魔法を実践する
数分後、彩水はゆっくりと立ち上がった。
口元を抑えていた手を外し、もう一度文面を見る。そして――
「せ、正義と平和をまき散らす、魔法少女アルティメットリーン参上! さあ! 黙って私に首を差し出しなさい!」
次は一息に言えた。その直後彼女の持つ杖の先端が、淡く青色に輝く。
「おお、すごい」
杖を見て僕は感嘆の声を漏らした。今まで身体的な変化しか見てこなかったので、本当にそれらしい現象は、初めてだったからだ。
「彩水ちゃん。杖を相手に向けながら、言葉を発すればいい。あと、解除する時は、魔法を解除せよ、と言うんだぞ」
兄が補足すると、彩水はゆっくりと僕に杖を突きつけ、緊張した面持ちで呼吸する。
「それで、えっと……」
その姿勢のまま動きが止まる。何を言えばいいか考えているのだと思った。
僕もまたどういったセリフを言わせようか考えて、一つの結論に行き着いた。
「じゃあ彩水。頭が痛いからそれを治すように頼むよ」
「……わかった」
僕の提案に、彩水はコクコクと首肯する。そして一度深呼吸した後、僕の目を見ながら言う。
「ず、頭痛よ、治れ……!」
その言葉の瞬間、僕の体に白い光がまとわりついた。
思わず驚き体が硬直する。彩水もまた言葉を失っている間に、突如頭痛が消え、光が消えた。
「本当だ……痛みが引いた」
「ほ、本当に?」
疑うように訊いてくる彩水に、僕は神妙な顔で「うん」と答えた。
「効果は、本物みたいだ」
「成功だな」
やり取りを見ていた兄が、横槍を入れる。
「よし、続いて別の能力者の解析に移ろう。彩水ちゃん。友人の家へ――」
「あ、兄さんはここで留守番ね」
僕が言う。兄は途端に口を尖らせた。
「は? 何を言っている?」
「おばさんをそのままにしておくのは駄目だよ。あの調子だと、どこかに行ってしまいそうだし」
おばさんを見ながら兄へ告げる。相変わらずワイドショーを眺めているおばさんであったが、放っておくのはいくらなんでも危険だ。
「ひとまず状況を確認するために、こっちに集まるようにすればいいでしょ?」
「それじゃあバトルロワイヤルの意味が……」
「しなくていい」
強い口調で言うと、兄は押し黙った。僕はじっと兄を見ながら、さらに続けた。
「いい? 僕は元に戻す方法が兄さんにしかないから何も言っていないけど……今、本当に怒っているんだからね」
強い眼力で念を押すように告げると、兄はうろたえるような表情を示した。拳が飛んでくる、とでも考えているのだろう。
「他所に迷惑を掛けるなんて……まあ、本音を言えば僕も対象に入れて欲しくないけど、そこは一兆歩譲ろう」
「せめて一億にならないか?」
いきなり変なこだわりを見せる兄。一億だったら許されるとでも思っているのだろうか。
僕はため息をついた後、釘を刺すように言った。
「とにかく、今回の件はいくらなんでもやり過ぎだ。それに、検証なんて別に戦わなくてもいいじゃないか。今彩水がしてみせたように、無害な能力で試したりもできる」
「……命を賭けた、戦いが」
「僕らを殺す気?」
問うと、僕の視線に耐え切れなくなったか、馬鹿兄は視線をおばさんへやった。
「わかった。留守番をしている」
「よし。頼んだよ」
兄へ言うと、改めて彩水へ目を向ける。
「じゃあ、行こうか。あ、僕にも透明とかの魔法をお願い」
「うん」
小さく頷き、彼女はこっちに杖を向ける。
「えっと……じゃあ、行くよ――透明になれ!」
その言葉の直後――僕の体がいきなり消えていく。
「す、すごい」
普通ならば絶対にお目に掛かれない光景――そんな風に思いながら、僕はふと思う。これって、もしかして最高のシチュエーションなんじゃないか? 透明人間というのは、誰もが欲する典型的な力のはずだ。しかも服まで一緒に消えている。完璧じゃないか。
――と、そこまで考え僕は首を振った。いけない、これに馴染んだら兄に付け込まれる隙になる。
とりあえず成功だと彩水に伝えようとした。その時、
「私には、見えているけど」
彩水が声を発した。僕は眉をひそめ聞き返す。
「え? どんな風に見えてるの?」
