一日の終わりに
「本当に、良かったの?」
僕が隣にいる中で、臆面も無く静奈さんが話す。対する彩水はうんと応じた。
リビングに入ると、まず兄が出迎えてくれた。全員に薬を飲ませ、それからカレーを食べ始めた。玲香と幸一先輩は僕らに配慮したのか、ソファに座り隣同士でカレーを食べている。
もっとも、玲香は「今日だけだからね」と僕に言い残したが。
兄はと言えば、おばさんと共に縁側に座りカレーを食べていた。世間話の類のようなので、放っておくことにする。
そして僕と彩水、静奈さんは今後の方針(僕のこと)を話すため、テーブルに陣取り、カレーを食べる。僕の正面には静奈さん。横には彩水。
「お姉ちゃんの想いを聞いちゃった限りは」
そこでお返しと言わんばかりに、彩水が言う。静奈さんは照れた笑いを見せながら、水を飲んだ。僕は苦笑しつつ全員を観察する。薬を飲み元に戻った面々を見て、日常に回帰したことをはっきりと認識した。
全員が元に戻った食卓は、色としては地味な塩梅となっていた。彩水は容姿に変化は無いがシャツにスカート姿。静奈さんは尻尾が消えただけなので大きな変化は無い。ただ僕と玲香。そして幸一先輩の三人は揃って黒髪に黒い瞳。結果、色合いが少ないなと心のどこかで思ったりする。
「いや、私は別に大丈夫だからさ」
「へえ」
考えている間にも二人の会話が続けられる。静奈さんによる苦笑混じりの返答に対し、彩水は悪戯っぽい笑みを滲ませた。
「一人想い始めたら、どこまでも突っ走るお姉ちゃんはどこ行ったの?」
「わあ! 言わないで!」
どうもこの姉妹、似た者同士らしい。僕はなんだか針の莚にいる気分でカレーを食べ進める。だけどおばさんのカレーは大変美味しく、心理的に辛いものがあったが食がどんどんと進んだ。
「私はさ、嫌われていないっていう確約を貰っただけで十分だから」
彩水は言うと、僕に顔を向けた。
「改めてだけど……中学でもよろしく、隆也君」
「……うん」
素直に僕は応じた。そこでソファを見ると、若干ジト目の玲香がいた。僕は首をすくめつつ、黙ったまま食事を進める。
「ふむ、設定上の問題もあった以上、改良の余地がありそうです」
馬鹿兄の声が聞こえてきた。話が実験にシフトしたらしい。スプーンを持つ手を止め縁側を見る。兄は食べ終えたらしく、器を横に置いて夜空を見上げ会話をしていた。
僕はなんとなく席を立ち、兄へ近づく。するとおばさんが配慮をしたのか、立ち上がりすれ違うように台所へ向かう。
おばさんが座っていた場所に腰を下ろすと、兄が視線を向けてきた。
「お、隆也。ご苦労だったな」
「……あのね、兄さん」
意味は無いだろうと思いながら、釘を刺す。
「今回はたまたま運が良かったから怪我人とかでなかったけど、今度しでかしたらどうなるかわからないからね」
「もちろんだ」
兄は胸を張って答えた。何が言いたいのかわかった。今回の件があった以上――次は絶対に失敗しない。
「あのね、兄さん。僕はもうこんな真似はやめて欲しいんだけど」
「どうしてだ?」
「人に迷惑が掛かるから」
はっきりとした僕の言葉に、馬鹿兄は不服そうに口を尖らせた。そんな顔をしても、頷きません。
「強情だな、隆也は」
「……僕はかなり優しいと思うんだけど」
ヴァンパイアから戻る前に、一発ぶん殴っといた方が良かったかもしれない。だが、それももうできない以上、制裁できない。
なんとなく、そこがちょっとだけ悔やまれた。
「まあいい。確かに山火事まで起こしそうになったからな。自重しよう。しばらくは」
「できれば、二度とやらないで欲しいんけど……」
そうは言っても、兄が止まるはずもないだろう。僕はあきらめた心境を抱きながら空を見上げた。夜空は星も見え、とても綺麗だ。
「おお、そういえば隆也」
「ん? 何?」
「もうすぐ夏休みだったな」
「うん……そうだね。なんか、帰ってくるまでは浮かれてたんだけど、そんな気持ちも吹っ飛んだよ」
「なぜだ」
「こんな訳のわからない騒動を経験したからだよ!」
叫んでしまった。さらにはあとため息をつきつつ、一応兄に言っておく。
「どう言ってもやめないだろうから一つだけ……今後、人様に迷惑を掛けないように、いいね?」
「ああ、わかった」
安請け合いする馬鹿兄。再びため息をつきながら、話題を変えることにする。
「後はこの場を解散して、一件落着だね」
僕は体が重くなったのを認識しながら、空を見つつ言った。
大変な騒動だった――が、中学で疎遠となっていた彩水や静奈さんとこうして話ができた。不思議な縁で彩水の友人である(殺意を伴ってはいるけど)玲香やその兄である幸一先輩とも関わった。決して悪い事ばかりじゃないと思う。
何より、彩水と静奈さんが――僕は少しだけ顔が赤くなるのを自覚した。ずいぶんと、想像以上に状況が進展してしまっているように思える。どうすればいいのだろうか。
「大変だな、お前も」
兄が、僕の心の内を見透かすように、かつ他人事のように呟いた。
