第五話 『仕事の時間』
国防騎士団のダスト師団長にハイジャング自警隊長のボーガード・ガルツ。ハイジャング周囲に領地を持つ貴族達の代表約であるアルシュ・ウーナ。最近になって定期的に集まる様になったこの面々を見て、女王であるミラナ・アイルーツは、溜息を吐きたくなった。
(どうしてみんなむさい男なのかしらねえ。息が詰まりそう)
失礼なことを考えながら、会議室の机に肘を突き、下がろうとする顎を支える。随分と斜に構えた体勢であるが、誰も注意しない。何故なら、集められた誰も彼もが慌ただしかったからだ。
暇そうにしているのはミラナぐらいで、ハイジャング中央の庁舎内部にあるこの会議室は、先程述べた人間以外にも、多くの人間がひっきりなしに出入りしている。危機対策中央会議室と仮ではあるが名付けられたこの場所は、度重なり町を襲う奇跡に対して、機能的に多数の組織を動かすために配置されている。
動く木々が町を襲いかけた際に初めて設置され、実際に木々を撃退できたという成果があるためか、既にそれなりに重要視されていた。
今回もそうだ。町に黒く巨大な空飛ぶ船が接近しているという報告が入ると、すぐさま会議のメンバーが招集された。そして各組織の代表は、互いの動きをこの場で取り決め、各々の部下に指示を出していく。
ミラナと言えば、ただそれを眺めるだけである。本来なら会議の中心になるはずの自分がこうも暇なのは、他の会議のメンバーが総じて優秀だと言うのがあるだろう。
(誰かに伺いを立てなくても、さっさとやる事を決めちゃうのよねえ。私ったら形無しよ形無し)
最近になって発足した会議であるためか、動きにしがらみが少なく、流動的だ。こういう会議にありがちな組織間同士の罵り合いも、最少に抑えて実務へとすぐに移る。今指示を出していることは、接近する黒い船の監視と、町への人員配置である。国防騎士団とハイジャング自警団の警備範囲はどこまでか、町や周辺地域の避難はどのタイミングでどれだけの広さに行うかなどなど。恐らく致命的な状況になる前には対処を完了するだろう。
そうやって仕事を完璧に行う人材がそろっているのだから、自分がここにいる必要は無いのではとミラナは思ってしまうが、そうでもない。例えば時たま重要な仕事が転がって来たりする。
「失礼します女王陛下。王宮周辺の警備についてなのですが………」
ダストがこちらへとやってきて、ミラナに話し掛けてくる。
「王家の警備に関しても、あなた達に一任しますわ。王族だからというのでは無く、迫る危機に対してどうすれば対処し易いかという観点で考えてくださいな」
こうやって、どうでも良さげなのだが、王家の許可を得なければならない案件を、ミラナの一声で決定するのだ。ここにミラナが居なければ、無駄な時間を費やしてしまうだろう。
また、もう一つここに居なければならない理由があった。
「それと、黒い船自体への接触ですが」
「その件に関しては、わたくし直下の組織に任せてありますの。事前に決めた第一接触ラインを越えればあなた方に動いて頂きますけれど、それまではその組織に任せていただけません?」
直下の組織とは、即ち魔奇対だ。クロガネの管理を任せている手前、ミラナが持つ最大戦力と言えるのだが、今回、黒い船に対して矢面に立たせているのは、それが理由ではない。そもそも黒い船の発見報告をしてきたのが魔奇対だったのだ。
(おかげで、この会議の招集もすぐに行なえたのよね。空に物的証拠があったというのもあるけれど)
招集はミラナ自身が行なった。だから会議の場にいなければならない。また魔奇対の代表者的な意味合いでもここに存在しているが、そこはあまり重要視されていない。
「大丈夫なのですかな、随分と少人数の組織なのでしょう?」
今日何度目だろうか。同じ質問をハイジャング自警隊のボーガードが繰り返す。
