人の寿命が見える僕は、残り3時間の彼女を助けたはずだった
オカルトネタのショートショートを書いてみました。
彼女の頭上に「残り3時間」と浮かんでいた。
最初は見間違いだと思った。
電光掲示板の数字がガラスに反射したとか、そういう類の錯覚だろうと。だが、電車を降り、改札を出て、信号を渡っても、その数字は彼女の頭の上にぴたりと貼りついたままだった。
――残り2時間58分。
減っている。
ぼくは立ち止まった。
心臓が、説明を拒否していた。
この能力に気づいたのは三日前だ。人の頭の上に数字が見える。最初に見たのはコンビニ店員で、「残り41年」と出ていた。次に見た老人は「残り2日」。そして本当に、二日後にその老人の死亡記事を新聞で見つけた。
つまりあれは――寿命だ。
彼女は何も知らずに歩いている。イヤホンをつけ、スマホを見ながら。どこにでもいる、普通の人間だ。
――残り2時間55分。
助けるべきだろうか。
だが、どうやって?
「あなたはもうすぐ死にます」などと言って信じる人間はいない。信じたとしても、どうしようもない。寿命とはそういうものだ。
ぼくは尾行を始めた。
自分でも理由は分からない。ただ、見届けなければいけない気がしたのだ。義務のように。
彼女は本屋に入った。雑誌を立ち読みし、何も買わずに出た。次にカフェに入り、コーヒーを飲んだ。窓際の席で、外をぼんやり眺めていた。
――残り1時間12分。
彼女は死ぬ人間には見えなかった。
健康そうだったし、顔色もいい。咳ひとつしていない。
だが数字は減る。
ぼくは席を立ち、彼女の向かいに座った。
「失礼ですが」
声が少し震えた。
「あなた、今日なにか危険な予定はありますか」
彼女はまばたきをした。
それから、少し考えて言った。
「いいえ」
「事故に遭いそうな場所へ行くとか」
「いいえ」
「高い所に登るとか」
「登りません」
「刃物を持つとか」
「持ちません」
彼女は首をかしげた。
「……占いですか?」
ぼくは黙った。
――残り56分。
時間がない。
「今日はまっすぐ帰ってください。寄り道しないで。階段も使わず、エレベーターに乗ってください。火も水も刃物も避けてください。できれば布団に入ってください」
言いながら、自分でも馬鹿らしいと思った。
だが彼女は、意外にも笑わなかった。
「分かりました」
素直にそう言った。
「そこまで言うなら」
彼女は立ち上がり、会計を済ませ、店を出た。
ぼくも距離を取って後を追う。
――残り32分。
彼女は指示どおりまっすぐ帰宅した。マンションに入り、エレベーターに乗り、部屋に入った。ぼくは廊下の外からドアを見つめる。
――残り10分。
何も起きない。
――残り5分。
静かだ。
――残り1分。
ぼくは息を止めた。
そして。
0。
数字が消えた。
同時に、部屋の中から小さな音がした。
「カチリ」と。
反射的にドアノブを回した。鍵はかかっていなかった。
部屋の中で、彼女は床に座っていた。
無事だった。
「……あれ?」
彼女が言った。
「終わりましたよね?」
「え?」
「わたしの寿命、見えてたんでしょう?」
ぼくの背中が冷えた。
「どうしてそれを」
「だって、わたしも見えるんです」
彼女はにっこり笑った。
「人の寿命」
沈黙。
「さっきまで、あなたの頭の上に数字が出てました」
ぼくは反射的に天井を見た。
もちろん、自分では見えない。
「いくつでした」
声がかすれた。
彼女は首をかしげた。
「さっき消えました」
「……え?」
「あなたの数字」
次の瞬間、背後で大きな音がした。
振り返る。
開け放したままのドア。
その上の古い照明器具が、外れて落ちていた。
もし一歩遅れて入っていたら、直撃していた。
ぼくはゆっくり彼女を見る。
彼女は平然と言った。
「助かりましたね。わたし」
「……え?」
「だって」
彼女は微笑んだ。
「あなたの残り時間を、全部使っちゃったみたいだから」
ぼくは、もう一度天井を見上げた。
何もなかった。
読んでくださってありがとうございました。




