第六話 『情はあるが躊躇がない』
「ふむ。つまりわしから長寿の秘儀について教わりたいと言った話なわけかのう」
フレアの言葉に、ブライト・バーンズ元校長は納得した様に頷く。そうだろうとも。フレアの悩みは魔法使い共通の物だ。若い人間であれば、それは魔法使いとしての寿命なのだと口にするかもしれないが、それは単に自身の寿命を忘却の彼方に追いやっているに過ぎない。誰であろうとも、魔法を学ぶ時間は長い方が良いと考えるはず。そうでなければ魔法使いなどと名乗るべきではない。
「あなたとて魔法使い。私の気持ちは理解できるはずです。少しでも長く、詳しく、魔法や奇跡を解き明かしたい。そう考えたからこその長寿でしょう?」
「まったくもってその通りだよ、お嬢さん。わしも永遠を生きたいわけじゃあなく、ただ頭の中にある疑問をどうにかしたいだけなのだ。だが、人の生は短い。良くわかっておる」
感慨深そうに頷くブライト。やはり自分と似ている。もしかしたら同士にすらなれる相手かもしれない。
「しかしな。やはり無理な話じゃ。本当に申し訳ないが、諦めてくれんか………」
ブライトは残念ながらと言った顔をする。何故だ。何も彼の知識すべてを欲しいと言うわけでは無い。ただ、同じ魔法使いとしての欲を持つ者同士の慈悲にすがっただけだというのに。
「何故? どうして? 私の苦悩を理解できないというの?」
「そうではない。もし、あなたでは無く、別の人間に同じ要求をしていたら断らなかったじゃろう。同じ道を志す者は、多い方が良いとわしは思っとる。しかし………」
首を振るブライト。
「いったい、私の何が問題だと!?」
ヒステリックな声を上げてしまう。声を発するだけで体力を使う年代になってから、この様な声を出したことが無かった。
「わしの要件を先に言わせてくれ。わしはな、“お嬢さんを殺しに来た”」
「え?」
ブライトから出た言葉を飲み込む前に、腹部の周辺に衝撃が走った。ブライトは何時の間にか、手に黒い杖を持っており、それをこちらに向けている。
なんだろうと自分の腹部を見てみると、穴が空いていた。
「な、何を………」
それ以上の言葉は出なかった。口から血が溢れ、声が出ない。体が脱力して、立っていることすらできなくなり、床へ倒れた。
「本当にすまん。できればこの様な事をしたくは無いのじゃが、お嬢さんがクロガネを動かしている魔法使いの親代わりだったと聞くから、こうするしか無いのじゃよ」
「あ……あぁ………」
目の前が暗くなっていく。生きたい。生きてもっと多くの知識を得たい。床を這い、生き足掻こうとするも、手を動かすたびに体の力が無くなっていく。
「喪失は重要なことじゃとわしは思うんじゃ。親しい人間の死を乗り越えることによって、精神は崇高な領域へと一歩近づく。お嬢さんは、その礎となっていただきたい………」
もう何も見えない。声も遠くから聞こえる。それすらも無くなれば、後に待っているのはこの世との離別であろう。
カナ・マートンがその知らせを聞いたのは、最後にフレアと会ってから数日経過したある昼の出来事だった。
「え……あの、どういうことですか?」
久しぶりの休暇だった。自宅として借りている小さな部屋に、客人が来ることなどは稀であり、部屋の玄関をノックする音は聞いた事が少ない。
なんだろうと扉を開けると、そこに立っていたのは手紙の配達人だった。訃報だと言って渡された小さな手紙には、自分の恩師であるフレア・マートンの死が書かれていた。
「故人が親しくしていた知人に手紙を送っている途中です。もうしわけありませんが、詳しい話はフェンリス魔法学校まで直接聞いていただけませんか?」
そうカナに伝えた後、配達人は一礼してから去った。残ったのは、茫然としているカナ一人だけである。
「……そうだ、学校に向かわないと」
詳しい話はフェンリス魔法学校までと言っていた。もしかしたら何かの間違いであるかもしれないし、そうだとしても、学校に向かえばわかるはずだ。
(そうよ。前に会った時はあんなに元気だったんだ。そんな、先生が死ぬはずない」
そんな祈りにも似た考えのもと、カナはフェンリス魔法学校へ向かった。そこで待っていた情報は、事実の確認でしかない。