「能力的には半々と言ったところですわね。ここだけの話、黒い船については、空に発見する前から追っていましたの。だから他組織よりかはその存在を認知している。ただ、あなたの心配する通り、組織の人数自体が少ないですから」
魔奇対があの妙な空飛ぶ船を追っているというのは、ミラナも最近になって知った事柄だ。奇跡への対策のためとは言え、雇用主であるミラナにすら秘密主義で押し通そうとするのはどうかと思ったのだが、この場では話をスムーズに進めるため、ミラナの指示で黒い船の調査を行っていたということにしている。
(後になって、きっちりと問い詰めてあげなくちゃ)
感情を表に出せるなら、怒りと笑いが混じった顔を浮かべていたことだろう。この場では混乱を呼び込むだけなので自制している。
「やるだけやっておくという程度に考えるわけですな。確かに船が何をしでかすか分からない以上、大きな組織が半端に動くわけには行きませんか」
ボーガードはなんとか納得してくれたらしい。まあ、女王である自分に面と向かって反論できないだけかもしれないが。
「あのクロガネとかいう巨大ゴーレムはどうです? 例えば船が直接町へと落ちて来た場合、それを止めるのに使えたりなどは?」
次に発言したのは貴族代表のアルシュだ。ハイジャングでは無く、その周辺地域の代表者であるためか、町が直接襲われるかもという大胆な言葉を、ためらいなく発言してくる。
「できればそうなる前に船をどうにかしたいところですわね。まあ、有事の際には動かせるとだけは」
やはり感情を表に出さずに自制するミラナ。実は今の発言には嘘が混じっていたのだ。クロガネは、すぐに動かせない状況にあるという事実を隠している。
(動かせるはずのカナちゃんが、休暇中なんて、そんな理由話せるわけないでしょう!?)
本来であれば、ひっぱっても連れてくるべきだと考えるが、魔奇対の室長曰く、休暇というのは建前で、色々と複雑な事情がある様だ。しかしそれはミラナとは関係の無い話である。いざとなれば無理にでもと言っておいたが、その時のフライ室長の顔を見る限り、難しそうではあった。
(まったく。ちゃんとした理由があるのなら、その理由を話しなさいな)
久しぶりに疲労を感じるミラナだったが、それをおくびにださずに微笑むのが女王の仕事であった。
ミラナが心配しているカナ・マートンであるが、現在は魔奇対の執務室にて待機している。
フェンリス魔法学校の封蔵図書に籠っていたカナだったが、フライの使いでやってきたらしい国の事務員(その様な相手にフライが命令を下す権限など無いはずなのだが)に呼び出されて、ここまでやってきていた。
「すまんな、マートン君。部下を休暇中に呼び出すなど、上司としては能力不足を実感してしまうよ」
「いえ、その、構いません。なんだか町中が慌ただしいみたいですし」
魔法学校を出て驚いたのが、町の自警団が避難誘導をしていた事だ。すぐに何かあったと確信し、ここに来て説明を受けた。
「ジン先輩が言っていた、黒い船が町に近づいて来てるんですよね? 私、もしかしてクロガネに乗った方が良いんでしょうか?」
黒い船は奇跡と呼ばれる事案に該当しているだろう。そうして、奇跡に対抗するためにクロガネがいるのである。
「ジンの奴が言っていなかったかね? 嫌がる子どもに無理強いするほど、我々は落ちぶれてはいないよ。と言っても、本来なら君も避難者の一人として扱うべきなのだが、周囲を納得させるために執務室に待機させている。クロガネは何時でも動かせるなどと言う建前のためにな。申し訳ない」
「そんな、えっと、そんなことないです!」
頭を下げてくるフライ室長を、慌てて止めるカナ。どうにも気を使われていることが嫌でもわかり、居心地が悪くなる。
「まあ、クロガネに関しては君の意思を尊重するから安心してくれたまえ。そもそも、動かさなければならない事態になるかどうかもわからんしな」
「今はジン先輩が黒い船に接触しようとしてるんでしたっけ?」
ジンはこの場に居らず、魔奇対に任された黒い船との第一接触の任務に就いていると聞いた。
