幼馴染のお姉さん、帰宅
彩水の家に帰ると、先に辿り着いた玲香がリビングでジュースを飲み、気絶から目覚めた彩水がキッチンにいて、僕に小さく礼をした。
兄はというと、分析途中なのか机に座り頭を抱え、ブツブツ何かを言っている。
「あ、隆也君。一つ情報が」
僕が席に着く寸前、彩水が声を掛ける。
彼女はオレンジジュースらしき飲み物の入ったコップを差し出しながら、言ってくる。
「お姉ちゃんが、帰ってくるみたい」
「え、本当?」
思わず聞き返した。それと同時に座り、ジュースを受け取る。
ようやく、関わってしまった人物が家に集合しそうだ。玲香の家にあったジュースの残りを考えると、これで変身してしまった人は全員となるはずだ。
「もうすぐみたいだから、このまま待っていようよ」
「そうだね」
彩水に同意しつつジュースを飲んだ。暑さゆえ汗をかいていたので、たまらなく美味しい。
一気に飲み干すと「ごちそうさま」と言い、目の前にいる兄に視線を移す。
馬鹿兄はなおもブツブツ言っている。耳を澄まして何を呟いているか聞き取ろうとすると、なんだか数字をひたすら口に出していた。多分計算式でも頭に浮かべているのだろう。発せられる言葉はひたすら数字なので、怖いことこの上ないが。
横を見るとジュースを飲む玲香の姿。視線に気付いたか喉の動きを止めて、こっちを一瞥した。けれどそれ以上は何かするつもりはない様子。ひとまず休戦らしい。
「さて、静奈さんがどうなっているかだなぁ」
二人を見ながらボヤく。
残っている能力はサキュバスと魔王。どっちも厄介そうではある。たださすがに魔王はやめて欲しいと感じた。というより、そうであって欲しくない。
彩水は苦笑しつつキッチンへ歩いて行く。僕は見送った後、兄へ再度目をやった。
「そういえば、兄さん」
ふと静奈さんのことを思い浮かべ、尋ねてみる。兄はブツクサ言うのをやめると、こちらへ首をやった。
「今回の件って、静奈さんに話しているの? 資料をもらったという以上、何かしら協力がありそうだけど」
「無論だ」
兄ははっきりと頷いた。
「こういう薬ができるかもしれないという話をしたら、じゃあこういうのでと、静奈さんが俺に資料を渡した」
「……根本の元凶は、静奈さんだったか」
「なんとなく、予測できたけどね」
彩水の声。彼女は自分用のジュースを持って兄の隣に座った。
「お姉ちゃんが帰ってきたら、ひとまず安心かな?」
「事態が拡散しないって意味ではね」
口添えすると、彩水は笑った。
正直この時点で相当厄介事になっているし、決して穏やかな状況でもない。けど、魔法を使おうとして暴走したり、衝撃波に追われるという状況にはならないだろうとは思う。というか、もう金輪際あって欲しくない。
「はあ、バトルロワイヤルも終わりか」
兄が残念そうに言った。
いつそれをやったんだと声を上げたかったけど、変に言うのも藪蛇になりそうだったので、口には出さない。
「ねえ、一ついい?」
会話の切れ目を狙い、玲香が小さく手を挙げた。
「私、彩水のお姉ちゃんって会ったことないけど、どういう人?」
「……平たく言えば、彩水をさらにおとなしくした人だよ。見た目は」
僕が答える。玲香が首を傾げると、彩水は苦笑した。
「なんというか、いつもニコニコしていて、周りの空気を変えてくれる人だね」
「……良い人ってこと?」
「うーん……」
彩水は困った顔で唸った。僕は何が言いたいのかわかるため、小さく肩をすくめる。その反応に、玲香は眉をひそめた。
「どうしたの?」
訊いたところで、玄関の方からガチャリと音がした。帰って来たようだ。
「あ、お姉ちゃんだね」
彩水は立ち上がると、そのままリビングを出ていく。
僕は扉に背を向けて座ったままなのだが、黙っていると声が聞こえてきた。
「わー、彩水は魔法少女かぁ」
「そんな呑気に言わないでよ……」
「わー、わー、可愛いー」
ずいぶんと間延びした声に、僕は頭を抱えた。どうやらこの事態を大して、一切憂慮していないらしい。ただ、静奈さんと言えばらしいが。
「ああ、なるほどねぇ」
声に気付いたのか、玲香は小さく納得の声を上げた。僕はそうだと応じようとした時、リビングに二人が入ってくる。
「あ、隆也君こんにちはー」
見知った顔である僕(といっても銀髪で瞳が紅いが)に対し、挨拶をしてくる。それにこちらは振り向き、短く挨拶を返した。そこには、ライトグリーンのワンピースを着た、静奈さんが立っていた。
顔立ちは、彩水をずっと大人っぽくしたもの。それに加え化粧をしているので、相当な美人。髪は栗色に綺麗に染まって、なおかつウェーブがかっている。
肩には手提げ鞄が掛かっていたが、静奈さんはそれを外し床に置くと、玲香に目をやった。
「そちらはさんは?」
「彩水の友達の、村山玲香といいます」
「そう、よろしく。それとごめんなさいー。巻き込んじゃって」
柔和な笑みで静奈さんは言う。天真爛漫といった声音と表情に、玲香は毒気を抜かれたように「はあ」と相槌を打った。
そう、これだ。これが静奈さんの力だ。話によると、高校時代決して笑わない強面の教師でさえ、彼女を前にするとニンマリとなってしまう程、温和な雰囲気を他者にふりまく。おまけに邪気の全くない笑顔に加え、天然なのかそうでないのか判別のつかない優しい声音と言葉。
とはいえ、僕は静奈さんの近しい人間なので、彼女の言動により起こった悲劇も知っている。だからその雰囲気に飲まれ、笑うことができない。
「あ、宗佑さん」
そうした温和な声で、静奈さんは兄へ呼び掛けた。