フレア・マートンは死んだ。研究室内で暴漢に襲われてのことであり、犯人はまだ捕まっていないとのこと。
「嘘……そんな」
特別親しかったカナは、フレアの研究室まで案内された。ハイジャング自警団が現場を調べている中でのことであり、何故か、そこにジンもいた。
「カナ! お前、どうしてここに」
それはこちらの台詞だった。何故、自分よりも早くジンがこの場所にいるのか。
「そうか、殺されたのはお前の知り合いだからな。フライ室長が警戒のために情報網を張り巡らせていた結果がこれだ。くそ、あっちの手の方が圧倒的に早い」
「あっちってなんですか! 誰が先生を!」
叫ぶカナ。研究室内にいる全員の目がこちらを向く。
「悪い、落ち着いて聞いてくれ。お前の先生は、俺達と敵対している、あの爺さんにやられた可能性が高い」
「そんな………」
カナはその場で膝を落とした。目の前の先輩に告げられた事実は、恩師の死でショックを受けていたカナの心では、受け入れがたい物だったから。
「それで、彼女は今、どうしてるね?」
「学校側主催の葬儀の準備をしているそうです」
「そうか。体を動かしていた方が、頭を働かせなくて済むだろうからなあ………」
執務室でフライ室長と話すジン。その内心には怒りが湧き起こっていた。
「手が早すぎる! どう考えたってカナの情報を流した奴がいるんだ!」
ジンは老人に対して、性格と年齢しか情報を渡していなかった。だと言うのに、出身校の恩師に数日の内に辿り着くなど、有り得ない。
「狙いがマートン君の身内にあったとは………。マートン君本人か、もしくは魔奇対そのものが狙われていると考えて、お前をマートン君の護衛に付かせたのが裏目に出た形か」
ジンはここ数日、カナ自身にはバレぬ様に身辺警護をしていた。老人が次に狙うのはカナだろうと考えたからだ。しかし、結果はカナの師であるフレア・マートンが老人に殺された。
「裏目にって、こっちは完全に立ち遅れていた! 純粋に老人とその周辺の繋がりが、俺達の上を行ってるんだ」
ジンが痛感し、怒りを湧かせているのはそこだ。狙いがカナ・マートンでは無く周辺の人間だと知ったところで、フレア・マートンを護衛するという結論に至れただろうか。魔奇対が動くよりも早く、老人がやはり同じ行動に出ていた可能性の方がずっと高い。
「守勢に入るのは愚手か………」
「なんとかならないんですか? カナ本人だって、何時直接狙われるか分かったもんじゃあない」
「お前が見つけたカルシナ教の黒い船だったか。その情報を元に脅威を喧伝し、女王陛下から援助を引き出して見るか。報告は既にして貰ったが、もう一度詳しく話せ。それと、終わったらマートン君にもう一度会ってやってくれないか? 励ますとまでは行かないだろうが、誰かが居てやった方が良い」
「わかりました。まあ、言われなくてもカナのところには行くつもりでしたけどね」
恐らくは、まだ魔法学校にいるだろう。どう言ってやれば良いかはわからぬものの、泣いているであろう彼女を放って置くというのは、大人のすべきことではないから。
フライ室長との話が終わり、ジンは再びフェンリス魔法学校に顔を出した。カナの恩師はかなり上の立場に居た様で、既に学校を上げての葬式となっている。
人もかなり多く出席していたので、カナを探すのに苦労した。
「よう。もう手伝いをすることも無くなったのか?」
彼女はフレア・マートンの研究室近くの廊下で、震える膝を抱えて座っていた。座るには不自然な場所だが、人が死んだ場所の近くということで、関係者以外の人通りが少なく、注意する者もいなかったのだろう。
「………はい」
カナは顔を膝で隠しているが、泣いている様だ。声を聞けばわかる。
「………死んだ人は、君の先生だったらしいな。俺はその、先生と生徒って立場が良くわからないが」
元々は地方の小さな農家の出なので、学校という場所に縁が無い。想像できるのは、国防騎士団で戦闘訓練を受けた際の指導官であるが、もし死んだと聞かされても、ざまあみろとしか思わないため、やはり少し違うのだろう。
「……一番初めの記憶に残っている人が、フレア先生なんです」
