第八話
起きると、寝ている間にどこかに拉致されたのではないか、という気分になった。辺りが向日葵だらけになっている。しかし冷静になって見ると、二人で食事したテーブルやその真ん中に置かれている向日葵の鉢などがあり、向日葵が植物用のスペースを越えて部屋を埋め尽くしているだけで、僕たちがどこかに移動したというわけではないようだということがわかった。
植物用のスペースは椰子の木を除いて完全に向日葵に占拠されているように見える。向日葵の数は買ってきた種よりも明らかに多い。それぞれ背が違っていて、無数のライトが向けられているようだった。
「おはよう」
香耶が言った。寝ていると思ったのだが、既に起きていたようだ。「凄くびっくりしてたね」と笑われる。香耶と僕のいる所も椰子の木同様に向日葵に侵食されていない。まるで二人の形にくりぬいたようで、どことなく悪趣味だ。
「何が起きたの、これ」
モンスターの仕業だろうか。でも向日葵を咲かせまくるモンスターなんているのだろうか。泥棒が何を盗んだかわかりにくいようにしたのか。色んな可能性を考えていたが、
「やっぱり覚えてないんだ」と香耶は言う。その口振りからすると、どうやら犯人は僕のようだ。
「寝てる間に何かあったの?」
香耶は頷いた。そして説明しようとしているのだが「ええとね」と言いながら何かのジェスチャーを試みようと動く手は小さな虫のような言葉を捕まえられずにいるみたいだ。
「なんか凄かったんだよ」
向日葵に囲まれた狭い空間ではそのくらいの虫しか捕まえられなかったのだろう。しかし彼女はそこから少しずつ言葉の虫を育てていった。
「勝手に種が動くんだ」
「種が?」
「うん。触ってないのに、それぞれが自分の意思で動いているみたいに」
さらに咲いた向日葵から種が勝手に落ちて、それもまた動いたのだと言う。ホラーでありそうな。
「それ、怖くない?」
聞くと、香耶は首を振る。むしろそんなことを聞いてくるなんて意外だ、といった感じで目を少し丸くして、全然、と言ってそのリズムで首を振った。
「それぞれが勝手に育っていってね、なんだかおとぎ話みたいだったよ」
「へえ」
おとぎ話というイメージで室内を見てみるが、あまりの数に気圧されるばかりだ。僕と香耶の寝ていた部分だけ切り抜かれている点は、もしかしたらメルヘンの残骸と呼べるのかもしれなかった。
「ご飯作るね」
向日葵が足の踏み場を無くしているように見える。香耶は立ち上がって、しばらく整列した花を眺めて、歩き出した。ほとんど花を押しのけることもせず。気になって彼女の通った道を追いかけてみると、向日葵の無い場所が曲がりくねった道を作っているのであった。歩いてみると、どうやら傍にいる向日葵が人のいる方を向くようになっているらしく、ずっと向日葵が僕を見つめている。通路はキッチンやテーブルへと繋がっていて、そこらには向日葵があまり咲いていない。寝ている自分は中々凝ったことをしたようだ。まるで部屋の中に小人用の家を作ったみたいになっている。だからそれぞれのスペースが狭い。テーブルのあるスペースに座ってみると背中が向日葵の壁に触れる。
「ちょっとやりすぎじゃない、これ?」
朝食を作って、食事の部屋にやって来た香耶に言うと、
「でも今日一日くらいはこれでいいんじゃない?」と彼女は言う。
「いいの、これで?」
落ち着かない。どこにいても向日葵が見つめてきているし、黄色がたくさんというのもよくない。人のためのスペースは狭くてそのうち向日葵の壁に押し潰されてしまうのではないか、と想像してしまう。数分眺めるだけなら面白い光景だろうけど、暮らすとなると、それがたったの一日であってもストレスが溜まりそうだ。
そう説得するつもりであったのに香耶は、
「だって私のためにやってくれたんでしょ?」と言ってくるので、用意したものが無駄になる。
「わからない」
酒に酔った勢いで、みたいなことが寝ている間に起きていたのかもしれない。自分の理性が届かないうちにやっていることは恐ろしい。自分のやったことなのに自分でわかっていない。その上、とんでもないことをしていることもある。部屋を向日葵で埋め尽くすなんて行為はまさにとんでもないことなのではないか。自分の中に小さなモンスターが住んでいて、それが寝ている間に勝手に暴れてしまったような気分で、香耶のためにやったなんて綺麗な理由には抵抗があるのだ。向日葵は過剰に設置された監視カメラのように狂気を感じさせる瞳で僕たちを見ていると解釈することだってできるのだから。
「だってこれは」
彼女はどう続くと思ったのだろうか。ともあれ香耶は「でも」と遮った。
「でも和希って不器用なところあるから」
その瞬間、彼女の後ろで僕たちに狂気を移植しようと見つめているはずの向日葵が、それぞれ微妙に顔を逸らしていることに気が付いた。その発見のせいで数秒遅れて、彼女の言葉に打ちのめされる。
「次は、頑張るよ。ちゃんと起きてる時に」
香耶は溜め息を出すのと同時に微笑んだ。僕が知らぬ間に作っていた向日葵たちは横目で見ながら「お熱いことで」とからかいながら香耶の笑顔の飾りになっていた。




