第二話 『森はすぐ傍に』
頭が重い。ジンが町の南門にまで来た後に考えた最初のことがそれだった。というか、朝起きてからそのことばかり考え続けている。
「あー、飲み過ぎたか」
原因はとっくに分かっている。二日酔いだ。昨日は行きつけの酒場の店主から、珍しい酒が入ったと勧められ、結果、悪酔いしたのだ。
酒場で飲んでいた時の前半は記憶にあるが、後半はまったく記憶にない。目が覚めたら自分の家にいたので、酔っぱらった自分はなんとか家に帰れたことは分かるのだが、何故かどこかの店の立て看板を抱いて眠っていたことに関しては、それがどういうことなのかを理解できなかった。
「一種の謎に思えないか? これは」
「お酒に酔っぱらった人間は、記憶する能力は低下するそうですが、判断能力はそれほど落ちないそうですよ」
朝方に起こった良く分からない現象についてジンが尋ねるのは、カナだった。町の外での仕事なので、南門を待ち合わせ場所にしていた。騎士用の馬小屋はここにしかない。
「判断能力が落ちないでいると、立て看板をどっかから持って来て、それを抱いて眠るのか」
「酔っぱらったジン先輩には何かしら正当な理由があって看板をどこから盗んできたってことです。例えば立て看板が綺麗な女性に見えたとか」
「判断能力が落ちてるってことじゃねえか」
今日のカナはどうしてだか非常に冷たい。人に残酷な言葉を吐いてくる。
「ああ、それと看板もれっきとした所有物ですから、ジン先輩は人の物を盗んできたことになりますよ。あまり周りに言いふらさないでくださいね。職場の先輩が犯罪者なんて嫌ですから」
どうにもカナは怒っているらしい。嫌味ばかりが口からでてくる。何か悪い事でもしてしまったのだろうか。
「何か嫌な事でもあったのか? 今日は随分と不機嫌じゃないか」
「人に仕事を頼んでおいて、その日の夜に酔いつぶれ、待ち合わせの時間に遅れて来た人が目の前にいるっていうのは、嫌な事の内に入らないんですか?」
まあ、薄々そんな予感はしていた。彼女が不機嫌な理由はジン自身にある。仕事で疲れているらしい彼女に別の仕事を頼んだのは自分であるし、そこへ待ち合わせに遅れたという致命的な行動をしでかしてしまった。今日一日は、彼女の嫌味を聞き続けることになるだろう。
「悪かったって。反省の証として、今日から一週間は断酒するつもりだ」
「私に、まったく利益の無い決意をされても困るんですけど」
無しのつぶてである。さて、どうやって彼女の機嫌を治した物か。
「と、とにかく。仕事場へ向かおう。今からブッグパレス山に向かえば、昼には着くだろうし」
ジンはとりあえず仕事に専念することにした。要するに逃げたのである。
先日までブッグパレス山は、アイルーツ国にとってそれほど重要では無い土地だった。周囲に人里は無く、貴重な資源も無い。土地は流通路以外では未開のまま放置され、その流通路も主要から外れているため、人通りも少ない。
結果、ドラゴンが巣を作ることになり、巨大ドラゴンが生まれる下地を作った。そうして今はアイルーツ国の関心が向いているというのは、どこか皮肉めいていた。
「相も変わらずの禿山だが、それこそブラックドラゴンがここにいた証ってんだから、調べないわけにはいかないよな」
ブッグパレス山までやってきたジンとカナは、馬から降りて禿山部分を見つめていた。以前来た時は、禿山の原因についてを調べていたが、今は巨大ドラゴンが暴れた後だというのが分かっている。
「ブラックドラゴンは、あの巨大な体を維持するためになんでも食べようとしていたんでしょうね。森の木々だって食料にしか見えなかった。骨を調べた学者先生曰く、極度の栄養失調状態だったそうですよ」
「なるほど。成長期の子どもは基本的に大喰らいだが、あそこまでデカくなれば、ちょっとやそっとの量じゃあ腹は満たせなくなる。ずっと腹が減った状態なら、ゴーレムのパンチ一発でノックアウトするのも良くわかる話だ」
ブラックドラゴンの印象として、背丈の割に細長い体というものをジンは持っていたが、その理由が、飢餓で痩せ細っていたからだというのは納得できるものである。
「ドラゴンの骨だけでそれくらいわかるんですから、何もこんな場所まで調査に来なくても良かったのに………」