「一番初め?」
「………はい。私は、フレア先生の背中を追っていました………。多分、孤児院から連れ出されて、ここの魔法学校に向かう途中だったんだと思います………」
ジンは自分の記憶に残る最初の人間は誰だろうと考え、母親であったことを思い出す。恐らく、殆どの人間がそうだろう。でなければ父親か兄弟姉妹か。
「親代わりというか、親だったんだな」
「全部が良い人ってわけじゃありませんでした。私生活はずぼらで、教師としての顔は厳しくて。でも、何度か私に食事を作ってくれたことがあるんです。すっごく下手で、次からは自分で作ろうって思う味だったんですけど、作る前に、必ず聞いてくれたのを覚えてます。何を……食べたい………って」
声が震えている。また涙が零れだしたのだろう。ジンはそのことについて何も言わない。涙を流している人間に、何を言っても意味は無い。相手が呟く言葉をただ聞いてやることだけが、唯一出来ることだ。
「家族でした………。間違いありません。私の、たった一人の家族だったんです。なのに……最後会った時は、凄く気まずい雰囲気で……こんな別れ方をするんなら、ちゃんと話しておけば良かった」
誰かが死ねば、その誰かに対しての心残りが、必ずどこかに存在するものだ。後から考えても仕様が無いことである。だが、だからなんなのだろうか。心の中では残った物に対する始末が付いていない。そのことに苦痛を感じるのはおかしいことでも何でもない。
「私……絶対に許せません。先生を殺害したのは、ジン先輩が追っていたあの老人なんですよね? どんな理由があるのかは知らないけど、償いだけは、絶対に!」
カナは顔を上げる。涙の跡が残っているが、表情は怒りに染まっている。なんて顔をしているのだ。
「なあ、カナ」
「相手がどんな人だろうと関係ない。私にとって、先生は殺されて良い人じゃあ―――」
「カナ。別に、魔奇対を辞めても良いんだぞ?」
「…………何を言ってるんです?」
カナの顔から怒りの表情が消える。ただ、ジンを見る目だけが残っていた。
「君の身内が狙われたのは、君が魔奇対に所属して、クロガネに乗っているからだ。このままじゃあ、また違う誰かが狙われるかもしれない。そもそも、君自身の身が危ない」
「ふざけたことを言わないでください! 家族を殺されて、引き下がれって言うんですか!? そんなこと―――」
「お前が怯えているからだ。悲しみや怒りで誤魔化そうったってそうは行かねえぞ」
ジンの目には、カナがどうしようも無く怯えている様にしか見えない。故人に対する悲しみや老人に対する怒りは勿論あるだろうが、彼女はまだ子どもなのだ。家族が殺されて、次は自分だと怯えている。
「だって……そんな…今さら」
「今さらなんなんだ。君みたいな娘があの馬鹿でかいゴーレムに乗って、誰彼構わず殺すような人間と戦う? ふざけんなって話じゃねえか。子どもってのはな、無条件で守られてしかるべき人間なんだよ。お前が魔奇対を辞めたいと言って、それを止めようとする人間がいるのなら、俺が問答無用でぶっとばしてやる。誰だろうと構うもんか」
これは大人の意地だ。もし子ども一人の犠牲で何もかもが救われる状況だとしても、それを止めて自分が犠牲になろうとする。それが大人だ。
「もし悔しさが残る様なら、俺に任せろ。あの爺さんには、俺がきっちりケジメを付けさせてやる」
他人の命を奪った以上は、その代償を支払わせるのが筋だ。どこの世界でも通じる話である。まだ、それを行うだけの力は無いが。
「先輩………」
カナは再び顔を膝へ降ろした。頭の良い彼女のことだ。色々と考えているのだろう。それで良い。一時の感情に流されて、重大な決断をできずにいるよりは余程マシだ。
「少し……時間をください。魔奇対を辞めるかどうかについて………」
「ああ、わかった。ただし………」
「ええっ。わっ」
ジンはカナの手を持って立ち上がらせる。
「こんなところで座ってたら、風邪を引くだろうに。悩むにしても、もうちょっとマシな場所でしろ」
ジンはカナの手を引いて、どこか別の場所が無いかと探す。最終的には、彼女の家まで送ることになった。