「それに関してだが、まあ十中八九失敗するだろう」
「失敗するんですか?」
仕事に対して、最初から失敗すると断言するフライ室長も珍しい。失敗したら責任が自分に来るから、意地でも成功させろというのが彼らしいやり方だと思うのだが。
「考えてもみたまえ。空に浮かぶ船に、ジンがどうやって接触するというんだ。ここから見る限りでも、大した高度だぞ?」
フライ室長は執務室の窓を見る。日が傾き始めた空では、青い色に反して、黒い楕円形の何かが飛んでいた。まだハイジャングから距離があるだろうが、確実に近づいてきている。
「確かに、接触は無理そうですよね。じゃあなんでわざわざそんな命令を………」
「建前やら意地という奴だろうなあ。あの船の発見報告をしたのはうちだし、以前から調査をしていたのもうちだ。となると、黒い船に関する仕事は魔奇対の担当ということになるのだが、まあ手に余る事件だ。魔奇対だけでは対処しきれん。だからまず魔奇対に仕事を失敗してもらって、じゃあ別の組織とも共同で、という話になる」
なんともややこしい。ただ、最初から特に成果の無い仕事であるからこそ、ジンに危険は及ばない可能性が高いだろう。なら、少しは安心できるかもしれない。
「なら、暫く待機の命令は正しいんですね。まだ本格的に動く状況じゃあないと」
失敗する可能性の高い事をしていられるくらいの余裕はあるらしい。
「だろうなあ。ただ、避難誘導は人手が必要だから、一見して忙しく見えるだけだろう」
本当に忙しくなるのは、あの船がハイジャング最接近した時だと話すフライ室長。そうなった時、カナはどうするべきだろうか。実を言えば、クロガネに乗ることを想像すると、少し体が震えるのだ。
以前、ジンが言っていた。自分の本音は怯えていると。確かにそうかもしれない。親代わりだったフレア・マートンを殺されて、自分は憎悪や怒りに燃えるどころか、意気消沈してしまっているのだから。
(今でも、動かせないでいられるならって思ってる。なんて情けない………)
震える右手を強く握る。それで恐怖を潰せるのなら良かったのだが、ただ手が痛くなっただけだった。
黒い船が第一接触ラインを越えたとの報告がミラナの耳に入ったのは、太陽が赤く染まり始めた頃だった。
どうやら事前に接触を試みた件は失敗したらしい。それに関しては予定調和であったので、別に気落ちも失敗した相手に失望もしない。ただ、その時がやってきたと実感するだけだ。
危機対策中央会議の他のメンバーも同様だろう。奇しくも魔奇対の失敗は、本番開始の合図として会議の全員に認識されていた。
「さて、事前の取り決め通り、黒い船を撃退する方向で話を進めようと思うが」
自警団らしく過激なことを言うボーガード。老齢ながらも心は若いままか。それに反論するのは国防騎士団のダストだ。
「まってくれ。まだあの船の目的が町を害することとは決まっていないだろう。余計な刺激は状況を悪化することになるのでは?」
ミラナは思うのだが、ハイジャング自警団と国防騎士団は、ハイジャングの町においては仕事が似通っているのに、言うことは正反対である。組織としての性格か。それとも単に反目しあっているだけか。
「どちらにせよ、どうやって空飛ぶ船にこちらの意思を伝える? 魔奇対とやらはそれに失敗したが、我々も同じ問題に直面しているのだぞ?」
貴族のアルシュが根本的な問題を叩きつけて来た。彼は一人冷静だ。ミラナは? 勿論焦っている。ここでクロガネを動かしてみればどうだろうなどと聞かれれば、どう答えろというのだ。
「長弓で一本矢でも届かせられないものなの? それすら無理なら、どうしようも無いわね」
話がクロガネとは別の方向へ話を進ませる様にミラナは発言する。個人的には建設的な発言をしたつもりでもある。ただし国防騎士団のダストが首を振る。
「そのどうしようも無い状況ですな。監視のために出した部下の報告では、相当な高度を保ったまま、あの船は飛んでいるらしい」