カナがぼそりと愚痴を漏らした。
「なんだよ。まだ不機嫌なのか?」
「別にそんなのじゃあ無いですけど………。今さらこの山を調べたって、町をドラゴンが襲った事実を変えようが無いじゃないですか。事前に奇跡による被害を防ぐのが私達の目的なのに」
後から調べたところで、何の役にも立たないとカナは言いたいのだろう。最近は仕事に疲れている彼女だ。せめて行う仕事はやりがいのある物をと考えているのかもしれない。
「ドラゴンの死体を調べて、ドラゴンのことを知るのは、町でもできることかもしれないが、この場所ならこの場所なりに、できることがあるもんさ」
せめてカナの気力を取り戻させるためにジンは話す。
「例えば、どういうことですか?」
「そうだな。ブラックドラゴンはこの山でデカく成長した。つまり、この山にドラゴンが大きくなった原因があるかもしれない。その真偽を確かめるには、直接出向いて調べる必要があるってわけさ」
どうせ奇跡によるものだからと原因究明を怠れば、また同じ悲劇が起こる。無駄に終わる可能性があろうとも、万が一を考えて動くのが公的機関という物だ。
「わからない話では無いですけれど………。調べてわかるものなんですか?」
カナの言うことは真理だ。奇跡とはその原因がわからないからこその奇跡であり、原因を究明しようとして出来れば、それは奇跡で無くなる。
「わからないだろうなあ。要するに形だけだ。ドラゴンがどうして巨大化したかを調べましたが、俺達には皆目見当もつきませんでしたと言う結果が必要なんであって、本当に解決する必要は無い」
世の中、実利より建前が優先される。万が一に備えるのが公的機関だが、だからと言って出来る事と出来ない事が逆転するわけでも無い。
「じゃあ、私はいったい何のために連れて来られたんですか。確か調査に私の知識が必要だから呼び出したんですよね?」
「ああ、あれは嘘だ」
「はあ!?」
カナに睨まれてしまう。10代とは思えぬ凄みのある目線だ。少し足が震えてしまったのは内緒である。
「いや、その、な。最近忙しいみたいじゃないか。そろそろ新しい仕事ばかりで頭の中がパンクしそうになる頃だろ。なら、偶には何も考えずに空でも見上げる仕事があっても良いんじゃないかと思ってな」
「………つまり、私を呼び出したのは私に暇を作らせるためで、ジン先輩が仕事をしている内に、私は仕事をサボってボーっと空でも見上げてろと?」
そういうことだ。何かの職についていると、暇なんてそうそう出来ない物だ。だから大人は、ズルをして休める時間を無理矢理作るのだ。
今回はカナがまだ仕事上は新人で、戸籍上は子どもであることから、ジンがどうにかして彼女を休ませる時間を作ろうと画策したわけである。
「町の喧騒から逃れると、思った以上に頭が休まるんだ。町の外に出る時は、結構そういうことをしていたよ。最近は酒を逃げ場の代わりにしているけどな………」
元々、ジンは農家の出だ。広い土地と安穏とした風景に心を休ませる性質なのだ。ただ、ハイジャングで公的な仕事に就いていると、そういう景色に触れる機会が少なく、代替手段としての酒に逃避することとなった。田舎から出て来た若者が都会で酒に潰れるのは、そういう理由があったりするものだ。
「はぁ………それならそうと言ってくれれば良いのに。てっきり、また厄介な仕事が増えたと思って、不機嫌になりましたよ」
「伝える前から不機嫌だったくせに………」
「何か言いました?」
「いや………」
何故だろう。自分の方が年上でしかも先輩だと言うのに、どうにも立場が弱く感じてしまう。
「ま、まあ。とりあえず、俺がこの山の調査をするから、君はここで待っていてくれ。なんなら、ハイキングでもすれば良い」
「ハイキングコースにしてはちょっと道程がキツい気もしますが……。けど、先輩の気遣いくらいは受け取っておいとも良いですよ?」
「ああ、そうだな。そうしてくれ。俺は禿山あたりをうろついているから」
どうにも気恥ずかしさが先行したジンは、そそくさと一人で山の調査に向かった。
と言っても、どうせ何も得る物は無いだろうから、仕事を早めに終わらせて、久しぶりにゆっくりと休むのも悪く無い。
