とりあえずの帰還
「すごいねー、これ」
僕の横にいるはずの、村山さんが呟く。
視界には、自身の体を含め人の姿は無い。だけど手に持っているジュースの入る容器は、チャプチャプと音を立てている。
ひとまず魔法は成功し、先ほどの訳の分からない戦闘(と呼べるのか知らないが)における惨状は、どうにか回復できた。今は予定通り彩水の家へ向かう途中。行きと同様透明になる魔法を使い、他の人に見つかることはなかった。
「あ、それと細波君、だっけ?」
歩いていると、村山さんが声を掛けてくる。僕がうんと答えると、彼女は言った。
「あのさ、村山さんという言い方は正直嫌だから、名前でいいよ。さん付けも嫌だから、呼びつけでお願い」
その指示に、僕は首を傾げた。
「なんで、嫌なの?」
「家の馬鹿兄を連想させるから」
「……わかった。じゃあ僕も名前でいいよ」
苦労しているのだろうと、なんとなく思った。
彼女の兄である幸一先輩はトラブルメーカーとして有名だ。おそらく一緒にされたくないのだろう。それは同じように馬鹿兄を持つ自分には、わかる。
道中の新たな会話は、その程度。それ以外としては気付いたことが一点。
僕が彩水に声を掛ける度に、横手から気配を感じた。きっと彼女――玲香が睨んでいるのだろう、と思ったがあえて無視した。その辺りのことは置いておこう。
多分だけど、厄介事のような気がしたし、この騒動が終わった後でも対応できると思った上、何より問題を増やしたくなかったためだ。
十五分程度で、彩水の家に到着する。前にいると思しき彩水がカチャカチャと音を鳴らし、少しするとガチャリと扉が開いた。鍵をポケットから取り出し開けたのだろう。体に触れている物は、全て透明になるため鍵すら見えていないが。
「さ、入って」
透明なまま、彩水は扉を開け中へ入る。
もし他人が見ていたなら、とことん奇異な状況だろう。だけど僕は構わず中へ入る。冷房がリビングから漏れているのか、玄関先でも結構涼しかった。
「お邪魔しまーす」
遅れて玲香の間延びした声。扉が閉められ、僕は小さく息をつく。
「魔法、解除せよ」
それに合わせ、彩水が言った。
同時に僕と玲香の体の透明効果が解除される。玲香が「おお」と感嘆の声を上げる中、僕は靴を脱いで家に上がる。そこで彩水も魔法を解除した。
「さて、兄さんはどうしているかな」
僕はなんとなく不安に思いながら、リビングへ繋がるドアを開ける。
そこには、ワイドショーを見ているおばさん。そしてうろうろとしている兄の姿。
「兄さん、帰ったよ」
「ん? おお」
兄は僕らに首をやると、新たな来客に目を輝かせた。
「来たか……どうだ? 新しい体の感触は?」
「それ以前に言わなきゃならないことがあるよね……」
僕はうなだれながら、兄へ告げた。しかし、
「結構快適です」
玲香は陽気な声音で兄へ応じた。僕が反射的に振り向くと、彼女はニコニコしていた。
「ほう、そうか。具体的にはどの辺が?」
「力を持ったことで、悪い虫を退治できるようになったので」
なんだか怖いことを言う。同時にああ、そうかと思った。彼女はどっちかというと、兄に近い人間なのかもしれない。
「そうか、なら早速バトルロワイヤルでも――」
「あ、それはやめときます」
玲香は手をパタパタと振って速攻で否定した。能力について思う所はあるようだが、その点は拒否すると確約を貰っていた。
断られた兄は、残念そうに口をつぐむ。とりあえず、馬鹿兄の目論見通りにはならなそうで安堵した――が、ふいに僕は首筋がヒヤリとした。きっと彼女が睨みつけたんだろう。理由はわからなかったが。
「ねえ兄さん」
僕は視線を無視するように、テーブルにジュースを置きつつ、話す。
「この場にいる全員は戦う気なんてサラサラ無い。そしてこうしてジュースも戻って来たから、もう変化する人はいないよ。薬を作ってくれないかな?」
「まだ静奈さんが残っているだろう」
「残っているから、何?」
尋ねると、兄は口を閉ざす。残っているから――バトルロワイヤルが成立する可能性がある。そう言いたいのだろうか。
「もうあきらめたら……?」
「いや、まだだ。この手で実験データを手に入れるまでは」
「……はあ」
兄の言動に対し、僕は深いため息をついた。その間に彩水はジュースの容器を手に取り、台所へ持っていく。
「あ、彩水。ジュースどうするの?」
「どうって……捨てるけど」
「それをそのまま流すのもかなり危険な気がするんだけど」
「……それもそうだね」
彩水は気付いて、開けようとしていた容器のふたから手を離す。
「え、でもこれそのままにしておくのも……」
「兄に責任を持って処理させる。ひとまずそこに置いておくんだ」
僕の言葉に彩水は頷き、流しに容器を置いた。そして冷蔵庫からもう一つのジュースを取り出し、それもまた流しに置く。
「バトルロワイヤル……」
兄の声がした。見ると、なんだかしょんぼりとした姿の兄。
普段見ない態度なので新鮮ではあるが、それ以外何の感情も抱かない。当たり前だが。
「兄さん、さっさと薬を」
「お前はそればっかだな」
茶化すように返された時、僕はゆっくりと拳を上げた。
兄は慌てて両手をかざし、制止するように声を上げる。
「わ、わかったよ。だけど、材料を集めないと」
「なんかのゲームみたいに、世界の果てに行って来いとか、そういうのじゃないよね?」
「ああ、それは大丈夫だ。スーパーで買えるものだから」
スーパーで買えるものでこんな変化ができたのか。僕は内心驚愕しながらも口には出さず、椅子に座ろうと足を向けた。
「待った」
けれど、いきなり肩をつかまれる。
目をやると、殺意を見え隠れさせ微笑を浮かべる、滅茶苦茶怖い玲香がいた。