どうして?」
クロガネの高さからなら、町を見渡すことができる。そして町の中央には撃ちこまれた砲弾、それが変形した玉型ゴーレムが暴れているはずだった。
確かに玉型ゴーレムの姿は見えるが、何故か町の中央を占拠した段階で、その動きを止めていた。
「何が目的なの? もしかして……町の中央を狙ったのも、本来の目的じゃあない?」
カナがそのことに気が付いた瞬間、町中央にいる玉型ゴーレムが動き出す。変形させた手足を、また外殻に納め、クロガネがいる方向へ転がり始めたのだ。
「最初から、クロガネを動かすことが目的だった!?」
驚くカナは、迫る三つの玉に対してクロガネを身構えさせる。ただし三つ同時に相手ができるだけでは無いため、狙いは一つ。真正面から迫ってくる玉型ゴーレムだけ。
クロガネの右腕に持たせた棍棒の柄を、もう一方の腕にも握らせ、振り被る。
「町を潰しながらこっちに来てる………よくも!」
ドラゴン襲撃から漸く復興を始めたハイジャングの町が、また良くわからぬ奇跡によって蹂躙される。そのことに怒りが湧くカナ。いつの間にか恐怖による体の震えは消えていた。どうやら自分は本番になって漸く心を落ち着かせる性質らしい。それが良いのかどうかはわからない。ただし、今、この瞬間に戦う気持ちが生まれるというのは幸運だ。
「こっのおおお!!」
玉はまっすぐこちらに向かう物程にクロガネへの接近が早い。つまり真正面から来る玉こそが、もっとも早くクロガネへ接触する。もしかしたらそのままクロガネに体当たりでもするつもりだったのだろうか。
しかしカナは正面の玉に向かって、振り被った棍棒を全力で叩きつけた。
「あっ痛!!」
クロガネの痛みがカナへ伝わるわけでも無いのだが、棍棒と玉型ゴーレムがぶつかった瞬間の衝撃がカナのいる空室にも伝わり、舌を少し噛んでしまった。ただ、その甲斐あってか、棍棒にぶつかった玉型ゴーレムは、クロガネから弾き飛ばされ、あらぬ方向へと跳ねた。それを確認すると、カナはクロガネに膝を突かせ、安定した体勢にさせる。玉型ゴーレムを一つ弾いても、他の二つはそのままだ。そしてその二つが何をするかと言えば―――
「来た! くっ……!!」
クロガネが一つ目の玉型ゴーレムを弾いた時以上の衝撃がカナを襲う。クロガネの両脇から、二つの玉型ゴーレムがぶつかったのだ。振動は尚も続く。回転して進む玉は、そのままクロガネを潰そうとしてきていた。
「な、め、な、い、で!」
クロガネに感情移入するかの如く力を振り絞り、両脇にいる玉型ゴーレムを、クロガネの両腕を伸ばすことで少しだけ弾き、空いたわずかな隙を使って一歩後退。尚も進もうとする玉型ゴーレムは、お互いぶつかり合って、激しい火花を上げている。大きさが大きさなので、火柱と言っても良い激しさだ。
カナはその勢いを利用するため、片方の玉型ゴーレムの後部をすぐさま棍棒で叩く。ぶつかり合う玉型ゴーレムの均衡が崩れ、叩いた方の玉型ゴーレムは勿論、それに押されたもう一方も弾け跳び、辺りを転がる。
「これで三体とも………駄目か」
跳んだ三つのゴーレムであるが、跳ね飛び終えた後に、再び四肢を外殻が迫り出させ、こちらへと向かってきた。今度は単なる突進で済ますつもりではないらしい。
こちらは新しい武器を持って全力で叩いたというのに、なんたる頑丈さだ。黒い船から射出される物だからか、壊れ難くできているのかもしれない。
「だからって、倒せない敵なんかじゃあ無いはず!」
不細工な恰好で動く玉型ゴーレムの内、もっとも近くに存在する物へこちらから近づき、再び棍棒を振るう。しかし玉型ゴーレムはその一撃を腕らしき部分で受け止めた。随分と不細工な四肢であるが、力は相応にある様だ。
「なら、こういうのはどう?」
玉型ゴーレムが受け止めた棍棒が青く輝く。魔力の光だ。以前、カナはクロガネに魔法を使わせたことがあるが、その時は一度魔法を使っただけで精いっぱいだった。
それに対する反省と、カナが持ち込んだ資料を元に作られた改良されたこの棍棒は、魔法使いの杖の役割も与えられていた。
