さらなる実験
「ほら、元凶は兄さんだしさ。僕はもう慣れっこだし気にしていないよ」
僕は言うと、改めて周囲を観察した。
庭先は混沌のるつぼと化し、普通ならば修復困難なくらい、無残に状況となっていた。玲香の衝撃波により地面は穴ぼこ。柿木が無残に半ばから折られ地面に倒れ、さらに軌道の逸れたいくつかの衝撃波によって、家の一部分を削っていたりしている。
さらに言えば、こんな状況でも団地の中の人が誰も見に来ない。ただ、これには理由があった。僕らのいる団地の人々は、轟音イコール馬鹿兄の実験だという等式を成立させているのだ。だからこそ関わり合いになりたくないと、見に来る気配すらない。大変不本意だが、それだけは良かったと思うしかない。
「そう……」
考えを巡らせていると、彩水は小さく呟いた。
さらにこちらの様子を窺うように上目遣いで見つめてくる。僕は彩水を見返し――玲香の視線に気付いた。彩水の見えないように睨んでいる。
だけど気付かないフリをして、兄を呼び掛けた。いい加減、話を進めるべきだろう。
「兄さん、それで――」
「よし、次は隆也の番だ」
唐突に、この惨状でも兄は告げた。
「超能力者の解析はある程度できた。次は隆也の力の方だ」
「……あのー、もしもし?」
僕は信じられない面持ちで声を掛けた。
だが馬鹿兄は至って真面目に、そのセリフを吐いている。というか、こんな無茶苦茶な状況でよく実験を続けようとする。そういった胆力は、ある意味尊敬したい。
「この状況で、やるんですか?」
僕と同意見なのか、彩水が問う。兄は当たり前だといわんばかりに、深く頷いた。
「当然だ。隆也、もしやらなかったら薬は作らんぞ」
「……ほう」
僕は呟いて、拳を上げた。しかし兄は不敵な笑みを浮かべ、応じる。
「残念だが、もうその手は食わないぞ。彼女だって参加している以上、お前も少しくらい協力するべきだ」
馬鹿兄はどうやら、玲香が嬉々として実験に参加したものとみなし、強気になっているようだ。しかし根本の原因は馬鹿兄にあるので、完全に自分のことを棚に上げている状態なのだが。
「彩水ちゃんのデータも魔法である程度実証できた。後は隆也。お前だけだ」
「……はあ」
僕は困った顔をして、兄にわかるようにため息をついた。
こうなればてこでも動かないのは、経験で知っていた。実力行使に出ても良かったが、先ほど玲香が相当やった以上、ここは無闇に暴力を振るうべきではないだろう。玲香は明らかに僕に敵対しているが、こちらに敵意が無いのを見せておかないと、話がややこしくなる。
「……ちょっとだけだよ」
「おお! ありがとう!」
喜ぶ馬鹿兄。こんなに礼を告げられても嬉しくないのは、早々ない気がする。
まあ、さっさと話を進めるためにここは乗った方がいいだろう――そう自分に言い聞かせた。他の二人の能力については満足した様子だし、僕さえ越えれば、後はスムーズに薬を作ってくれるだろう。
「で、兄さん。何をすればいいの?」
「お前は風の魔法が使えるはずだ」
「何か掛け声とかは?」
「お前が念じた後、声を発すれば使えるはず」
話はそれだけ。それで使えるならなぜ彩水もそうしなかったのだろう。
「わかったよ」
僕は呟きながら、何の気なしに玲香の方を見た。
立ち上がっている彼女と目が合うと、ビクッ、と体を震わせた。仕返しされるとでも思っているのだろう。
「……ねえ、兄さん」
「何だ?」
「風で防壁とか、作れないかな?」
なんとなく、そう訊いてみた。
玲香のこともあるので、自衛の手段くらいは必要だと思ったのだ。だがあくまで、自衛だ。僕は玲香のようにはならない。
だから、防御の魔法が使えるべきだというのが、至った結論。
「防壁、なあ」
兄は逡巡し始める。
「ふむ、どういった魔法が使えるとかは特に定めていないし、風に属する物であれば使えるはずだぞ」
「そう。わかった」
僕は小さく息をついた後、両手を広げた。
なんとなくそういう姿勢の方が、魔法を使える気がしたのだ。目の前には固唾を飲んで見守る彩水と玲香。