「体に、青い光をまとっている感じ」
僕の目線からは自分の体は見えないのだが、とりあえず彼女からは見れるらしい。きっと魔法の使用者であるため、見えているのだろう。
全国の透明人間ファンの皆様、願望は叶えられそうにありません。
「で、次は彩水が自分に使うんだけど……兄さん、やり方とかあるの?」
「彩水ちゃんが自分に杖を向ければ使えるよ」
その辺はしっかり設定されているらしい。彩水は声を聞くと自分に杖を向け、同じように透明になった。僕の目からは姿が見えない。
「これで、いいのかな?」
「うん、僕には全く見えない」
頷くと、トタトタと歩く音が聞こえる。
「じゃあ早速行こう。すごく不安だから」
「わかった。兄さん、留守番よろしく」
「任せろー」
兄は手を振り送り出す。僕と彩水はリビングを出て、家を後にした。
外は夏の日差しが降り注ぎ、とても暑い。僕はシャツの襟をパタパタとさせつつ、口を開く。
「暑いな……そういえば彩水。そっちは大丈夫?」
「うん。こんな服を着ているけど、全く暑くない」
正面方向(透明なので一切見えない)から返事が来た。何か魔法的な作用が働いているのかもしれない。
「隆也君は暑いの?」
「みたいだ。その辺も調整してくれれば良かったのに」
僕が答えると彩水は「あはは」と笑った。無邪気な声だったので、再開した時と比べ、ずいぶん持ち直したようだ。少し安心する。
進んでいると、自転車に乗った主婦とすれ違う。ヴァンパイアと魔法少女という訳のわからない二人がいる以上、こっちに奇異の目を向けてもおかしくなかったが、透明であるため気付かない。やっぱり魔法は効いている。
そこで僕は色々と考える余裕が出来たので、これからどうなるかを予想してみる。もし幸一先輩がジュースを飲んでいたとしたら、かなり危ない。飲んだ後どうなるか想像が付かない――というより、想像したくない。でも今は部活中だと思うので、家に帰ってきてはいないと推測できる。
後は、妹の玲香という人がジュースを飲んでいるか否か。そこが最大の問題だ。
物思いに耽っていると、前を歩いている(はず)の彩水とぶつかった。
「あ、ごめん」
「気にしないで」
見えないながら、彩水は言う。そこで、彼女は気付いた様子。
「あ、そっか。そっちからは見えないのか。私にははっきり見えているけど」
「うん。もし立ち止まるなら、声を掛けて」
「わかった」
多分微笑みながら――彼女は答えた。僕はふと、こうして同じ目的で彩水と歩くのはいつぶりだろうと、思い巡らす。
小学生の時は毎日遊んでいた。外出することもあれば内に籠ってゲームをする時もあった。その中で鮮明に思い出せるのは、家から北に徒歩三十分の距離にある、『錦山』という小高い山で遊んだ記憶だ。
そこは小学生にとってたまり場だった。僕や彩水以外に、いろんなクラスの人間がそこへ遊びに来て、流行りのカードゲームのトレードや、何もない空き地でドッジボールをしたりと、いろんなことをした。僕と彩水はそうした輪の中に入る時もあれば、二人で山の奥を散策した時もあった。
山に親が来る時もあったが、森ばかりの山中は隠れられる場所が一杯で見つからないように隠れるなどという有様だった。時には警察が呼ばれるケースもあり一時は封鎖されたのだが、結局人が集まってしまうので、見張り役を付けるという条件で交流は存続されることになった。
もっとも、誰かがこっそり抜け出して山の奥に行くときもあった。僕らもそのクチだ。
過去を思い起こして、やっぱり中学に入って以後、彩水とまともに話した記憶が無いと悟る。再び会話をするきっかけが馬鹿兄の実験というのは、なんだか笑えないが。
「彩水、どのくらいで着くの?」
僕は思考を中断し、正面に訊いてみる。
「えっと、あと十分くらい。そんなに遠くないよ」
「そっか。何事もなければいいけど」
呟いたが、きっと駄目だろうなと半ば達観していた。
僕達がこんな状況だ。しかも気温の高い夏の午後。もらったジュースを飲まないはずがない。
「もし飲んでいても、家にいることだけ祈ろう」
僕は言う。それがこの事態を解決する、最低ラインだといわんばかりに。