というのも、棍棒の芯にあたる部分には、かつて町を襲った巨大ドラゴンの竜骨が使われているのだ。
ドラゴンの背骨にあたる部分の骨は、金属質の光沢を持ち、柔軟かつ頑強だ。巨大で荒っぽい使い方をするクロガネ用の棍棒の芯としては適当である。さらに竜骨には、魔力を増幅する力もあり、棍棒に少し細工をするだけで、巨大な魔力増幅器としても扱うことができた。
勿論、この竜骨は貴重な物であるのだが、町に残ったドラゴンの骨の処理の多くは国が管理していたので、棍棒に使う分の量は用意できたというわけだ。勿論、竜骨を扱う市場からは多大な文句が来ただろうが。
兎にも角にも、クロガネは武器の棍棒を持つと同時に魔法使いにとっての杖も持っていたことになる。この杖を使えば、もっと効率的にクロガネに魔法を使わせることができる。クロガネ自身にある魔力の増幅機能と、新たに用意した杖。その二つの相乗効果で、カナにそれ程負担を掛けないままで魔法が発現した。
「これで、どうだ!」
棍棒から炎が吹き上げる。炎はその大きさと共に、相当な熱量を持ち、棍棒を受け止める玉型ゴーレムの腕を焼き、溶かしていく。勿論、クロガネまで焼かぬ様に魔力の調整はしてあった。前回の様にこちらまで延焼するなどは避けたい。
「ダメージはあるはずだけど……少しは頭が回るみたい」
すぐに玉型ゴーレムは棍棒から手を離した。ほんの少し相手の腕を溶かした程度で終わるが、敵の防御を崩せるというのは力強い。
「ダメージがあるのなら、何度だって!」
玉の状態ならそれなりの速さがあるものの、四肢を伸ばした状態の玉型ゴーレムは鈍重だ。カナはもう一度炎を纏った棍棒で玉型ゴーレムを叩いた。激しい衝撃がクロガネにも伝わっている以上、玉型ゴーレムはもっとだろう。だと言うのに、まだ敵は動ける様子。
「中に人が乗ってないのかな? だからどれだけ衝撃を受けても倒れない………」
厄介な敵だ。いや、厄介で無い敵の方が珍しいか。ただもっと嫌なのは、他の二体のゴーレムも、クロガネに近づいてきていることだった。
「一体だけならなんとかなるのに、三体同時だなんて………」
魔法を使っても、素早く倒すことができない以上、三体一の状況が続いてしまう。このままでは敵を倒すより先に、こちらがバテてしまいそうだ。
「何か……何か方法は………」
武器も戦うためのゴーレムも用意してもらった。だから、戦いの中で敵に勝つ方法くらいは自分で考え出さなければ。
カナは目の前の玉型ゴーレムと迫る他二体を見て、それらに打ち勝つ方法を模索する。
ハイジャングの外縁部で巨大ゴーレム達の戦いが始まった頃、フライはこれから来るであろう客人を待っていた。クロガネの戦闘行動によって揺れるハイジャングの町で、大凡人を持て成す状況では無いことをフライ自身もわかっているが、せめて自分だけはと姿勢を正して、開かれるはずの扉を見る。
来るなら今だろうと考えていたが、本当に予想通り、執務室の扉が開いた。
「準備万端と言ったところだな、ミハエル・アーバイン。ただ、自ら赴いて来るとは思わなんだ。私は君を買い被っていた様だ」
開いた扉の向こう側には、特事の長であるミハエル・アーバインが立っていた。そうしてノックも挨拶もせずにずけずけと部屋の中へと入ってくる。後ろには彼の部下であるギャリウスという男が続く。今回の仕事はそのギャリウスが主役だろう。人に恐怖を抱かせる強面の顔は、飾りでは無いことを証明しに来たのだ。
「………こうなることを予想していたのでしたら、もっと警戒した方が宜しいのでは? あなたは今、命の危険と隣り合わせにある」
ミハエルが漸く口を開いた。その口から出てきたのは、敵意以外の何者でも無かったが。
「やはり私を殺しに来たか。敵対者は口を封じてしまうのが一番手っ取り早いからなあ。ならば尚更、君自身が来る必要は無かった。そこの男にすべてを任せておけば、万が一に失敗しても、自分の命令では無いと責任逃れできたのに」