「言っておくが、騒動が収まった以上色々と大変だぞ? ふっふっふ……」
不敵な笑みを向ける馬鹿兄。多分、自分の思い通りにならなかった僕に対する、ちょっとした復讐なのだろう。僕はあえて無視した。付き合っていられない。
とはいえ、兄が言ったことも一理ある。今後は彩水達の気持ちに向き合っていく必要があるわけだ。それはきっと、今回のような非現実的な話よりも現実的でありながら、解決においては遥かに困難なものとなるだろう。
夏休みを前にして宿題が増えた――そんなことを思っていると、兄がなおも続けた。
「まあ、お前も色々と大変だろうからな、よければ相談に乗ろう」
「遠慮しとくよ」
馬鹿兄に相談するのは、それこそ末期だ。僕はため息をついて立ち上がろうとした。食事を再開しよう――その時、突如彩水の悲鳴が上がった。
「彩水?」
僕は即座に振り向き、そちらを見た。彩水は椅子から立ち上がり一点を凝視している。他の面々も彩水の声に気付き、視線をやっていた。
彩水の向ける視線、その先には――
「え……?」
僕は思わず呻いた。そこにはおばさんがいたのだが――なぜか、半透明になっている。
「あれ? どうしたの? みんな」
気付いていないのか、おばさんはクスクスと笑った。僕らは誰も声を発せられず、ただおばさんを見るしかない。
「どうした? 何を驚いている?」
兄が、沈黙を破った。僕が振り向くと、兄はおばさんに気付き、にこやかに言った。
「あ、おばさん。幽霊になってますよ」
「え? あ、本当だ」
おばさんは言うと、いきなり体が濃くなり元に戻った。それを見て、僕は果てしなく嫌な予感がした。
「あの……兄さん」
「どうした?」
「その……能力って……」
尋ねようとした時、兄は悟ったようで僕へ告げた。
「ああ、そうか。そういうことか。あのな、能力というのは消せないんだよ」
「……はあ!?」
半ばわかっていながらも、叫ばずにはいられなかった。おばさんを除いた他の面々も、兄の言葉にどよめく。
「一度効果を発揮した以上、能力は体と結びついているから、消すことはできない。さっき飲んだのは、言わば能力を出し入れできるようにする薬だ」
「ちょ、ちょっと待って。本当に消せないの?」
「ああ。というより最初は消す薬を作ろうと思ったんだが、それだとどうも上手くいかないことに、作っている最中気付いた。もしその通りに作っていればお前の存在事消していたかもしれないし、これしか方法がなかった」
そう言って、馬鹿兄は「はっはっは」と笑う。僕は絶望な面持ちとなって頭を抱えた。最悪だ。問題は解決していないということじゃないか。
「ただ、能力を使わないようにすれば大丈夫だ」
「……そういう問題じゃないでしょ」
「まあまあ。今後完全に能力を消す薬を研究するから。それまではしばらくこのままで頼むよ」
笑いながら、馬鹿兄は皆に宣告した。僕は深いため息をつきつつ、周囲を確認する。
馬鹿兄の言葉を聞いて、彩水は自分の両手を眺めていた。静奈さんは自分のしでかしたことを思い出したのか、苦笑している。玲香は困惑した面持ちをしていて、幸一先輩に至っては目を輝かせている――
「――幸一先輩、待った!」
表情から何を考えているか察し、僕は反射的に叫んだ。しかし一歩遅かった。幸一先輩は少し体を身じろぎすると、突如髪が金髪となる。
「おお、マジだ。なれるじゃん」
「ちょっと、幸一!」
玲香が声を上げた。だが幸一先輩はニヤリと笑い、
「少し遊ぶ程度だからさ。前みたいなボロは出さないから心配するなよ」
そう告げた。次の瞬間リビングから出ようとして――玲香もまた、髪色を変えた。
「お、やるのか?」
「これ以上馬鹿やられたらフォローしきれないからね!」
そう叫ぶと、玲香は飛び掛かる。幸一先輩はそれを横へ避けると、リビング入口へ走り出す。
「じゃあ、俺は少し遊んで帰るから! 母さん達には誤魔化しといてくれ!」
綺麗な笑みを浮かべ走り去ろうとした。それを、僕が慌てて止めに入ろうと立ち塞がり、叫ぶ――
「ちょっと待った! もうこういうのはコリゴリだから!」
「お、そっちも変身したか。じゃあ勇者と魔王同士、白黒つけるか?」
「ちょ、ちょっと玲香ちゃん! 構えないで! リビングが壊れるから!」
「魔法で直せばいいでしょ! そこの馬鹿兄を止めるのが先よ!」
「あらあら、何だか大変そうねぇ……」
「おばさん! 危ないからそこにいてください!」
「そう……あ、静奈も危ないわよ?」
「わかってる……ねえ、宗佑君。本当に戻す方法ないの?」
「ああ、そういう薬を作るのはリスクが高い。それより静奈、参加はしないのか?」
「うーん、やめとくよ。私は戦闘向きじゃないから」
森坂家のリビングで方々に会話をしながら夜が更けていく。どうやらこの騒動は、まだ続いてしまうようだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。これで完結とさせていただきます。




