第九話 『誰かの悪意』
目を覚ましたジン。視界に映るのは建物の屋根である。これは何を意味しているのだろうかと考えた後、自分が漸く老人に気絶させられたのだと寝惚けの中から思いだし、急いで起き上がる。
「ここは! どこ……だ?」
どうやら自分はベッドの上で眠っていたらしい。体を包む布団の柔らかさが、もう一度寝転びたいという誘惑を仕掛けてくる。
「あ、漸く起きましたね」
右隣の方向から声が聞こえて来た。聞き間違いで無ければ、この声の主はカナだろう。
「カナ? なんでお前が……あれ? 病室か? ここ」
自分がいる部屋を見渡し、白い壁と白いシーツのベッドを確認した後、ジンは漸くここがどこかの病院の病室であることを理解した。
「ジン先輩が調べるって言ってた高台で倒れてたんですよ? どうしたのかってみんな心配してました」
隣のベッドでジンと同じく上半身だけを起こしているカナが、現状を説明してくれる。
「あ、ああ。つまりはあの爺さんに逃げられたってことか………うん? それでなんでお前まで病室で寝てるんだ?」
「私ですか? いえ、その、ちょっと………」
何故か言い淀むカナ。彼女が口籠る理由になら心当たりがある。
「クロガネに乗りながら魔法を使った事に関係あるのか?」
「見てたんですか!? ううーん。恥ずかしい話なんですけど、敵ゴーレムを魔法で燃やした後、急に体が怠くなって、私も倒れちゃったんですよ。ただでさえクロガネを動かすのに魔力を使ってますから、その反動が来たんでしょうね」
自分の能力不足だと話すカナであるが、やったことは見事だと思う。彼女でなければ、公開演習は悲惨なことになっていただろう。
「こっちより随分とマシさ。犯人の爺さんに逃げられるは、戦いも一方的だった」
正直なところ、自分の実力不足に気落ちしている。気絶する前に見たあの老人の顔には笑みが張り付いており、自分が何一つ老人に敵わなかったことを実感させられた。
「それでも生きてるじゃないですか。はっきり言って、敵に気絶させられたなんて、その後にどうされたって仕方の無い状況だったんですよ?」
励ましなのだろうか。カナはジンにそんなことを話す。
「かもしれないな。このまま黙ってるつもりもねえし。あの爺さんの手管も幾らか分かったんだ。今度はもっと建設的な対策を考えないと………」
「その意気よ!」
突然、病室に大声が響く。女性の高い声だったので、ジンには耳鳴りが残ってしまう。一方でカナは素早く手で耳を閉じていた。随分と慣れた様子だ。
「丁度良く二人とも起きているわね! こんな太陽が高い昼間まで寝ていたら、怠慢罪で牢屋にぶち込むところだったわ!」
病室の扉を壁に叩きつける勢いで開き、遠慮なんてしらぬと部屋の中心まで早歩きでやってくる。こんな姿が似合う女性。女王ミラナ・アイルーツが現れた。
「いや、すまんね二人とも。仕事で倒れた部下を労うのは上役の勤めだと聞かなくてな」
ミラナに遅れて、フライ室長も病室内へと入って来た。こちらはいたって普通の様子である。
「お見舞いってことですかって、ミラナ様! 止めてくださいよ!」
「精一杯の感謝を現しているのだから、受け取っておきなさい」
部屋に入るや否や、ミラナ女王はカナに抱きつき始めた。何時の間にか随分と親しくなったらしい。
「見舞いというより賑やかしだな………」
二人の様子を、ジンは冷ややかに見つめる。
「実際、見舞いだけが目的では無いしな」
ジンの同じ様子のフライ室長。騒ぐ二人を見てから、次にジンへと視線を向けてきた。
「すみません。目的の老人を取り逃がしました」
「公開演習自体は、結果的に高評価で終わったのだ。責めるつもりは無い」
実際に誰かが作ったゴーレムを撃退するということを、クロガネはやってのけたのだ。これ以上の宣伝は無いとフライ室長は話す。
「ただし、事後報告だけはしっかりとして貰わなくてはな。今から話せるか?」
「ええ。こっちも伝えておきたいことがいくらかありますんで」
ジンは公開演習会場をゴーレムに襲わせた老人についての話を始める。自分達の追っている相手が、どれほどの危険人物かを。
ジンの話を聞いたフライ・ラッドが初めに考えたのは、ジンは現状、正気なのかどうかと言う事についてだった。
ジンの口から出る老人の姿は、なんというか人の域を越えている様にすら思える。もしかしたらカナ・マートンをすら上回る魔法使いで、尚且つ身体能力、戦闘技術共に高い。遠くの巨大なゴーレムを動かしながら、片手間でジンと戦うことができていたというのは、信じ難い話だ。また、老人の精神性についても驚愕する他無い。老人は今回の事件の準備段階で、多くの人間を自らの手で殺している。そうして行ったことが、クロガネの力を見定めるためとは、なんとも異常だ。
「確認するが、これらのことは本当に事実なのだね?」
「俺だって、夢か幻でも見てたって方がまだ納得できますけどね。俺が倒れていた高台には何も残ってなかったんですか?」
