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第一話

 香耶は手鍋の底を両手で持って、手のひらから火を出して温めながらこちらに運んできた。彼女は炎属性の人だからなのか、食べ始めるまでに少したりとも冷やしたくないと考えているらしい。鍋を机に置いた真っ赤な手がおたまを繰って、二つの茶碗に味噌汁を入れる。

 味噌汁は非常に熱くて、冷まさないととても飲めそうにない。持つこともできないから顔を茶碗に近づけて、ふう、ふう、と息を吹きかける。それでも湯気は盛んに発生していた。

「冷ましてあげよっか」

 平然と味噌汁を飲んでいた香耶が言ってくる。

「お願い」

 頼むと、香耶は僕の茶碗を取って、息を吹きかけ始めた。彼女の料理はどれも熱い。ご飯も焼き魚も煮物も湯気を出していて、それが周りの空気と混ざりながら僕を包んでいる。それらを箸で摘んで口の中に入れると、元々は彼女の火だった熱が体内に広がっていくのである。

「はい」と言って香耶は茶碗を僕に返す。

「ありがとう」

 受け取って飲むと、胃からすぐに手足の先まで彼女の熱が伝わっていくような気がした。だから僕は「おいしい」と湯気が出て行かないように呟いた。香耶は微笑んで、追従するように味噌汁を飲む。味噌汁には決まって人参が入っていて、炎が入っているようにも見えるのだった。

 食べ終える頃になるとすっかり体は温かくなっていて、既に風呂上りであるかのようだった。香耶が台所で洗い物をしている間、窓際に生えている椰子の木の下で風に当たる。植物を育てるために設けた窓際のスペース。レンガで囲ったそこは土が服に着かないように、網目状の足場が置かれている。人の足場なのだが、椰子の木のために大きな穴が開けられている。特別扱いなのである。室内用に改造された椰子の木は天井に触れるか触れないかの高さで、それを取り囲むように栄えている草と一緒に丁度いい温度を作り出しているのだった。そこに外から夜の風が入ってくると、体内の熱との差で心地よい。

「お風呂入ろ」

 木に背を預けてのんびりとしていると食器を洗い終わった香耶がこちらへ来てそう言った。香耶が温めればお金がかからない。それを口実にして、毎日一緒に入っている。

「ちょっと待っててね」

 服を脱ぐ前に香耶は湯船いっぱいに入っている水に両腕を突っ込む。ゆっくりと掻き混ぜるのを五分くらいやって「このくらいでいいかな?」と聞いてくるので、僕も手を入れる。ちょっと熱いくらいのお湯になっている。

「うん、これでいいよ」

 香耶は「うい」と言いながら腕を抜く。その腕がほんのり赤くなっている。発熱していると、こうなるのである。上着を脱ぐ頃にはもう肌色に戻っている。自由自在。

「ざっぱあん」

 擬音を口に出しながら、香耶は桶ですくったお湯を頭にかけてくる。一月程前から彼女と暮らすようになって、シャワーを存分に浴びることができなくなった。それでも最初の頃から、香耶と一緒にお風呂に入れるというだけで不便には感じなかったのだから、自分はなかなかに都合がいいと思う。

 僕は一体どういうことをされたら怒るのだろう。

 彼女の指が攻撃的に頭を洗うために頭ががたがたと揺れる中、僕は考えた。しかし怒りそうな場面が思い浮かばない。毎日彼女の熱が体に伝わってくるからだろうか。「ざばあ」と言って、またお湯をかけられた。食事の時とは比較にならない量の湯気が僕たちを薄い壁で囲むようにしている。ずっと閉じこもっていたい気分で、今度は僕が香耶の髪の毛を洗い始める。

 流そうとして湯船からお湯を汲むと「もうちょっとやって」とねだってくる。「今日暑かった」と言って。

「了解。なんか急に暑くなってきたよね」

 熱を持っている彼女にとっては僕の指は冷たいものに感じるようだ。その指が頭を撫でられるのがお気に入りで、心底気持ちよさそうに「はああ」と息を漏らす。香耶が言うには「和希の手には癒し効果がある」らしい。まるで森林浴をしているみたい、というありきたりな表現でも褒められると嬉しくなってしまう。

