第三話 『魔奇対』
自分本来の仕事があるとなれば、威勢良く動くのがジンだ。貴族のご機嫌とりとは違う、責任と適正のある仕事だった。
それなりにやる気の出る仕事だとも思う。感謝されることは中々無いが、確実に社会の役に立っているからだ。
「遣り甲斐のある仕事だと言うのはわかりましたけど、今、私達はどこへ向かっているんです?」
何時も通りに仕事をしようとするのだが、何時もとは違う点がある。後輩が付いて来ているのだ。それも明らかに子どもの後輩が。
「どこだと思う? どうせ着けばわかるんだ。ちょっと考えてみな」
『魔奇対』の仕事について何も知らないというのなら、色々と考えさせてみるのも良いだろう。組織の名前だけでも、様々な推測ができるはずだ。
「王都の治安を守るとか……でしょうか? 魔法はともかく、奇跡はどの様な人間にも起こり得ます。悪いことを考える人間に、強い力を与える奇跡が起これば、それだけで危険ですから」
「なるほど。要するに警備隊や国防騎士団の様な仕事を思っているんだな?」
「違うんですか?」
「王都内部でそういう問題が起これば、それらの組織が対処する。当たり前だな。俺達みたいな弱小も弱小な奴らが顔を出したところで、邪魔者扱いされるのがオチだ」
起こった問題が魔法や奇跡に関わる物であれば、『魔奇対』がその問題に関与する権限は確かにある。弱小と言えども国家機関なのである。後ろには国という強大な力が存在しているのだ。
しかし、権限があったところで、仕事をする能力がそれに見合うかどうかは別問題だ。
「力を持った個人に対して、もっとも効果的なのは人海戦術だ。例えば奇跡の力で物凄く強くなった奴がいたとするだろ?」
「はい」
「そいつは一人で何百人という人間を殺してしまえる力があるかもしれない。でも、それは奇跡の力であって、人間として何かが変わったわけじゃあない」
「本当の力じゃないから、なんとかなるってことでしょうか?」
「そうだ。結局は、どこまで行っても一個人でしかないってことだからな。何百人を殺したところで、次の何百人はどうなる? その次は? 奇跡を行使するのが個人である以上、いつかは力が尽きる。腹だって減るし、睡眠だってとる。そうなった瞬間、集団は強い力を持った個人に容易く勝ってしまえるんだよ」
集団はそこに属する人間が多ければ多いほどに、疲れ知らずになる。朝、昼、晩と常に行動し続けることさえ可能だ。仕事を分担してしまえば、休息と行動がそれぞれ同時進行で可能となるのだから。奇跡の力があったとしても、それが個人であれば、こうはいかない。
「町中で起こる様な事件なら、私達の出る幕じゃあないってことはわかりましたけど………じゃあ私達は何をするんですか? 話を聞くに、たった二人だけでできる仕事ってあんまり無さそうですよね?」
「………そうだなあ。一応、あるにはあるぞ?」
ジンは少し考えた後に話した。自分が行っている仕事が、少人数でも対処できる物だと考えていたのだが、本当に満足行く結果を出してきたのかと言われれば、少し疑問を抱いてしまう程度に分別はある。
「少人数でもできる仕事………他の組織の雑用とか…ですか?」
不安そうにカナが口にする。
「近いな。他があまりやらない仕事だ。ニッチな仕事で、大人数を必要としないという点も似ている」
「つまりパシリ?」
「違う。断じて違う」
他の組織に顎で使われているなどと思ってはいけない。それは今後の士気に関わる大きな問題だからだ。
「じゃあいったい何なんですか。私、それ以外に思いつきませんよ? もう仕事内容はパシリで良いんじゃないですか?」
「なんで人の仕事をパシリにしようとするかなあ。あのな、一応、本当に一応だが、俺達は騎士だ。やるのはパシリじゃあなく、国家の益になる行為なんだよ」
そろそろ目的地に着く頃だ。そこにさえ着けば、ジン達が行う仕事が、それなりに特別な仕事であると認識させることができるだろう。
「ほら、そろそろ見えてくる頃だ。あそこ」
ジンは目の前に見えてきた建物を指差す。ハイジャングの南側にある通用門。その近くに立つ大きな建築物だ。そこがどういう場所かは見ればわかる。
柱と屋根と大きな庭が土地の殆どを占める場所で、壁が無い。人が暮らすには不向きな場所に思えるが、それも当然で、そこは馬が住む場所だった。
