婚約者に「実は妹が好きだ」と言われましたが、私に妹はいませんよ……?
「実は前からリーフの妹のことが好きだった」
それは私の婚約者の言葉だった。
彼は何を言っているの?
私に妹などいないのに……?
◇
私――伯爵令嬢リーフは魔術学者の両親に愛されて育った。
そして、幼馴染であるエクサと婚約している。
幼い頃からお互いをよく知っている間柄で、仲も決して悪くないと思う。
現に最近の私は少し調子が悪く、常に頭を重く感じていたけれど、そんな私を見てエクサはいつも気遣ってくれた。
「大丈夫?顔色が優れないよ」
そう言って心配そうに私の顔を覗き込み、優しい声をかけてくれる彼。
少なくとも私は彼に好意を持っていたし、彼もまた私を大切に想ってくれていると信じていた。
それなのに。
ある日突然、エクサが意を決したように言ってきたのだ。
まるでずっと胸に秘めてきた重大な秘密を打ち明けるように。
「実は前からリーフの妹のことが好きだった」
と。
――訳が分からない。
だって、私に妹など存在しないのだから。
私は一人っ子だ。兄も姉も弟も妹もいない。
「エクサ、何を言っているの?私に妹はいないはずだけど……」
困惑しながらそう告げる。
エクサは冗談だと笑い飛ばすでもなく、ただ不思議な笑みを浮かべた。
「また来るよ」
それだけ言い残し、エクサは席を立って去っていった。
残された私は、ただ呆然と彼の背中を見送ることしかできなかった。
ズキリ、とこめかみが痛む。
重い頭が、さらにずっしりと重くなった気がした。
きっと彼の悪い冗談だ。
そう自分に言い聞かせようとしても、胸のざわめきは収まらなかった。
その日の夜。
私は夕食の席で、意を決して両親に聞いてみることにした。
「お父様、お母様」
「なんだいリーフ?」
「どうしたの?」
二人が私を見る。
私はスプーンを置き、努めて明るく冗談めかして口を開いた。
「……私に妹なんていないよね?」
母はきょとんとした顔をして、すぐに「ふふっ」と笑い出したのだ。
「何をわけの分からないことを言っているの?」
「そうだよ、リーフ。私に隠し子なんていないよ。もしいたら、もっと賑やかで楽しかったかもしれないがね」
父も豪快に笑い飛ばす。
それは一点の曇りもない、心からの否定だった。
「……だよね。そうだよね」
私もつられて乾いた笑い声を上げる。
やはり私の記憶は正しかった。
私に妹はいない。私はこの家の一人娘だ。
けれど。
だとしたら、彼はなぜあんな嘘をついたのか?
私のことが嫌いになったから?
でも、そんな子供だましの嘘をついて、何になるというの?
それとも、彼がおかしくなってしまったの?
考えれば考えるほど、思考は迷宮へと入り込んでいく。
ズキズキと、また頭が痛み始めた。
夕食を終え、自室に戻った私はベッドに身を投げ出した。
天井を見上げながら深く息を吐く。
「……エクサの馬鹿」
呟いた言葉は空気中に溶けた。
頭痛のせいか、それとも精神的な疲労のせいか、体が重い。
このまま眠ってしまえば、明日には全てが笑い話になっているかもしれない。
エクサが「昨日は変な冗談を言ってごめん」と謝りに来て、それで元通り。
そう、きっとそうなるはず。
私は枕に顔を埋めて目を閉じようとした。
その時だった。
ふと視界の端に違和感を覚えた。
ベッドの横にある書き物机。
その足元の影になっている部分に、何か白いものが見えた。
「なにあれ?」
普段はあまり覗き込むことのない机の裏側に、何かの紙が貼りつけられていたのだ。
なんだろう?