 植物があまり育たない。お風呂上りに挑戦してみるがなかなか思うようにいかなくて、結局香耶とテレビを見る。でもすぐに気になってしまって、また植物を育てる。この頃甘い物が食べたくなって、部屋で採れたら便利だと思い、お菓子のような植物を作ろうと試みているのだが僕にはそこまでのことはできないらしい。一時間かけて伸ばした草。クッキーを意識して横に広くしたそれを食べてみると苦い。その上噛み切ることができなくて食べ辛い。やる気が挫かれて、テレビに逃げる。

 今日は優れた植物を生み出す職人のドキュメンタリーをやっていた。彼の作った育てると仮設住宅になる植物についてやっていた。種は鶏の卵くらいの大きさの立方体で、植物の種として考えると大きいが、家の材料として見るとあまりにも小さい。それを植えて、後は植物の成長を促進させられる人がいれば、二時間程度で家になってしまうのだという。

「少しでも多くの人に、もしもの時の不安を感じずに日常を過ごしてほしい」

 職人が家になる植物を作るきっかけになった災害を紹介し、彼の試行錯誤を紹介した上でそんな言葉が紹介されるのだった。それから八十歳になった今でも改良を続けているということや、家族の人数に合わせて選択できるように様々なバージョンを開発しているということが説明されて、エンディングに入った。

 挫かれたはずのやる気が元通りになってしまった。自分も植物に影響を及ぼす魔法を使える人間として生まれたからには、ああいうことをしてみたい。しかし出来損ないしか生まれない。とてもじゃないが食べたいような味ではない。

「今日はもうやめたら?」

 もう一度、と思ったところで香耶がそう言って明かりを消す。暗くなった途端になんだか彼女の言う通りにしようという気になった。

「うん、そうしようか」

 外から入ってくる光で、彼女がこちらに寄ってくるのが見えた。しかし輪郭くらいしか見えなくて、傍まで来てやっと表情がなんとなくうかがえる程度になる。湯気よりももうちょっと熱い、彼女の吐息が口に当たるだけでもキスされるということがわかるのに、凝ったガラス細工のように輝いている彼女の目が眼前にあるので、心臓が体中に熱を大量に送り込んでいる。さっきまで様々な形で摂取した彼女の熱と、キスされることで移ってくる熱とが僕の体内で膨らんでいく。何かが焦げた匂いが鼻を刺激した。どうも僕の体のどこかが焦げてしまったらしかった。

「熱い。焼けちゃうよ」

 唇を離して言う。暗いので確認はできないが、どうやら焦げたのは彼女の手が重なっていた左手の甲のようだった。そこが痛む。

「あ、ごめんごめん」

 ちょっと待ってね、と彼女は言うと、手のひらに火を出して、それを明かりにして台所へ向かった。二リットルのペットボトルを抱えて戻ってきた。大胆にもそれを傾けて口に含むと、彼女はそれを口移しで飲ませてきた。冷蔵庫に入れられていたはずだが、水はぬるかった。コップ二杯分くらいをそれで飲まされた。

「これくらい水飲めば大丈夫だよ」

 本当に大丈夫だろうか、と思いはするが、彼女が言うのだからきっと大丈夫なのだ。それに彼女の熱を感じられるのなら、体が少しくらい焼けてしまっても構わないだろう。

「なんだか凄く寂しくなっちゃって」

 僕の体が焦げてしまったことの言い訳をして、彼女はまた触れてくる。段々と温度が上がっていく。最初は彼女の体が熱いように感じていたのが、僕も同じ温度になってきたのか自分の体がおかしなくらいに熱くなってきた。やがては体のどこかから火が出てくるのではないか。そんな予感があるのだがさっき飲んだ水のせいか、焦げた匂いさえせずにただただ幻覚のような熱が体内から溢れる。溢れて、しかし放出することはできず、充満した湯気が体内で真っ白な塊になっていく。

 雷みたいに外が一瞬明るくなった。音は聞こえてこないが、何度も何度も光る。

「モンスターが出たのかな」

 香耶は窓を見て呟いた。熱が漏れたのはその時だけで、その後はずっと僕を加熱し続けていた。病気で発熱した時にも味わったことのない熱に意識が朦朧としていたが、その光とこれまでで一番気持ちよかったことは冷めてもはっきりと覚えていた。

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