そんな楽観的なことを考えていた罰だろうか。せっかくの気遣いも無駄に終わることとなる。魔奇対が動くべき事件が起こってしまったからだ。
ジンが異変に気が付いたのは、ブッグパレス山の禿山部分と森林部分の境界に足を運んだ時だった。
「あれ……木ってここまで後退していたか?」
以前、足を踏み入れた時よりも、禿山部分が広がっている。ジンはそんな印象を持った。勘違いだろうかと首を傾げるものの、怪しいと思ったことは調べる性分であるためか、ジンは他の場所にも足を運ぶ。
「やっぱりだ。ここも前とは違っている」
禿山部分が広がっている地点から北側へ歩いた場所も、以前来た時とはその風景が違っていた。ただし、この場所の場合は、木が無かった場所に木が生えていた。
「以前、木があった場所が今は更地になっているってのはまだわかる。木が折れたり枯れるなりすれば、存外に早く風化しちまうしな。ただ、木が無かった場所から急に木が現れるのは有り得るか?」
突如として現れた様にしか見えない木を見つめるジン。そこそこの大きさに見える。樹齢は十数年と言ったところか。
急に植物が成長するということが有り得る話なのか。そこまで考えて、ジンは危険な兆候だと気が付く。
「ブラックドラゴンはこの山でデカく育ったんだ。山の木だって同じことが起こるかもしれない?」
半信半疑ではあるものの、異変が起こっているのは事実であった。ジンは木を詳しく調べようと右手を伸ばした。
その瞬間、木の枝が不気味に伸び、ジンの右手に巻きつく。
「っ! なんだ!」
枝はジンの手首から肩にかけて、ぐるぐると巻きついてきた。明らかに普通の現象では無い。枝の力は強く、ある程度の高さがある枝の根本まで、腕ごとジンを引っ張り上げようとする。
「木が動いた!?」
ジンは枝の力に抵抗し、その場に踏みとどまろうとする。結果、ジンの右腕は引き千切られそうな程の痛みを感じることとなった。
「………ヤバいかもな」
枝の力はジンの力よりも強く思えた。このままでは枝の根元までジンが引っ張られるか。それとも腕が本当に引っこ抜かれるかもしれない。
「自然破壊は好みじゃあ無いんだが、こりゃあ仕方ないだろう」
現状が危機だと判断したジンは、心が冷えていくのを感じる。勿論、恐怖からでは無かった。冷静に現状を把握し、対処方法を考える思考に切り替えただけだ。
そうして出した結論は、生身のままなら反抗は無理だろうが、鎧姿にさえなればなんとかなるだろうという大雑把なものである。
「よっと」
それほど強い意思も無く、ジンは黒い鎧姿となった。頭の頂点から足の先まで、ジンの体すべてを覆うその鎧は、ジンの体に潜む奇跡の力だ。
山の木が動いたのもどうせ奇跡の力なのだろうから、奇跡には奇跡をという形になるだろうか。
木の枝はジンの右腕に巻きついたままである。どうしてだかは知らないが、異物がジンの体についたまま鎧姿になると、異物と体の間に入り込む形で鎧が構成されるらしい。例えば縄に縛られた状態で鎧姿になっても、縄に縛られた状態のままとなる。衣服などは鎧に覆われてしまうのは、どういう区別なのかがわからないが。
「まあ、縄に縛られていたとしても、引き千切れば良いだけなんだが!」
ジンは少しだけで右腕に力を入れて、自分側に勢い良く引っ張る。それだけで木の枝はその本体である木からもげた。力は強いが、強度は普通の木の枝と変わらぬらしい。
鎧姿となり、身体能力が強化されたジンであれば、右腕を自由にするのは簡単だった。
「しっかし、木が突然動き出すとは。突然、ここに木が現れたんじゃなく、ここに木が移動したってことなのか?」
ジンは木から距離を置いて観察する。もうジンを襲ってくるといった様子は無いものの、目の前の木が普通の存在で無いのは事実だ。
以前来た時には無かった場所に木が存在している理由とは、このおかしな木が別の場所から移動したからだと見るべきだろう。
そういえば、こことは逆にあったはずの木が無くなっている場所があったはずである。あの部分も、木が移動した結果なのだとしたら。
(ちょ、ちょっと待て? 見ただけで禿山と森林部分の境界線が変化してるって気が付いたんだぞ? どれだけの木が動いた?)