暗殺などと言う仕事は、組織の長がすることではない。正道や邪道の話では無く、立場の問題だ。ハイリスクハイリターンな仕事というのは、それに賭けることができる様な、立場の軽い人間がすべきなのである。
「続く言葉は、私の行動のせいでギャリウスを足きりに使えなくなった……ですか? 我々の仲間割れを狙っているのなら意味の無いことですよ。私の考えをすべて理解した上で、ギャリウスには同行して貰っている」
何時の間にかミハエルの隣に立っていたギャリウスと、目線で会話をしたらしいミハエル。なんとも良い意思疎通方法ではないか。部下との信頼関係という一点のみだけを見れば、羨ましい限りだ。ただ、どれだけ信頼関係があったとしても、暗殺などという仕事を頼まなければならない関係などというのはまったく羨ましくないが。
「ならば尚更、そこのギャリウス君にすべてを任せるべきだったな。なんだ君は? どうせ十分な戦闘訓練も受けておらん身だろう? いったいこの場で何の役に立つ」
ハッキリ言って、暗殺という場においてミハエルの存在は邪魔以外の何者でも無い。格好を付けるためにわざわざ来たというのなら、もう呆れるほか無いではないか。
「言葉を謹んでいただけますか? 気が短いつもりはありませんが、繰り返される挑発にはつい乗ってしまいたくなる。私が来た目的は勿論ありますよ? 端的に言えば、あなたの助命です」
挑発しているのはどっちだとツッコみたくなる。助命だと? 笑わせるな。
「そちらの言うことを聞けば、命だけは助けてやる。そんなところだろう? いやいや、偉そうな物言いだ。それに縋りつく人間だと思われるのは心外だよ」
「そうじゃあない。あなたは、私達の目的を知らないからだ。私達が、ただ単に権力だけを欲していると思ったら大間違いです」
なにやら講釈を始めたが、隣に立つ強面の男はこちらを睨んだまま、腰に下げた剣から手を離さないため、胡散臭さしか感じない。
「ほう。ならばどの様な目的が?」
「これを見ていただきたい」
ミハエルは服の左腕の袖を捲る。そこには一本棘が生えていた。服を着込めば分からぬほどの物であるが、ミハエルの腕から直接生えている。
「………奇形か?」
「その通り。そして奇跡の産物でもある。この棘は周囲の微妙な振動を感知して、壁の向こうにいる人間の動きなどがわかったりする。まあ、そういう奇跡を私は生まれつき持っていた」
つまり奇跡所有者を人員に含める特事の長が、そもそも奇跡所有者だったということか。妙に勘が鋭いところがあると思っていたが、奇跡によるところもあったのだろう。
「貴族で奇跡所有者とは、中々複雑な人生を送ったことだろうなあ」
奇跡所有者へと蔑視というのは純粋な本能から来る危機意識だ。だからどの様な社会階層の人間でも、奇跡所有者を平等に嫌う。フライの様に有用な能力を持つ人間と奇跡所有者を見るのは、己が能力に自信を持っているからであり、そういう人種は少数だ。
「まったくですよ。これのせいでなかなかに苦労した。だが、能力を得たことでの利益もありました。そうして思うのです。奇跡とは他者よりも優れた力であって、決して劣った物の象徴では無い……とね」
なるほど。ミハエルが考えていることがフライにもわかった。そしてこれから何をフライに伝えようとしているのかも。
「だからむしろ、奇跡所有者が優遇されるべきだ。それこそ、国を統治する側にならなければならない……とでも言うつもりかね?」
「言うつもりです。笑い話に聞こえますか? しかしこれは当たり前の話だ。能力が優れた物は優れた立場に立つべきです。そういう点に関して、私はあなたを評価しているのですよ。あなたは部下の一人に奇跡所有者を抱えている。何故です?」
「組織にとって必要な人材が、奇跡所有者だっただけの話だ」
「そこです」
ミハエルが棘の生えた方の腕をこちらに向け、指差してくる。
「能力を持つ者を正当に評価できる。それもまた優れた能力だ。私はあなたの能力を評価している。もし、あなたが我々側に付いてくれるのなら、命は奪わず、むしろ重用するつもりなのですが」