「馬小屋……ですか?」
「騎士御用達の貸し馬屋だ。国が経営に関わっていて、臨時騎士の俺達にも、無料で馬を貸してくれる。どうしてあの場所にあるかと言えば、言わなくてもわかるだろ?」
町の南側出口付近にある馬屋。それは、町の外へと向かう乗り物を貸す場所だった。
「私達の仕事は、町の中では無く、外で行う物ってことですか」
「そうだ。それも、馬で移動する様な長距離間で行う物が殆どだな」
『魔奇対』の仕事は、もっぱら町の外で行われる。それは仕事の内容と、他組織の兼ね合いによってそうなっているわけだが、カナにはわかるだろうか。
「町の中での問題は他の組織が対処するから、私達は外にある仕事を探すわけですね。なんとも涙ぐましい努力だと思います」
「ま、まあ。そういう事情もあるにはあるが、他にもまた別に理由があるんだよ」
結局は他組織に気を使っているのは変わりないではないかと言いたげな目線を、カナはジンへと向けてくる。
『魔奇対』の様な小さな組織では、こういったみじめな思いは仕方の無いことだと受け止めて欲しいところである。
「これから仕事と言うことは、あの馬屋で馬を借りて、どこかへ行くことになるんですか?」
「ええっと、場所は町から出て西側にある、オタムディア湿地帯だな」
「場所はわかりましたけど、結構、距離がありますよね」
「だから馬を借りるんだ。何の様も無く馬屋に来るわけないだろう?」
まさに騎士の仕事と言うことだ。馬に乗ってこその騎士なのだから。臨時ではあるものの。
「けど、私、馬に乗れませんよ?」
「………そうだな」
ジンはカナを見て呟く。彼女の背丈は年相応だ。馬の背中に乗れば、馬の動きに翻弄されてしまうだろう。
仔馬なら乗れるかもしれないが、それはそれで仕事上、都合が悪い。
「二人乗り用の馬もある。君は俺か鞍にでも掴まっていてくれ」
「そうします」
なんとも勢いを崩される出発であった。
ハイジャングのすぐ近くには二つの大きな湖が存在する。東にあるミドルレイ湖と西のシュンジ湖。二つともハイジャングの面積よりも広く、ハイジャングはその挟まれた場所に町を発展させた。
水源地が豊富というのは、町の発展に必要不可欠であるし。両脇が外敵に攻められにくい土地柄というのも好まれていた。
ハイジャングは言って見れば、水の町と言える場所だった。
「当然、そういう土地柄のデメリットはある。人の住み難い湿地帯が多くあるってのがそれだな。今回向かうオタムディア湿地帯もそう言う場所で、人なんて住んでない未開の土地だ」
ジンとカナ。二人して馬に乗りながら、ハイジャングの西へと向かう。馬を走らせたところで、目的地到着にはまだまだ時間が掛かる。そこでジンは、これから向かう場所がどんなところであるかをカナに説明していた。
「人がいないんでしたら、そもそも私達が動く必要が無いんじゃないですか? 人間がいないとなれば、人間に関する問題が起こり得ません」
「普通はな。だが、うちの組織に一つ報告が届いた。今朝、フライさんが読んでいた報告書のことだ」
「私、その内容がどんなものであるかを知りませんよ? ジン先輩が見せてくれませんでしたから」
報告書自体は、フライ室長からジンの手へと渡っており、内容がどの様な物であるかをジンは知っていた。
ただ、カナへ自分達の仕事がどの様な物かを実感させるには、仕事内容を事前に知らせるよりは、自分で考えさせた方が良いと判断したので、カナには知らせていない。
「さて、ここで問題だ。現状、君の言う通り、人々に問題は起こっていない。けれど、俺達は報告のあった場所に向かわなければならない。どうしてだろうな。ちなみに、やらないで置いても良いかもしれないが、国としてはやらなければならないことでもある」
ジンはまるで謎かけの様に、背後で馬にまたがるカナへと尋ねる。勿論、カナの前に座り、馬の手綱を握ったままでだ。
「……今、特に問題が起こっていなくても、将来的には問題が起こる……かもしれないからですか?」
「正解だ。俺達の仕事を教えておいてやる。『魔奇対』は、アイルーツ国内で将来的に起こり得る可能性がある問題を、事前に調査し、さらに未然に防ぐという物を、主な任務としている」