なるほど、第一の作戦に失敗した魔奇対に対する罵倒が不思議な程の無いと思ったが、その失敗を笑えぬ状況だったかららしい。このまま悠々とハイジャングの上を飛ぶ船を、眺めていることしかできないのだろうか。
「あら? ちょっとお待ちになって? 空高くを飛びながら、どうやってハイジャングを攻めるというのかしら」
ふとした疑問を抱くミラナ。その疑問は会議のメンバーにも伝播したらしく、次にボーガードが口を開いた。
「そもそも、船で町を攻めるつもりかどうかも怪しい状況ですなあ」
「そうよねえ。町を攻めるなら、もう少し低い場所を飛ぶ物じゃあないかしら。ああいう奇跡については良くしらないけれど」
黒い船は町を本当に襲うつもりなのだろうか。もしかしたらそのまま町を通り過ぎるかも。そんな可能性が会議内に生まれた。
「いやいやいや。町に何もしないつもりであれば、そもそもハイジャングまでやってこないでしょう」
ダストが黒い船が無害な存在であるという可能性を潰してくる。確かに言う通りではあるのだ。町に何もしないつもりなら、そもそもハイジャングへは近づかない。しかし船は現在進行形で、町へまっすぐ進んでいた。
「町には近づく。しかし直接攻めるつもりも無い。こちらへの通達が無い以上、友好が目的でも無いだろう。では、いったい何が目的だ?」
状況を客観視できているらしいアルシュは、黒い船の目的について探ろうとしている。ただし、明確な答えを用意できていない以上、いくら冷静でも意味が無い。答えを口にするのは、戦いやら作戦立案に慣れたダストだった。
「敵地に目に見える形で現れ、攻め込まずに一定の距離を保つ理由というのは、あるにはあります」
「あるのね? どういうことなのかしら」
「相手が奇跡ということで、常識は通用しない可能性もありますが、こういう場合、分かりやすい敵というのはおとりの可能性がありますな」
「おとり?」
嫌な耳障りのする言葉だ。自分達の思いも寄らない事が待ち受けている様な。
「皆が皆、目に見える敵にばかり対処しようとした結果、内側や別の場所の防備が疎かになり、そこを狙われる………などですな。現状、ハイジャングは外部からの敵に防備を固めようとしているわけですから………」
ダストの言葉からは不吉な予感しか覚えない。発言する本人もそうなのだろう。言葉が少し淀む。
「はっきりと言ってしまいましょう? 私たちは今、どの様な失態を演じてしまっているのかしら?」
もし、今の段階で何かを見逃しているのだとしたら、それは完全な隙となる。そこを敵が突いて来る可能性は大いにあるのだ。
「住民の避難を優先しているため、ハイジャング内部の兵員は十分とは言えません。もし敵がハイジャング中央に突然現れれば、我々は一溜りも無いでしょう」
ダストの言葉を聞き、会議のメンバー全員が冷や汗を流す。町の中央には何がある? 勿論、ミラナ達がいる。国の中枢が、迫りくる敵に対して迅速に動こうとして、指揮系統をまとめた結果、普段はあえて町中に分散しているはずの権力機構が、今はすべて町の中心近くに集まっているのだ。
今の自分達こそが弱点だ。そう気付いたのと同時に、会議室を含む庁舎が大きく揺れた。
カナがその瞬間を見たのは、何とは無しに、窓から見える黒い船を眺めていた時だ。確実に近づいて来ているのだが、眺め続けている限りはその変化に気が付かない。そんな速さで動く黒い船。それに敵が乗っているのかと考えている時だった。黒い船の輪郭が突然変わる。
「え?」
黒い円錐形をする船の下部分。そこの一部が膨れた。膨れは半円形に広がると、遂には船の輪郭を上回る程に大きくなり、円錐の上部にも半円が広がる。要するに船の底部分から丸い何かが発射され、船より前に突出したのだ。
それが勢い良くハイジャングへと進んだ結果、船の進行上にそれが挟まる形となり、船を見えなくした。しかし、すぐに船は姿を現す。丸い何かは、ハイジャング近くまで進むと、軌道を地面方向へ変化させたからだ。黒い船から大砲の玉が飛んできた。表現するならそれがもっとも正しいだろう。
