とりあえず、落ち着きを取り戻す
リビングに戻ると、相変わらずおばさんはテレビに見入っていた。
兄はというと、椅子の所にも、ソファにもいなかった。だがすぐに見つけた。縁側に座って、轟音響く庭を観戦していた。僕はなんだか辟易しながら、歩み寄って声を掛ける。
「……兄さん」
「あ、隆也。見物だぞ」
呑気に言う兄は、縁側でジュースを飲んでいた。
「あのね……」
馬鹿兄に僕はため息をつきつつ、庭を見た。
先ほど行われた僕と玲香の戦闘らしきものよりも、酷くなっていた。
今はもう地面が抉れていない場所を探す方が難しい有様。僕から見て玲香は右。静奈さんは左にいるのだが、猛攻を食らい続けた静奈さんは、地面に突っ伏している。
「大丈夫なの……あれ……?」
「生きてはいるぞ。それより、なぜこうなったのか知りたい」
答えられるわけが無い。僕は兄の言葉を無視し玲香に口を開いた。
「あ、玲香……そろそろやめといた方が……」
「あ!?」
ギロッと鋭い視線を向けてくる。好戦的な瞳であり、任侠映画とかに出てくる、迫力ある親分の目に似ていた。
「あ、えーと……」
彼女の表情にたじろぎつつも、なんとか言葉を絞り出そうとする。
そこへ、ゆっくりと静奈さんが起き上がった。
「いたたた……」
体のあちこちをさすりながら、立ち上がる。
服装に変化は無い。そういえば僕の時も衝撃波は服を破ったりはしなかった。きっと服を破壊する特性を組み込んでいないのだろう。どういうメカニズムなのか、全くわからないが。
「静奈さん、大丈夫ですか?」
見た目外傷がないとはいえ、ぎこちない動きではあるので効いていると僕は察した。
静奈さんは僕に目をやると、返答する。
「な、なんだろう? 私、何かした?」
何かしていないというのが前提なのだろうか。
静奈さんの言葉を聞くと、玲香が殺気を膨らませ始めた。僕はそれを制止するように、二人へ両手を向けた。
「と、とりあえずこの場はひとまずストップ! 落ち着いて!」
言う隙に、静奈さんは素早い動作でこちらへ駆けてくる。
そして僕の背後に回り込み、玲香から隠れるように立って様子を窺う。その行動に玲香は最初むっとしたのだが、やがて自分の周りの地面を見て、押し黙った。
さすがの彼女も、庭先の無残な姿に気付いたらしい。
「とりあえず、静奈さん」
玲香が何も言わなくなったので、僕は静奈さんに告げる。
「その、混乱の下になりますから、これ以上は何もしないで欲しいんですけど」
「……そうなの?」
「はい。お願いします」
僕は小さく頭を下げた。
これはある種の策だった。今でもなお疑わしいが――静奈さんが僕のことを好きだとしたら、きちんとお願いをすれば従ってくれるのではないか。それが根拠だ。
正直面倒事はこれで終わりにしたかった。静奈さんが帰ってきて彩水は部屋にこもり、玲香は大暴れした。この辺でそろそろ、場の混乱を打ち止めにしたい。
「わかった」
その願いが通じたようで、静奈さんは了承した。
一方の玲香も潮が引くように表情を戻し、部屋へ入ろうと縁側に近寄って来る。
静奈さんは少しだけ怖々と、玲香が部屋に入ったのを見送った。見た目上外傷は無いが、どうやら玲香の攻撃はきちんと通用しているらしい。玲香は静奈さんに強く静奈さんは僕に強く、僕は玲香に強い。三すくみが生まれたようだ。
なんとなく、彩水はどうすればいいだろうか考える。そうだ、三角形の真ん中にでもおけばいい。それで矢印で適当に結べば――
「で、これからどうするの?」
考えていると、玲香が部屋の中から声を掛けてくる。
僕は思考を中断し、リビングへ戻り、静奈さんを椅子に座らせる。その横、玲香の真正面に僕が座る。
「そうだね。とりあえず玲香は彩水の所に行ってもらえないかな?」
「……何かあったの?」
途端に目が鋭く光る。僕は「落ち着いて」と言いながら、説明する。
「行ってみればわかるよ……僕の口からは言いにくいから、喋るのはやめとく。部屋にいるから、元気づけてやって」
「……なんだかよくわからないけど、いいよ。行ってくる」
玲香は立ち上がり、リビングを出て行った。
残るは相変わらずテレビを見るおばさんと、戦いが終わりブツブツと呟きながら歩き回る兄。そして横にいる静奈さん。
「……はあ」
深いため息をついた。
変身をしてまだほんの数時間しか経過していないが、ずっしりと疲労感がある。夜はさぞ眠れるだろうと思いながら横手を見た。さすがに懲りたかもしれないが、玲香がいない以上何をしでかすかわからないのもまた事実。
しかし、静奈さんの顔つきは少し予想外だった。照れ笑いを浮かべている。
「あ、あはは……」
どこか苦笑にも似たそれを見て、僕は気付く。
顔の赤らみが消え、瞳の光が以前――普段から見覚えのある、いつもの静奈さんの目だということを。
「ご、ごめんね……なんだか、色々あって」
ちょっと声が震えていた。
もしかすると、自分でもコントロールできず僕を目の前にして暴露してしまい、混乱しているのかもしれない。
「……気にしてませんから」
そうやって返すのが、今の僕における精一杯だった。
鼓動が少し早くなる。何か言葉を発した方がいいのかと思うが、全く浮かばない。
だけど沈黙に耐え切れず、僕はノープランのまま口を開く。
「その、静奈さん……」
「何?」
聞き返されて、黙り込んでしまう。この場にあうような話を、僕が思いつくはずもなく、嫌な空気が流れる。
それを破ったのは、静奈さんだった。
「……ごめんなさい、本当はずっと、何も言わずに見守っていようと思っていたの」
か細い声。見ると静奈さんは僕を見ないように、独り言のように語っていた。
「なんというか、ほら。小学生の子を好きになるなんて、自分で変だと思っていたから」
「ああ、いえ……」
僕は少しばかり顔を赤くする。
どうも変身して以後、おかしな風に感情が交錯し、色々と表に出始めているようだ。これが良いのか悪いのかはわからないが。
どう答えを告げようか、迷った。正直言って今の僕に結論を出すのは無理だ。変化した体のことで頭が一杯だし、何より、相手は彩水のお姉さんで――
そうした心情を把握したのかどうかわからないが、静奈さんは僕の頭に手を置いて、優しく撫でた。
「そんな改まった顔しないで。いつものようにしていればいいから」
「は、はい……」
きっと静奈さんなりの配慮だと思いながらも、僕は頷くしかない。
とはいえ、何もかも知ってしまった現状を鑑みれば、いつものようにという静奈さんの発言も、難しいのかもしれない。
静奈さんが僕から手を離した後しばらくの間は、双方とも会話なくただ椅子に座っていた。ときたま視界にまだ呟きうろつく兄の姿が映る。
さっさと薬を作ってもらえないだろうかと思ったが、あの調子の兄に話し掛けるととんでもなく不機嫌になるので、そっとしておくに越したことはなかった。