「一応、戦闘行為の痕跡らしき物は幾つか。それに公演会場の残ったゴーレムも燃えカスが、老人が存在していたという大きな証拠だろうなあ」
認めない訳には行かない。今まで追っていた老人は怪物がごとき存在であり、そして………。
「次の標的はクロガネ。引いては我々魔奇対になったということなのだろうな」
「でしょうねえ。こっちから探さなくても、向こうからちょっかいを掛けてくる可能性が大でしょう」
厄介極まりない。しかも、現段階では対策の立てようも無かった。なにせ、想定できる老人の力は、魔奇対が持つそれを大きく上回っている。
(もし、老人に対して何かできる物があるとすれば………)
危険人物がこちらを襲ってくると言うのに、対策が無いからと何もせずにはいられない。フライは何か無いものかと考えだし、その答えを出そうとする。そしてそれを口にする前に、ミラナ女王がその答えを発言した。
「クロガネならその老人をどうにかできのじゃあないかしら」
ミラナ女王が持つクロガネへの評価はすこぶる高い。信仰と呼べる程のそれをすべて真に受けるわけでは無いが、老人の対抗できるものが唯一あるとすれば、それはクロガネだろうとはフライも考えていた。
「公開演習の件で、老人側に唯一誤算があったとすれば、それはクロガネの能力でしょうからなあ。まあ、それに関しても向こうは嬉しがっていた様ですが」
まったくもって異常な人物だ。怖くもあるが、一度会って話してみたい気もする。仲良くなれるとは思わないものの。
「気に入らないわね。まるでクロガネが自分の物だと思っているみたいじゃない。しかも、クロガネを引き立てる工作までしたみたいなことも言っているし」
本気で苛立っているらしいミラナ女王。続きを口にしていたらこう言っていたことだろう。クロガネは老人の物で無く、自分の物である。クロガネを引き立たせるのも、活躍させるのも、自分の権利だと。
「ということは、実は私も狙われてたりするんですかね?」
不安そうにカナが尋ねてくる。それに答えたのはジンだった。
「そりゃあお前、クロガネとカナとはセットみたいなもんだろう」
「うう……やっぱり」
不安にもなるだろう。会えば反抗できずに、向こうの思うままになってしまうかもしれない。老人はそういう怖さのある人物だ。
「こうなると、老人の正体や奇跡関係の事件追及よりも、うちの戦力向上が必要になってくるなあ」
簡単なことでは無いため、大きな課題になるとフライは考える。手っ取り早いのは人の増員であるが………。
「室長の考えていることはわかるわよ? けど、急な増員なんて無理。予算を用意するのもそうだし、用意できても魔奇対に合った人材なんて早々いないわ」
魔奇対の総責任者と言える女王直々にフライの案は却下される。まだ何も言っていないのであるが。
「となると、装具の充実くらいしか仕様がありませんな」
「それくらいなら、なんとか根回ししてあげる。クロガネは勿論だけれど、あなた達のもね」
女王がジンとカナを見る。ただ、用意できると言っても上等な剣や頑丈な衣服と言った程度の物しか無いだろう。
「現状、相手の出方待ちというのが事実かもしれないなあ。そうなれば、現場で戦う君ら次第と言うことになるが………」
「今のままじゃあ、俺はあの爺さんに勝てる自信はありませんよ。ただ………」
「ただ……なんだ?」
「ああ、いえ、少し、自分の奇跡について調べてみたいなと思いましてね」
少しだけ笑うジン。彼の奇跡と言えば、黒い鎧を纏うそれだ。ジンの報告によれば、その鎧に関する助言を、敵である老人から受けたらしい。
「……わかった。ただし、老人に関する調査も引き続き行って貰いたい。直接相対すれば敗北は必至かもしれんが、やはり必要なのは情報だ」
西のブッグパレス山への調査許可もそろそろ下りるだろう。そういった調査と並行して、ジンには自らの奇跡についても調べて貰う必要がありそうだ。
「あ、だったら私も、魔法学校で調べものをしても良いですか?」
「魔法学校? マートン君が魔法を学んだ場所かね?」
「はい。クロガネが魔法を使えるというのは大きな利点なんですけど、ほら、今のままだと、使ったらこうなっちゃうわけじゃないですか。私」
彼女は自分の体を見下ろしている。公開演習の後、すぐに精神疲労で倒れたことを言っているのだろう。
「どうにかできないものかなと思いまして、ちょっと役に立つ資料を探してみるつもりです」
「カナちゃんったら、資料くらいなら、いくらでも取り寄せるわよ?」
ミラナ女王は優しげだ。どうにも女王はカナに甘い様である。クロガネを動かす役だからというのもあるのだろうが、最近は共にいる機会が多かったからかもしれない。
「うーん。学校には、門外不出というか、持ち出し厳禁な資料が結構あるんですよね。女王様が直接頼めば、そういったのも持ち出せるかもですけど、それをするくらいなら、自分で行きます」