ジンはここに来て、漸く事態が思った以上に大規模であったことに気が付いた。禿山境界線部分の木。もしかしたらその殆どが、動く木になっているのかも。
(いや、まさか……もっとヤバい?)
地面が揺れているのを感じて、自分の考えがまだ甘いのではないかとジンは疑う。地面の揺れは、以前、ブラックドラゴンが動いた時に感じる物よりも穏やかだ。
ただ、揺れは常に続いているし、どうにも広範囲でそれが起こっている様にも感じる。
「は、はは。マジかよ」
ジンは走る準備をする。できれば禿山部分を走りたい気分になったのだ。だが、走り出すのが遅ければ、それは不可能となるかもしれない。
禿山となっている範囲が、どんどん狭くなっている。動き出した木は一本二本という数で無く、山全体の木が動き出したかの様にうごめき、禿山部分を木で覆おうとしている。
「というより、俺を狙っている!?」
ジンは禿山が木で覆われる前に走り出した。鎧姿となれば、脚力や持久力も強化されるため、走る速さは馬を超える。しかし、それでも間に合うだろうか。
動く木の量は森のそれだ。動く木で無く、うごめく森と表現した方が正しい気がする。その森が、ジンを包囲しようと動き出しているのだ。
ブラックドラゴンに荒らされて誕生した禿山を、再び森が覆い尽くそうとする。自然の強さを感じる光景であるが、ジンはその景色を悠長に眺めているつもりは無かった。
「くっそ! 間に合うか!?」
うごめく森に周りを囲まれるというのは想像したくない状況だ。木の一本一本から枝が伸びて来れば、今度は本当に自由を奪われるかもしれない。
「というか、枝で縛られた後はどうなるんだ!? 簀巻きか!? 達磨か!?」
動く森の目的がわからない。どうにもジンに対して敵意を抱いているのは確かな様だが。
「くっそおおおお! 森の中で死ぬのなんてまっぴらごめんだからな!」
ジンはひたすらに逃げた。周囲の木々が敵である以上、どこに逃げれば安全かはわからなかったが、とにかく馬でやってきた地点を目指す。そこにはカナもいるだろう。彼女も危険な目にあっているかもしれない。
その頃、カナは青い空を見上げていた。天は高く、太陽の光が眩しかった。こうやって何も考えずに空を見上げるのは久しぶり……いや、初めての事かもしてない。
「生まれた瞬間から、色々考え事をしていたから……こうやって、何も考えない時間なんて、まったく無かったのかも。子どもの頃から、周囲と何かが違っていて………」
自分が普通の人間で無いと気が付いたのは何時頃だろうか。恐らくは覚えているまい。なにせ、物心がついた頃から、既に自分は周りとは違うと考えていたのだから。
「今にして思えば、単に大人になるのが周りより早かったってだけなんだろうけど」
今では、自分が周りとは違うとなどとは思っていない。魔法の才能はそれなりにあるのだろうが、それだけだ。それで仕事が楽になるかと言えば、そうでも無い
「むしろ、才能なんて無かった方が、平凡でそれなりな仕事に就けてたのかもしれないし………。って、この齢でそんなこと考える方がおかしいよ!」
カナははっきり言わなくても子どもである。なんの因果か、既に社会に出て働いている身であるが、むしろこれから将来について考えて行くべき立場であり、間違っても自分の境遇を悲観する時では無いはずだ。
「やっぱり疲れてるんだ………。考えがどんどん変な方向へ行っちゃう。ジン先輩の言う通り、空でも見上げてボーっとするべきなのかな」
カナは俯きかけた顔を上げて、再び空を見上げようとする。しかし、その目的を達する前に、上がっていく頭を止めることとなった。
「あれ? ジン先輩?」
カナの視線が固まった先には、こちらに走ってくるジンの姿があった。ジンはどうしてだか奇跡の力で鎧姿になっており、その彼が出せる全速力でこちらへとやってきている。
「随分と急いでいる様だけれど……え?」
走り来るジンを見ている内に、カナも漸く異変に気が付いた。ジンの背後から側面にかけて、その周囲にある禿山が、どんどん木々に浸食され始めているのだ。