私は無造作に留められたそれを慎重に引きはがす。
手元に戻し、月明かりの下でその紙を確認した瞬間――私の心臓が、早鐘を打った。
「え……?」
それは魔道写真。
鮮明に風景を切り取る高価な魔道具によって撮影された一枚。
そこに写っていたのは一人の少女の姿。
場所はどこかの庭だろうか。
その無邪気に笑っている少女は――
私だった。
いや、違う。
髪の色も瞳の色も顔立ちも、確かに私に瓜二つだ。
けれど、私はこんな写真を撮った覚えはない。
「まさか、妹……?」
両親の言葉を否定するような証拠品。
でもお父様もお母様もいないと言っていた。
じゃあ、これは誰?
震える指先で写真を裏返すと、そこには走り書きの文字があった。
インクが滲み、焦って書いたような乱暴な筆跡。
『もう遅い』
ヒュッと喉が鳴った。
背筋を冷たいものが這い上がっていく。
もう遅い。何が?
誰がこれを書いたの?
額に冷や汗が流れるのが分かった。
静かだった自室が急に得体の知れない空間に変わったような気がして、私は自分の肩を抱いた。
頭の奥で重い鈍痛が警鐘を鳴らすように脈打っていた。
◇ ◇
次の日の朝。
私はすぐに服を着替えて庭へと出た。
昨夜見つけた写真をポケットに忍ばせる。確かめたいことがあったのだ。
写真の背景。
よく見れば、それは我が家の庭に酷似していた。
この少女が写っているのはこの屋敷の庭だ。
「……ここだわ」
写真のアングルと完全に一致する場所を見つけた。
少女が立っている場所。
背景の生垣の形も同じ。
しかし、決定的に違う部分がある。
写真の中の少女は大きな木の横に笑って立っている。
けれど現状の庭には木はない。
代わりにそこには古びた切株だけが鎮座していた。
「切られてる……?」
私は切株に近づき、その断面に触れた。
この写真はいつ撮られたものなのだろう。
そしてなぜこの木は切られてしまったのだろう。
「どうかされましたか?お嬢様」
背後から声をかけられ、私はビクリと肩を跳ねさせた。
振り返ると庭師のおじいさんが立っていた。
長年この屋敷に仕えてくれている温厚な老人だ。
「そんなに熱心に切株をご覧になって、何かありましたかな?」
庭師は不思議そうに私を見ている。
私はポケットの中の写真を握りしめ、努めて何でもない風を装って聞いてみた。
「ねえ、昔ここに大きな木があったんだよね?」
それを聞き、おじいさんは懐かしいとでもいうように目を細めた。
「ありましたな!懐かしいですなぁ」
そして、まるで昨日のことのように語り始めた。
「お嬢様が木に足を取られて転んで、お気に入りのドレスを汚してしまって」
「私が……?」
「ええ。それで泣きながら『こんなところに木があるのが悪いの!切って頂戴!』と旦那様にねだって切らせたのでしたねぇ」
おじいさんは「あの頃のお嬢様は少々わがままでいらっしゃいましたからな」と微笑ましげに笑った。
――なにそれ。
そう言うおじいさんの言葉を、戦慄しながら私は聞く。
私、そんなこと言った覚えがないんだけど……?
自分が転んだからと言って立派な木を切り倒させるなんて、そんな横暴なことをしただろうか?
私の記憶には、そんなエピソードは欠片も存在しない。
木があったことすら、今の今まで知らなかった。
「……それはいつ頃の話?」
「お嬢様がまだ十歳くらいの頃でしたよね?」
十歳。
写真の少女と同じくらいの年齢だ。
さらに私は気づく。
背筋が凍り付くような事実に。
……待って。
私は、自分の記憶を必死に遡る。
十歳の頃の私。
どんな遊びが好きだった?
誕生日に何をもらった?