「あら、そうかしら? けど、困ったことがあったらなんでも言ってちょうだい。カナちゃんの頼みなら、なんでも聞いてあげるから」
なんでも聞いて欲しいのはこちらの方だ。フライはそんな愚痴を零しそうになる。
「ああ、そう言えばジン。気絶する前に老人は自分の名前を名乗ったそうだが、やはりしっかりと聞き取れなかったのかね?」
「口元の動きだけは少しだけ……確かグラとかフアとかいった感じで動いていた様な………」
「それだけではなんとも言えんな……うん? カルシナ…では無かったのかね?」
これまでフライは、老人の正体をかつてアイルーツ国に存在していたカルシナその人だと考えていた。しかし、ジンの話を聞く限りではどうにも違う様子だった。
「いや、そういう口の動きでは無かった様な……。まあ、しっかり聞いたわけじゃあありませんけどね」
もっとも重要な部分を聞き逃している。それがなんとも歯痒いものの、ここはできなかった部下を責める時では無い。
「せっかく掴みかけた正体が、また霧に包まれたと言ったところかな? 問題は山積みであるが、まあ、公開演習自体は当初の目的通り、クロガネが多くの人間に認められる形で終わったのだから、それで良しとしよう」
まとめとしては甚だ心許ない言葉であることはわかっているが、今はこうやって締めておくことにした。
日暮れの西日が強く目に刺さる。宛がわれてから暫く経った執務室であるが、この光にはどうにも馴染めない。
窓に取り付けられたカーテンを閉めながら、ミハエル・アーバインがそんな事を考えていた。
(もっとも、暗闇の方が好きというわけではないがな。こういう風に突然人が現れたりするのを見れば)
カーテンを閉めると、室内が一層暗くなる。その暗闇の中に、尚濃い人影が立っていた。執務室の扉が開いた様子は無く、本当に突然その場所に現れたのだろう。
内心ではその人影に驚いていたものの、それを抑えつける。こういう風に現れるのは初めてではない。その度に驚くなど、自分が小心者であると認める様な物ではないか。
「一度くらい扉をノックしてから入ってきたらどうですか? ご老人」
人影が一歩こちらに近づく。その一歩で影が薄くなり、代わりに皺が刻まれた顔が浮かび上がった。
「この部屋の扉を正しく開けるまで、わしがどれだけの障害を乗り越えねばならんと思う? これでも、国防騎士団の庁舎に怪しまれず入れるという程、自惚れてはおらんでな」
笑う老人。確かにそうだろう。この老人はまともでは無く、国防騎士団員としては真っ先に捕えねばならぬ相手だ。しかし、特殊事案処理小隊の管理者としてはどうだろうか。そしてアーバイン家の人間としては。
「それで、いったい何の用です? 頼んでおいた公開演習の妨害については、上手く行かなかった様ですが」
特事のライバル組織と言える魔奇対。今の所、組織として先に認められたのは魔奇対であるためか、特事の立ち位置は危うい。せっかく国から公的に認められたのだ。また裏方に戻るなどというのはうんざりであるため、この老人の力を使って魔奇対に組織としてそれなりの損害を与えるつもりだったのであるが、結果は大失敗だった。
魔奇対は公開演習で見事、国家の敵を打ち倒し、その株を上げることになった。
「良く言うのう。わしに関わる情報を魔奇対に渡したくせにな。あれじゃろ? どうせならわしが魔奇対に捕えられた方が良いかもしれない、などと考えておったわけじゃ」
「さて。あなたが捕まれば、私達の関係もバレる可能性がありますからね」
ただし、魔奇対と老人が潰し合って貰うのが一番だとは考えていた。
「まったく。ミハエル坊は大人になるに連れ随分とひねくれてしまって………。若いなら若いらしく、もっとまっすぐに生きてみんか? お前と同年代で、面白いのと最近であったんで、そんな忠告をしたくなったのじゃが」
「はっ。私がひねくれているとしたら、あなたにも原因がある」
この老人とは昨日今日の付き合いでは無い。だから老人の力と恐ろしさも十分理解しているつもりだ。また、それを利用する方法も。
「で、どうしてしたか、クロガネは。今のところ、目の上にあるたんこぶの中で、もっとも目障りなのがそれなのですが」
「ははは。言っとくが潰させんぞ。あれはわしが目を付けた。下手なちょっかいを掛けてみろ? どうなるかはわしにも保障できん」
恐ろしい言葉を老人は吐くものの、その言葉はミハエルにとって僥倖であった。
(あんたに興味を持たれた時点で、魔奇対は終わりさ)
暫くは魔奇対に手を出す必要は無いだろう。後は部下達にこの老人を追わせる振りをさせながら、別のことを進めなければ。
「それで……話というのはそれだけで―――ちっ、まったく」
舌打ちをしてから、仕事机の椅子に座る。話すだけ話して、老人はどこかへ去ってしまった。まあ、それでも良いだろう。今のところは、ミハエルにとって有利に事が進んでいるのだから。