「って、木が禿地を浸食するわけないじゃない! 夢? 幻?」
「夢じゃねえ! 現実だ! 早く馬に乗れ!」
ジンに怒鳴られて、カナは自分の見ている光景が本物であることを受け入れる。森が動き、ジンを追っているのだ。
「う、馬に乗れって、私が一人で乗れないの知ってるじゃないですか!」
「そうだな! くそ! じゃあ馬の横で待ってろ!」
ジンに言われた通り、すぐそばで待機させている馬にカナは駆け寄る。そこへジンが追いついて来るのは、それほど時間は掛からなかった。
「も、森が……森が!」
ジンが近くまで来たと言うことは、彼を追う森もすぐ近くまで迫っているということだった。
迫る森はまるで緑の波の様であり、それに巻き込まれれば、カナの体など一溜りも無いだろう。
「さっそく逃げるぞ!」
ジンがカナと馬がいる場所まで辿り着くと、彼はカナを右腕で持ち上げて、もう一方の腕を馬の背中に乗せる。さらにそのまま軽くジャンプして、体ごと馬の背中に乗った。そうして彼は馬の背中に乗せていた手で手綱を握り、馬を走らせる。右腕はカナを持ち上げたままである。
「きゃ、きゃああ!! 揺れます! ちゃんと馬に乗せて下さい! って、森が、森が迫ってる!」
カナはジンに抱えられた状態で馬に揺らされる。それだけでも中々の恐怖だったのだが、さらに抱えられた姿勢は、丁度馬の進行方向とは逆側を向く状態だった。
つまり、背後から迫ってくる森が、眼前に見えていたのだ。
「知ってる! 畜生、ドラゴンの次は森が敵かよ! どんな奇跡だ!」
ジンは愚痴と嘆きの混ざった怒鳴り声を上げている。走らせる馬も背後に脅威を感じているからか、強制せずおも全速力で走っていた。しかし、それでも心許ない。
「あれ、あれなんなんですか! なんで森が動いているんです!?」
「知るか! この山、本当に何かおかしいんだろうさ!」
ジンの言う通りかもしれない。山に潜むドラゴンが巨大化し、生える木々が動き出す。そんな山が他に在れば見てみたいものであった。いや、本当は見たくも聞きたくも無いが。
「おい、カナ! まだ余裕はあるか?」
「余裕!? ありませんよ!」
どう考えても事態は逼迫している。さらにカナの精神状態も混乱により最悪の状態と言えた。
「魔法も使えないのか?」
「ま、魔法? つまり、魔法であの木々をなんとかしろと?」
「別に全部薙ぎ払う必要は無い。いっぱつデカいのを撃てば、もしかしたらこっちを追うのを止めてくれるかもしれない!」
馬を走らせ続けるジンだが、どうにも今のままだと危険だと感じているらしい。それはカナにもわかる。森の侵攻は馬が逃げる速度よりほんの少し早く、このままでは追いつかれるだろう。
「ま、待ってください。今、とにかく規模の大きな魔法を使いますから!」
カナはどう考えても集中できる姿勢では無いのだが、それでも生き残るためと、目を閉じ、魔力の調整を開始した
「火より風だとか、向こうの侵攻を押し留める魔法が良い」
ジンの助言を受けて、森の侵攻を止めるための魔法を決定する。
「これなら!」
カナは叫び、馬の後方に魔法へと変換した魔力を放つ。その魔法は力場だった。力の塊とも表現できるそれは、魔法の影響化では一定の質量を持ち、周囲の物質を自らの質量で追いやる力を持っている。
その力場を、カナは迫る木々で無く、その木々の進行方向と、逃げる馬の間へと放ったのだ。
「地面が割れさえすれば!」
カナの魔法は強力だった。並みの魔法使いではこうはいかないだろうという威力で、地面にぶち当たり、一定の範囲に小規模の地割れを発生させたのだ。
「後ろはどうなってる!?」
馬を前へ走らせることに集中するジンは、森がどうなったかを尋ねて来る。
「ちょっと待ってください……よし、割れた地面のせいで、侵攻速度が落ちてるみたいです!」
カナは割れた地面より先に進めないでいる木々を見た。だが、そこにもすぐ根が張ってしまったのか、再び木々は侵攻を開始する。
しかし足止めができたのは事実だった。木々が止まっている間に、カナ達は迫る木々から距離を開けることができ、逃げ切ることに成功したのである。