大砲の玉であるからこそ、ハイジャングを狙い、ハイジャングの町へと着弾し、激しい衝撃を町全体へ伝える。
「きゃっ!」
カナのいる魔奇対の執務室も大きく揺れた。悲鳴を上げたのはカナだけで無い、同じく執務室にいるフライも同じく驚きの声を上げ、何事かと慌てていた。
「な、何だこれは」
揺れる執務室で、必死に仕事机とその上の書類群を抑えるフライ室長だが、残念ながら幾つかの書類は床に散らばった。
「あの、あれ、見てください」
カナは窓の外に見える景色を指差す。黒い船から発射された玉は、執務室近くに着弾した。というより町中央にある行政の庁舎や、その関係の建物へ向けて放たれたのだろう。その中に魔奇体の執務室がある建屋があっただけである。
「ね、狙いはハイジャングの中枢そのものだったというわけか。一撃目は致命的な場所を避けた様だが、次弾もすぐに来るのではないか!?」
フライは発射された玉より、発射した側の黒い船を見つめていた。だから気が付かなったのかもしれない。地面へと落ちた玉が、変化し始めたことを。
「室長! 落ちた玉が!」
地面にめり込んだ玉の外殻にあたる部分が、歪に広がり始めた。上半分から二つ広がり、下半分も二つ。下半分が広がった結果、その部分が支えとなり、玉を持ち上げる。持ち上がっていく玉を補助する様に、上半分の広がった部分も地面を支えはじめた。まるで玉から手足が生えた様に。
「砲弾兼………ゴーレムと言うことかな………」
玉はかなりの巨大さで、四肢を広げた姿はクロガネより一回り小さい程度だろう。ただ、それをゴーレムとは呼びたくなかった。
「あんなので周囲を破壊されたら、私達も大変なことになりますよ!」
「かもしれんが……町を防衛するための人員の多くは町の外側や避難民の誘導で出払っている………そうだ、私達でここに集まった重要人物を避難誘導するか!」
「そうじゃなくて!」
フライ室長も慌てている様だ。今すべきことはそれでは無い。
「クロガネなら今でも動かせる状態なんですよね! 町の外に置いてあると言っても、歩かせさえすれば、ここまですぐに来れます」
「駄目だ。君を今の状態で戦わせるわけには………」
「そんなこと………!」
クロガネに乗ることを想像した時点で、体が震えだす。それを見て、フライ室長はカナがクロガネに乗ることを止める。確かにこんな自分では、信頼できないかもしれない。守るべき対象としか見られないかもしれない。けれど―――
「室長も、ジン先輩も、今さら子ども扱いしないでください! どんなに頼りなくなって、怖がっている様に見えたって、クロガネを動かせるのは私だけなんです! だったら、私に動かせって命令するのが室長の仕事でしょう!?」
口でフライ室長を責めているが、これはカナが自分自身で覚悟を決めるための叫びだった。自分の事情など考慮している場合では無い。カナは魔奇対の一員なのだ。魔奇対は何をするところだ。勿論、魔法や奇跡に対抗する場所だ。その一員であるカナが、怖いからと何もできずにいるのは間違っている。
「私は私の仕事をします。だって、ここは私の職場ですから」
「マートン君………」
フライ室長は何かを口にしようとするが、カナはそれに背を向け、クロガネのある町の南門へと向かうため、執務室を走り出た。
フライは、カナを呼び止めることもできずにただ暫く放心している。ただ、暫くしてから、自分の椅子に腰を下ろし、体を預けた。
「まったく。まさか、部下にあの様な事を言わせてしまうとはな。まったくの正論だよ。本来なら、私自身が言わなければならない事だったのに。なあ?」
誰かに話し掛ける様に、フライは呟く。そして決意する。部下が自らの仕事をすると啖呵を切ったのだから、フライ自身もそうしなければなるまい。
椅子に体を預けることを止めて、フライは自分の仕事机と向かい合った。