「冗談じゃあ無い。そんな話になぞ乗れるか」
まさかこんな馬鹿話を聞かされる破目になるとは思いも寄らなんだ。これならさっさと本題を進めて置けば良かったか。ただ、そっちの方も暗殺などと言う血生臭い話になるが。
「やはりあなたも、本音では我々奇跡所有者を蔑んでいるということですか。話の無駄だった様だ」
勝手に期待して、勝手に失望されてしまった。最初からこちらは話に乗らない姿勢を貫いているのに。
「見解の相違だよ。奇跡所有者がその力故に優秀? あんなものは個性の一つに過ぎんし、持っていたからと言って人の上に立てるなどと断言できる君の考え方は、申し訳ないが失笑物だ」
結局、蔑まされた復讐に権力を利用しているだけだ。まあ、個人の感情としては理解できるが、権力機構の一員として働いてきた側としては、到底認めることなどできない。
「君は優秀そうだから、てっきり分かっていると思っていたが、権力の頂点というのは、能力の過不足で成る物では無いし、成るべきものでも無い。そういうのは、血筋や周囲にどう思われているかで決まる。奇跡所有者は残念ながら、その点で失格だな」
権力を動かすのに有能さが必要ならば、フライの様な下っ端が働けば良いだけの話。上に立つ者とは、多くの人間が上に立たせても良いと考える人間で無ければならない。それには人格や能力が重要なのでは無く、この人間なら支配されても良いと思わせる存在としての力が必要なのだ。奇跡所有者は他者から蔑まれているという時点でその資格が無い。
「決裂した以上、どうなるかは分かっての発言と理解しました。ギャリウス、やりなさい」
以前はやめろで今回はやれと来た。その言葉だけで人の命を左右しているつもりか。隣の男はミハエルの命令を聞くと、体を変化させ始めた。右腕が肥大化し、袖を破る程の大きさになる。
「彼もまた奇跡所有者か」
「力持ちになるという単純な物です。彼にはあなたが瓦礫に押し潰されるという現場を作っていただこうと思いましてね」
町はゴーレムが暴れているせいで地震の用な振動が頻繁に発生している。先ほど、近くに玉型ゴーレムが撃ちこまれたということもあり、魔奇対の執務室の壁や天井が崩れて、フライがその下敷きになるというのも有り得る話かもしれない。人為的に起こされたなら堪ったものではないが。
「そこらの壁を崩して、破片を凶器にするくらいはできそうだな。いや、随分と痛そうだ。できれば遠慮したい」
「もう遅せえよ、おっさん」
初めてギャリウスという男が喋った。彼はこちらを睨んだまま、執務室の壁へ近づくと、肥大化した腕で殴り付けた。殴られた壁は、まるで積木でも崩した様に壊れ、辺りに破片が散らばる。
(修理代に幾らかかるだろうか。思ったより脆い壁だったから、手抜きだと文句を言って業者から修理代金を値切るのも有りか)
壊された壁についての算段を始める。勿論、この場で生き残ることを確信しているからの発想だ。
「良く考えてみたことはあるかね? どうして私は自分の命が危機に陥っているというのに、余裕の顔をしているのかを」
「この後に及んで、ハッタリかまそうとしてるだけだろうが!」
ギャリウスはフライの言葉を待たずにこちらへと迫る。執務室はそれほど広くないため、ギャリウスがフライに殺人的な一撃を加えられる距離まで近づくのは、数瞬も掛からない
近づいて来た以上、その体が大きくなった様に感じる。事実、奇跡の力によって右腕が肥大化しているし、右腕程では無いだろうが、体全体が奇跡の力によって大きくなっているのかもしれない。その力を込めた瓦礫の破片でフライを叩くつもりなのだ。
(ああ、これは当たれば死ぬな)
死が近くなると時間の感覚が遅くなるものなのか。ギャリウスの動きが鈍間に感じる。だが、それでもフライが逃げるだけの時間は無いだろう。
ギャリウスが手に握った破片をフライに振り下ろそうとする。そのすぐ後に、激しい衝撃音が執務室内に響いた。