玲香については少しだけ怯えた眼をして、心なしか彩水の後ろに隠れている。そんなことしなくても、狙いません。
頭の中でイメージを構成してみる。僕の想像としては、自分を周囲に風を起こし、円形に風が吹き荒れ外からの攻撃を阻むような感じ。
文言はどういうのが良いだろうか――僕は少し考えてから、なんとなくそれっぽい言葉を呟いた。
「防壁よ――吹き荒れろ!」
これで何も無かったら恥ずかしい――そんな風に思った時、僕を中心に風が吹き始めた。
兄が目を見張り、彩水や玲香も口をオーの字にする。発動は、成功だ。
風は僕のイメージ通りに円状に吹き荒れつつ、上空へと舞い上がる。うん、問題ない。どうやらきちんと発動できているようだ。
しかし、それから数秒経過しはたと気付く。なんだか風が少しずつ強くなっている気がする。
「隆也、制御しろよー。頭で念じれば出力を下げられるぞ」
兄の声が聞こえる。僕は頷き風に目をやりながら意識を集中させる。
常に動き回る風は制御に結構大変なようで、少しずつ収まってはまた強くなるを繰り返す。
四苦八苦している様子を、彩水と玲香がじっと眺める。僕はふと彼女達に視線をやり、大丈夫だと声を掛けようとした。だが次の瞬間、風がまた強くなった。
難しい、意識を集中させないと――僕は思い、頭の中で風が収まるように想像した。しかし、その直後視界がブレた。
「――え?」
同時に、体の感覚が無くなる。僕の見える視界には雲一つない青空があった。空を見上げているのかと最初思ったが、浮遊感に疑問を抱く。
「ちょ、っと――!」
さらに横の方から玲香らしき声が聞こえてきた。
何を、と聞き返そうとした時、見上げた視線の先になぜか地面が見えた。それもさかさまで。
「……あれ?」
少し間を置いて、僕は呟いた。そして、気付く。
これ、風にあおられて宙に飛ばされてる?
「――うわああぁぁぁぁぁぁ!?」
そこでようやく、事態を察し叫んだ。
横を見ると、同じように飛ばされている玲香と彩水。一緒に巻き込まれたようで、玲香が彩水を抱えこっちに呼び掛けていた。一方の彩水はぐったりとしている。多分、急展開のため気絶してしまったのだろう。
「は、早く制御して! ぶつかる!」
玲香がわめいた。慌てて僕は意識を集中させる。状況を把握するため頭をフル回転させる。
どうやら僕らは彩水の自宅から上空へ飛んだ後、山なりに突き進んでいるようだ。一度その先の方角を見た。さかさまに見える景色の先には、錦山が広がっている。
「た、たぶん錦山に行くと思うから……そのタイミングで魔法を使う!」
「で、できるの!?」
疑わしげに玲香が問う。無理もない。けど、成功しなければ地面に衝突するので、失敗は許されない。
僕は限界まで理性を保ち、イメージを頭の中で収束させる。浮かべたのは風で衝撃を和らげ、綺麗に着地する姿。それをしっかりと想像しながら、近づく山へ視線をやる。さらに着地地点を予測しながら、叫んだ。
「か、風よ――僕らを受け止めろ!」
次の瞬間、錦山の一角に風が吹き荒れ、その周囲の木々が大きく揺れた。僕らはそこへ真っ直ぐ突き進み――やがて、風に衝突した。
「っ!」
上昇気流のような風が体を包み、動きが一瞬制止する。同時に強弱を調整し、真下にある地面へ着地しようとする。
だけど、それは完全に成功しなかった。イメージに失敗した風はやがて消失し、空中で放り出されて木々へ突っ込む。
「う、わ……!」
木の枝に引っ掛かりながら、落下する。
やがて地面には尻餅をつくように落ちたのだが、ヴァンパイアであるためか衝撃はあれど、痛みはほとんど感じなかった。
「っと……!」
横では、同じく木々がクッションとなって降りてきた玲香の姿。
彩水を抱えた分だけ落下の衝撃が多いような気がしたが――地面に触れる寸前に手をかざし、空中で制止した。
「おお、すごい」
僕が座り込んだまま感嘆の声を上げる。
玲香はチラリとこちらを見た後、力を制御して地面に降り立った。その後気絶する彩水を寝かせて、やっと息をついた。