起こり得る問題と言っても、それが起こる前に対処さえしてしまえば、労力はそれほど必要無くなる場合が多い。『魔奇対』程度の組織でもどうにかできてしまうのだ。
「今回の場合は、どういうものなんですか?」
「これから向かうオタムディア湿地帯なんだが、危険かもしれない物を見かけたという報告が入った」
「それがフライ室長やジン先輩が見た報告書なんですね?」
「ああ。鞄の中に入ってる。見てみるか?」
「すみません。ちょっと今、手を離せないので」
「そうか。じゃあ口で説明する」
カナの言う手が離せないと言うのは、それのそのままの意味だ。走る馬の上に乗ることが精一杯らしく、ジンの背中にしがみついていた。
「なんでもな、そこでドラゴンらしき生き物を見掛けたらしい」
「ドラゴン?」
カナは疑問符を浮かべるが、その単語の意味を尋ねているわけでは無いだろう。ドラゴンという動物については、知らない人間の方が少ない。大きな蜥蜴で、猛獣であることが多い。動物の中では賢いらしく、さらにその体も強靭だ。人間にとっての天敵に成り得る存在でもあった。
「そうだ。ドラゴンらしき動物の影を見掛けたんだそうだ」
「そのドラゴンが、どうして将来的にアイルーツ国に問題を起こすかもって話になるんですか?」
カナが尋ねているのは、ドラゴンの影を見掛けた程度で、国家機関がどうして動かなければならないのかと言うことだろう。
ドラゴンは確かに恐ろしい動物であるが、国が広ければ、そういう動物も国内に存在する可能性が高くなる。そして、何も問題が起こって居ない状況で、いちいちそれに対処していればキリが無いというのも分かる話だ。
「普通のドラゴンなら、ああいう大型の化け物は単独で動くことが多いから、こっちが近寄らなければ良い話だ。これが人里近くだったり、街道付近なら話が別なんだが、人が住まない湿地帯周辺なら、別に問題は無い」
未開の土地に猛獣が棲むというのは良くある話であり、そこを開拓しようという意思が無ければ、人間にとっては無関係の話なのである。
「発見されたのは、普通のドラゴンじゃあ無いってことですね?」
「報告自体がまだ正確な物では無いから、本当かどうかも不明。今回、俺達が向かうのは、入った情報が本当か、それとも見間違いなのかの調査でしかないわけだが………」
もし、情報が本当だったとすれば、将来的にはアイルーツ国にとって大きな問題が発生するかもしれなかった。
「その影を見たというドラゴンは、いったいどういう種類の物だったんでしょうか?」
「ああ。俺も詳しくは無いんだが、なんでもグリーンドラゴンと呼ばれるドラゴンらしい」
グリーンドラゴン。その名の通り、緑色の鱗を持つドラゴンである。ホルス大陸のドラゴンは大きく、空を飛ぶ翼と頭の角が特徴で、口から破壊的な力を持つ火や吹雪、毒を吐くという姿が殆どなのだが、一方でグリーンドラゴンはそのどれもに当てはまらない。
グリーンドラゴンの大きさは全長5m程。これは長い尾も含めた物であり、実際に見た際の印象は、馬と同程度がそれより少し大きいと感じる程度の大きさだろう。
二本の後ろ足で前傾姿勢を保ちながら歩いているのが一般的な動作だ。火も吹かないし空も飛ばない。頭もドラゴンにありがちな角が無く、つるりとしている。
他のドラゴンに比べれば、あまりにも弱弱しく感じてしまう。しかし、それでもグリーンドラゴンは人間にとって脅威だった。
「グリーンドラゴンは群れで行動するんです。そんなドラゴンは、グリーンドラゴンを除いて発見されていません。大きな群れになれば、数百頭か存在する時もあって、何でも食べる雑食性も合わさって、群れの周囲を不毛の地へ変えてしまう程に食い荒らしてしまうとか」
現在、カナはオタムディア湿地帯にある高台に立ちながら、同じく隣に立っているジンにグリーンドラゴンの説明をしていた。
「へえ。そりゃあ町に住む人間にとっては、近づかれるだけでも大問題だな。まあ、ここならハイジャングから離れているから問題はまだ無いが」
「それでも、怖い物は怖いですよ。あの群れはどう考えたって、どこかへと移動しているんですから。昔から、グリーンドラゴンに滅ぼされた町や村というのは後を絶ちません。直接襲われるのは勿論、無事、グリーンドラゴンが通り過ぎたとしても、土地を荒らされて住めなくなるとか」
