頭を抱える事態ばかり
「……えっと、それで兄さん。実験は成功したんだから、元に戻して欲しいんだけど」
そこから話を戻して、僕は兄さんへ要求する。
「いや、悪いがそれはできない」
却下された。僕は無言で拳を振り上げる。兄は身構えつつも、先ほどのようにうろたえはせず答えた。
「いや、駄目だぞ隆也。暴力はいけない。もし今手を上げたら、戻す薬はやらないぞ!」
「ぐっ……!」
拳が止まる。さすがにこの状況でずっといるのはまずい。彩水はともかく、僕は髪色が変化してしまっている。これを誤魔化すのは、いくらなんでもキツい。
ここは、不本意であろうとも従うしかないのか――思った時、兄はとんでもないことを言った。
「まあ、戻す薬を作ってないんだけどな」
「おいっ!」
思わず叫んだ。作ってない!?
「いや、変化する薬に夢中になって、治す薬を忘れててさ。笑えるなぁ」
「笑えるか!」
さらに声を上げ、兄へ言い放つ。
「さっさと作ってよ!」
「少し時間をくれ。二時間もあればできる」
あっけらかんと言われ、僕は矛先を収めるしかない。
二時間ならば大丈夫だろう。それに幸い明日からは土日であるため、最悪今日を含め三日で解決すればいい。
心を落ち着かせ、どうにか平静を取り戻そうとする。そこへ、兄は満面の笑みをこちらへ見せる。
「だがな、隆也。お前には一つ言わなければならないことがある」
「……一つ? まだ何かあるの?」
心底不安を覚えつつも、僕は話を促す。
「ああ。俺は思ったんだ。バトルロワイヤルをしたいと」
「はい?」
今度こそ、呆然となった。いきなり何を言い出すんだ、この馬鹿兄は。
「いいか、隆也、彩水ちゃん。実験というのは性能の結果まで調べ尽くして、ようやく達成されるものだ。つまり、二人のスペックを調べるためには、変化した体でどこまで戦えるか、実証する必要がある」
「ちょ、ちょっと待って!」
僕は慌てて制止した。これはかなり危険な展開だ。
だけど、兄は構わず話し続ける。
「いいか! この場合性能検査とは変化した体の能力を確認することだ! そのためには実際戦い、そして俺の想像通りの力を有しているか把握する必要がある! まずは薬を飲んだ六つの能力を見つけ出し、そこから――」
「ちょっと待てぇ!」
空恐ろしい事実を聞き、先ほど以上の声量で僕は叫んだ。兄は話を中断して、こちらへ首を向けた。
「どうした?」
「……今、六つの能力って、言わなかった?」
聞き咎めた部分を、僕は尋ねる。横を見ると彩水も気付いたようで、口元に手を当て、緊迫した面持ちとなっている。
そうした状況下で、兄は相当あっさりと、頷いて見せた。
「うん。薬は合計で六つ」
聞いて、僕は言葉を失い肩を落とした。
つまり、つまりだ。目の前の馬鹿兄は、この場にいる僕達以外にも、薬を飲ませている可能性があるわけだ。
「それは……どこに薬を入れたの?」
「全部そこの冷蔵庫にある飲み物に」
「――ええっ!?」
今度は彩水が驚く番だった。彼女は慌てて冷蔵庫へ向かうと、そこから兄へ呼び掛ける。
「宗佑さん! どれに入れたんですか!?」
「トマトジュースと同じ容器に入っていた、桃色の飲み物と黄色い飲み物。あとは、手前にあったペットボトルのお茶二つに」
兄が言うと、彩水が帰ってくる。顔が真っ青になっていた。
「どう、したの?」
恐る恐る訊いてみると、彩水からは最悪の答えが返って来た。
「お茶はお母さんとお姉ちゃんので、飲まれてて……二つのジュースは、桃のジュースとグレープフルーツのジュースで、返って来る時に家に立ち寄った友達が、両方とも持っていった……」
「うわぁ……」
頭が痛くなりそうだった。全て飲まれていると思って、間違いないだろう。彩水は状況に怖くなったか、僕にすがるように尋ねてくる。
「ど、どうしよう……」
「と、とりあえず、友達が持っていった方を探そう」
僕は優先順位を考え、彩水へ告げる。
