魔王の城郭
「さて、行くよ」
入り口はいくつかあるが、僕らは最も利用される正面入口から山へ侵入した。正面、といっても街から見ればの話であり、正式名称は錦山南口だったはず。
そこは小高い坂となっていて、真っ直ぐ進めば広い空き地に出る。その場所が小学生にとって一種の社交場といえる所であり、僕にも様々な思い出がある。歩く度に色々と思い出されるが、浸っている余裕はない。
坂を上り始めた時、ズドン、という音が正面から聞こえてきた。限りなく嫌な予感はしたものの、ここで踏みとどまっていても仕方が無いので、先へ進む。
やがて到達した広い空き地には、暗くなりかけた場所に一人立つ幸一先輩。そして、その正面には――
「あちゃあ」
玲香が目の前の事態に、手を額にやって呟いた。声に気付いたのか、幸一先輩は振り返り、こちらへ呼び掛けた。
「ああ、二人か。どうした?」
機嫌よさそうに、尋ねる。だけど僕は答えられない。正面には、空き地の三分の一は埋め尽くすであろう、土砂で形作られた城が建てられていた。
見た感じ西洋の城。入口と思しき大きな門と、とんがり帽子のような塔が中央と左右に伸びている。高さは周囲の木々より少し上といった程度なのだが、威圧感はかなりものだ。
「なんというか、仰々しいわね」
玲香がそんな感想を漏らした。僕も内心同意だった。
暗がりながらよくよく見ると、中世のお城にある紋様のような造形は一切見られない。これから彫るのか、それともデザインが浮かばないのかはわからないが。
「ああ、これで炎を加えれば完成だ」
胸を張り、幸一先輩は答える。炎?
「やっぱり魔王の城というわけだから、少しくらいは派手な方がいいだろ? 俺の力は念じた事が思い通りになるという能力らしいが、装飾とかはロクにできないみたいだからさ。だったら昼夜問わず炎が燃え上がる城とかなら、様になるだろう」
「――ちょっと待った」
僕は、手を向け制止した。周囲の木々を見ながら、幸一先輩へ尋ねる。
「森ですから、そんなことしたらどうなるかわかってるでしょう?」
「大丈夫大丈夫。調整はするから」
何の調整なのか心の中でツッコミつつ、横にいる玲香を見た。呆れたように兄を見る彼女だが、炎なんて物騒なことを言い出しているためか、口を真一文字に結んでいた。
幸一先輩はそれに気付いたのか、不服そうに言う。
「なんだよその顔は? 心配するなって。予行演習はすでに済ませた。成功する」
僕はそこで、幸一先輩の足元がずいぶん黒々しいのを目に留めた。炎を維持するために何度か練習したのだろう。どう足掻いてもやるという様子。できれば実力行使で止められればいいのだが――
「もしやる気なら相手になるぞ?」
口の端を大いに歪めて、幸一先輩は言った。挑発には乗らないことにする。というより、乗りたくない。
どうするか――幸一先輩を見ながら逡巡していると、彩水の呟きが聞こえてきた。
「……しばらく好き勝手やって、飽きたら家に連れて行こう。もし火事になりそうだったら、風とか念力で消せばいいし」
確かにそれしかなさそうだ。
僕らが無言でいると、幸一先輩は障害が無いと悟ったか、背を向け城へ手をかざした。それに合わせ周囲の土が少しずつ盛り上がる。やがてそれが城に吸い込まれ、どんどん埋まっていく。
城は土を吸収するたびに少しずつ大きくなっていく。とんがり帽子の塔より高くなるわけではないけれど、壁がどんどん分厚くなり、さらには土が抉れ窓のようなものができる。
やがて門と思しき場所が砕かれたと思うと、入口が完成する。
「あの中に、住む気なのかな?」
僕がふと呟いた。対する玲香は、
「何も考えていないんじゃない?」
と、ずいぶんと冷淡に応じた。
しばらく眺めていると、幸一先輩は思いの形になったのか、城の真正面で全体を眺め、大きく頷いた。
「よし、それじゃあ始めるぞ」
始めなくていいと心の中で呟くが、次の瞬間には彼の両手が大袈裟に掲げられた。直後、城のてっぺんが炎に包まれ始め、さらにはそれが下へとゆっくり降りていく。
「……よし、完成だ!」
声高らかに、幸一先輩は叫んだ。彼の目にはきっと、壮大な城のように見えるのかもしれない。だが僕から見ると、落城して炎上し始めた無残な城にしか見えない。
闇が出始めた空に、火の粉が舞い上がる。幸い火の勢いはそれほど大きくない。だから煙に気付き誰かがここに来ることもなさそうだし、木々に燃え移りそうな状況にはならないようにも思えた。
「で、幸一……これからどうするの?」
玲香が問う。白い目で見ながら、乾いた声を放つ彼女を背中越しに気付いたのだろう。幸一先輩は錆びた人形のようにゆっくりかつ、ぎこちなく振り向いた。
「これから、とは?」
「そのままの意味。その壮大なお城を放置して、黙ってこの場を後にするなんて真似、しないよね?」
燃え盛る城をバックに、幸一先輩は固まる。どうも完成した以後のことを深く考えていなかったらしい。
「や、やるのか?」
たじろぎながら、魔王こと幸一先輩は身構えた。どことなく言動が弱くなっている。玲香を見て思う所があったのかもしれない。
彼女は無言。しばらく双方が睨み合い――何もする気が無いと悟ったか、幸一先輩は余裕の笑みを向けた。
「ふん、俺に勝てないんだからおとなく見ておけよ」
そう言うと踵を返し、いきなり炎により朽ち果てようとする城の中へ入っていく。もしかしてこの状態で勇者を待つつもりなのだろうか。勇者って僕しかいないんだけど。
「何にも考えていない……」
頭を抱え、玲香は言った。僕も同意見ながらしばし城を見上げ、炎に包まれていても城が壊れないのに気付く。まあ、そういう仕組みに幸一先輩がしているのだろうから当然なのだが、延々と炎を上げ佇む城は、結構不気味だった。