カナは高台から辛うじて見える湿地に動く影を見ていた。複数存在するそれは、二足歩行をする蜥蜴の様な姿をしていた。報告を信じるならば、それはグリーンドラゴンということになる
「ここから見えるあれが、そういう恐ろしい存在かもしれないってことか。それにしても、随分と詳しいな君は」
「ドラゴンの知識は、魔法を学んでいれば、自然と身に付く物です」
「魔法とドラゴンにどんな関係が?」
「知らないんですか? ドラゴンはその強靭な体を維持するのに、本能的に魔法を使っているんですよ。体の中心にある竜骨という機関がその中心となって、本来ならあり得ない体の動きができる様になっています。火を吐いたりするのも魔法を使っているみたいなものなんです」
「なるほど。なんでドラゴン発見の報告に、『魔奇対』が駆り出されたのかと思っていたが、そういう繋がりがあるのか」
「知らないままでここに来たんですか!?」
カナは驚く。ドラゴンが魔法と関わりの無い存在だとジンは考えていた様だが、それならば、本来の仕事とは無関係だと思いつつ、こんな町から離れた場所まで来たということになる。
「一応、ハイジャングの危機に対して、それを回避するために動くのも俺達の仕事だしな。ドラゴンが町の近くにいると聞けば、そりゃあ俺の仕事だと思うだろう?」
「まだ、町の近くまで来てませんよ。馬を飛ばして2時間以上掛かる場所じゃないですか」
「それでも、やっぱり危険なんだろう?」
先程、カナが話した事を覚えていたらしい。グリーンドラゴンの群れは人間にとってあがない難い災害の様な物なのだ。
「他のドラゴンに比べれば、グリーンドラゴンは弱いと言えますが、それでも一体一体が人間にとって脅威になるんです。それが何十何百と考えれば、それがどれだけ恐ろしいことか」
「そういう強い体を維持するために大喰らいで、それも人間にとっては厄介って感じか。なんとしても、町に近づけない様にしなきゃな」
「まだあの影がグリーンドラゴンと決まったわけじゃありませんよ? それに確認できたところで、私達二人で対処できる相手じゃあありません」
本当にこの湿地帯にグリーンドラゴンの群れが存在しているのかどうかの確認は必要だとカナも考えるが、それ以上の行動は明らかに許容範囲を超えている。
「そうでも無いさ。行動が早ければ、対処の方法は最小限ですむ。まだ町から近くない場所にいるグリーンドラゴンなら、どうにかして町に向かわせない様にすることも可能だろう?」
「どうするつもりです?」
ジンの考えていることが分からず、カナは首を傾げた。
「群れは動いている様だから、調査がてら俺が近づいて、その進行方向を探る。もしそれがハイジャングへの方向だったのなら、ちょっと意識を別の方向に向けされるんだ。ハイジャングから距離はあるわけだろ? ちょっとズラすだけでも、ハイジャングを避ける方へ向かわすことができる」
呆れた考えだとカナは思った。確かに、口にするだけなら簡単だ。しかし大きな問題をジンが無視している様に思えた。
「あのですね、いくら他のドラゴンより小さいと言っても、人間の私達から見れば大きな猛獣なんですよ? ドラゴンの牙か爪に比べれば、私達なんて紙屑同然の存在なんですから、ちょっと進行方向をズラす間に、ジン先輩が死んじゃいます」
「俺が普通の人間ならな」
ジンはそう言うと、いきなり姿を変えた。ほんの一瞬の間で、黒い鎧男に変身したのだ。
「奇跡の力……ですか」
「力が強くなるのと、体が頑丈になるのが特徴だ。人間の体は紙屑かもしれないが、この鎧に対してはどうかな?」
「それは……わかりませんが」
「だろうな。だから試してくる」
言うや否や、ドラゴンらしき影が見える場所まで一直線に走り出した。変身したと言っても、二本の足であることは変わり無い。だと言うのに、その速さはここまで乗って来た馬と同じくらいか、それより早い。
カナが茫然としている間に、ジンは豆粒に見えるくらいに遠くへと走り去っていた。
「な、なんて無茶を!」
漸く自分を取り戻し、叫ぶカナだったが、その声はジンに届いたかどうかは怪しい。それ程にジンとの距離は離れている。一方で、ジンとドラゴンの影は、数秒毎にその距離を縮めて行ったのだった。