「おばさんと静奈さんは、兄さんのこと知っているから、どうにかなるよ……ちなみに、お二人はどうしたの?」
「お母さんは……二階にいると思うけど……」
不安になったのか、言葉尻がすぼんだ。僕は彩水の表情を見て、励まそうと声を掛けようとした――その時、
「……ん?」
ふいに、悪寒を覚えた。きょろきょろと左右に見回すが、何も見当たらない。
「どうしたの?」
彩水が疑問に思ったか口を開く。僕は寒気のことを伝えようとして――彩水の背後に、それを見た。
「え――」
彼女の数メートル後方に半透明な人間が、床から数センチ浮いて存在していた。その人は僕らに対し、きょとんとした眼差しを向けている。
その顔に、僕ははっきりと見覚えがあった。
「お、おばさん……?」
彩水の、お母さんだった。
声に反応して、彩水が反射的に振り向く。そして視界におばさんを認めると――いきなり体が傾き、倒れた。
「あ、彩水!」
僕は慌てて駆け寄る。おばさんもまた心配になったのか、幽霊というなりのまま彩水へ近寄った。
「彩水、大丈夫!?」
さすがに母親がこんな姿になったのを見て、ショックのため倒れたのだと思った。彩水は気絶しているのか、僕が抱きかかえ肩を揺すっても起きない。
「う、うーん……」
すると、悪夢でも見ているようにうなされ、一言呻くように呟いた。
「ゆ、幽霊……」
「そっちかよ!」
思わず叫んでしまった。そういえば彩水は極度の怖がりで、ホラー映画なんかを見ただけで卒倒するのを思い出した。
「はあ、おばさんは幽霊か」
そんな中、馬鹿兄は顎に手をやりおばさんを見て、分析する。その飄々とした態度に、僕は視線を鋭くする。
「兄さん、こんな状況さっさと――」
『……これ、宗佑君がやったの?』
僕が言い終える前に、おばさんがエコーを響かせ(なぜそうなるのか原理はまるで不明だが)声を上げた。それに対し、兄は素直に頷いて応じる。
「ええ、そうですけど」
『そっかぁ……なんだか、気持ちいいのよねぇ』
いきなりおばさんは、明るく言った。僕は内心不安になり、声を掛ける。
「お、おばさん……?」
『いやねぇ……最近ストレスばっかり溜まってて、解消できるようなこともなかったんだけど、今はすごく気持ちが軽いのよねぇ』
世間話をする口調で、おばさんは話す。嫌な予感を覚えた。これは放っておくと、気持ちよさにかまけてどこかに飛んでいくのではないか。
「わ、わかりました。おばさん」
僕はひとまず、どこにも行かないようにするため、声を発する。
「元に戻れたりする薬は開発しますから、ここで待っていてもらえませんか?」
『……あら? 隆也君? 久しぶりねぇ』
聞いちゃいない。だけど確信した。放置すれば、いなくなる可能性は大だ。
「とりあえず、テレビでも見ていたらどうでしょうか?」
『……そう? じゃあそうするわ』
ほくほくとした笑顔でおばさんは応じると、少しだけ宙に浮いたままソファへ向かい、座ってテレビのリモコンを手に取った。物にはどうやら触れるらしい。半透明なので、見様によってはポルターガイストに見える、かもしれない。
「……とりあえず、おばさんは大丈夫かな」
ワイドショーを見始めたおばさんを見て、僕は安堵する。そして次に、彩水を起こしにかかった。
「彩水、彩水……」
「う、うん……?」
少しして、彩水は目を開けた。しばらくぼーっとしていたが、やがて自分の状況に気付いたのか、顔を赤くしながらバッ――と、僕から離れた。
「ご、ごめん……あれ? でも、何で私……」
と、そこで彩水はテレビの前にいるおばさんに気付き、小さく悲鳴を上げる。僕はまた気絶されたらたまらないと思い、先んじて話す。
「あれ、おばさん」
「お、お母さん……?」
肩を震わせながら、彩水はおばさんの後姿を見る。やがて理解した時、胸に手を当て息をついた。
「あ、あれも宗佑さんの……」
「みたい」
「よ、良かった。幽霊じゃなくて」
最後までそこか、と思いつつも僕は何も言わなかった。