ジンはぬかるんだ湿地帯でその足を進める内に、自分が目指す先にある影が、間違いなく話に聞くグリーンドラゴンであることを確認した。
(数は……20から30ってところか? 近づいて見ると、思ったよりデカい)
普通のドラゴンよりは小さいと聞いていたものの、それでもジンの背丈よりは大きな体格をしている。
ジンがその姿を確認できたということは、ドラゴン側も勿論ジンに気が付いているだろう。
ギャアギャアといった叫び声が聞こえて来た。ドラゴンの声の意味などジンにはわからぬが、どういう意図を持った声なのかがどうしてだかわかった。不審な奴が近づいてきたと、仲間に伝えているのだ。
「夕方ごろに鳴く鳥の不気味な声に似ているな。まあ、鳥なら可愛げがあるから良いんだが」
ジンはドラゴンが確実に自分を見ていることを確認してから、その場に立ち止まった。ここから先が境界線だ。一歩進めば、ドラゴン達はジンを襲ってくるかもしれない。そうでなくとも、いつまでもこの場所に立ち止まり続けたら、群れは不審者を排除しようとするに違いない。
「さてと……普通なら、姿を確認できた時点で撤退するんだが」
ジンは群れるグリーンドラゴン達を見渡した。群れで移動中なのは知っている。皆が同じ方向を向いていた。太陽の方向からして、東側だろう。
「ここから東にはハイジャングがある。ハイジャングの近くには当然、小さな集落や村が点在している。放って置くのはまずい……かな?」
少なくとも、ドラゴンの意識を別の何かに向けさせ、群れが進む方向を変えさせる必要があるだろう。
「ドラゴンの群れに挑むなんて、初めての経験かもしれな―――」
ジンが境界線への一歩を踏み出そうとした瞬間。別の方向から影が飛び出してきた。ジンが見ていた群れ以外の場所に、他のグリーンドラゴンが隠れていたのだ。
「奇襲なんてことをする知能があったのか!?」
気が付いたジンが襲ってきたドラゴンに目を向ける間に、ドラゴンは逞しい腕とその先から伸びる鋭い爪でジンを斜め上から切り払った。
ドラゴンの腕に振るわれるまま、その場から吹き飛ばされるジン。視界がぐるぐると回り、すぐに止まった。地面を二、三回転ほどさせられたらしい。鎧が地面の泥に汚れてしまう。
だが、それだけだった。ジンの鎧には傷が一つもついておらず、ジン自身も脳震盪すらしていない。
「どうにも頭の中まで頑丈になる奇跡でね。中々目も回らないのさ。お前らの爪も通らないと来ている。さて、次はどうするつもりだ?」
ジンはその場で立ち上がると、ドラゴンを挑発する様に話し掛ける。別に言葉が通じるなどとは考えていない。ただ、こちらに嘲りの感情があると獣に理解させられれば上出来だと考えていた。
「蜥蜴だから無理かな?」
相手の知能に一抹の不安を感じたジンであったが、ドラゴンはジンに追撃を加えようと再びこちらへ向かってくる。
爪が無理なら次は牙だろうか。その口蓋を大きく開けて、ジンへと突進してきた。
ジンはそれを正面から迎え撃つ。
「さあ、今度は力比べだ」
ジンは足を深く落とし、両腕を広げた。そしてドラゴンがジンに接近し、咢を閉じるし瞬間に、その首根っこを抱く様に腕を回す。
「どうした? 牙も通らないみたいだが」
ドラゴンの牙は、ジンの鎧にしっかりと届いているものの、文字通り歯が立っていない。それを確認したジンは、自分の腕に力を込める。ドラゴンの首を、自身の腕で締め付けているのだ。
ギャアア!
ジンの鎧へ噛みついていた口を開いた。呼吸ができぬ苦しみか。それとも歯が通らず痛かったのか。兎にも角にもドラゴンは苦しげな声を上げている。
「そう簡単には逃がさねえぞおっとって、ぐわあ!」
ドラゴンの首を絞めつけていたジンだが、別方向からの突進を受けて、その腕を離し、再び地面を転がることとなった。
そして起き上がり、周囲を確認する頃には、漸く状況を理解したのである。
「そうだよな。一匹だけじゃ無かったもんな」
奇襲を仕掛けて来たドラゴンと戦う内に、もうすっかり周りを囲まれていたらしい。30頭はいるだろうグリーンドラゴン。そのすべてがジンを睨み付けているのを見て、ジンは鎧に包まれている頭を掻いた。
「なんだなんだ。モテモテだな。俺」
その冗談は少しも笑えないと、ジン自身が一番理解していた。