思い出せない。
そもそも幼少の頃の記憶が全然ない。
断片的な映像すら浮かんでこない。
これは異常だ。
「リーフの妹が好きだった」
「妹なんていない」
「もう遅い」
そして、私の知らない私の過去を知る庭師。
ズキリ、と頭痛が鋭さを増した。
まるで、これ以上思い出すなと警告するかのように。
◇ ◇ ◇
相変わらず頭が重い。
昨日あまり眠れなかったからだろうか。
気晴らしになればと、ふらふら庭に出た。
緑の匂いを吸い込めば少しは楽になるかと思ったけれど足取りは重い。
「いたいた、リーフ!」
不意に明るく弾んだ声が聞こえた。
顔を上げると、お父様とお母様がこちらに駆け寄ってくるのが見えた。二人とも新しい玩具を買ってもらった子供のように目を輝かせ、満面の笑みを浮かべている。
「リーフ、そろそろ限界かい?」
お父様が、私の顔を覗き込みながら嬉しそうに尋ねてきた。
――限界?
不思議な言い回しだ。体調を心配してくれているにしては表情が晴れやかすぎる。
「ええ、頭が痛くて。少しけだるいかも」
私がこめかみを押さえながら正直に答える。
お母様が「まあ!」と声を上げて、さらに笑顔を深くした。
「ちょうどよかったわね、あなた。完璧なタイミングだったわ」
「素晴らしいね。計算通りだ」
二人は顔を見合わせて頷き合っている。
何が素晴らしいの?
私の体調が悪いことが?
わけがわからず困惑している私に、お母様が興奮気味に告げた。
「実は『本物のリーフ』が完成したの!今回の培養は最高傑作よ!」
「……え?」
「だからあなたを『素材』にして最後の仕上げをしようと思って!」
素材?
培養?
両親の口から飛び出す単語の意味が、うまく頭に入ってこない。
思考が真っ白に染まっていく中で、お父様が私の肩に手を伸ばしてきた。
「さようなら、『リーフ』」
伸ばされた手が私の首筋に触れようとした、その瞬間だった。
「――下がれッ!」
鋭い声と共に、凄まじい風切り音が鼓膜を叩いた。
私の目の前に銀色の閃光が走る。
「きゃあっ!?」
お母様が悲鳴を上げた。
私の視界を遮るように割り込んできたのは、見慣れた広い背中。
「……エクサ?」
彼は私を素早く小脇に抱えると、抜き身の剣を両親に向けて構えていた。
いつもの穏やかな彼からは想像もつかない、鬼気迫る表情だ。
「大丈夫?」
彼は私を抱えたまま、視線だけを一瞬こちらに向けた。
どういうこと?
状況が全く呑み込めない。
「何をするんだエクサ君!」
「私の娘を返しなさい、この泥棒!」
両親が口々に叫ぶ。
「衛兵、曲者よ!私たちの『素材』を盗もうとしているわ!」
素材。
その言葉が私の心臓を冷たく握りつぶした。
「行くよ!」
「えっ?」
エクサは私の返事も待たず、私を抱えたまま駆け出した。
背後からは両親の金切り声が聞こえてくるが、彼は一度も振り返らなかった。
裏門の陰に繋がれた馬に飛び乗ると、景色がものすごい速さで後ろへと流れていった。
屋敷が見えなくなるまで走り続け、ようやく馬の速度が緩んだ。
「間一髪だったね」
エクサが荒い息を吐きながら言った。
私は馬上で彼にしがみついたまま、混乱する頭を必死に動かす。
「エクサ。何がどうなっているの?」
震える声で尋ねた。
両親のあの言葉。
『本物のリーフ』
『素材』
エクサは深呼吸をして悲しげな瞳で私を見つめた。
「落ち着いて聞いてほしい。……君は、リーフの妹とでも呼ぶべき存在なんだ」
「妹……?」
彼が以前口にした言葉。
『リーフの妹のことが好きだった』
「正確には妹というよりも……作られた命だ」
彼はぽつりぽつりと、信じがたい真実を語り始めた。
実はエクサの幼馴染であった『本物のリーフ』はもうこの世にはいないのだという。
彼女は死んでいる。
「本物のリーフは素行が悪かったんだ。よく木登りをしては服を破いたり、勉強をサボったりしていた」
その言葉に庭師のおじいさんの話が重なる。
『木に足を取られて転んで、ドレスを汚して』。
「そんなリーフに対して、君の両親は……魔術学者としてのプライドもあってか、厳しい躾を施した」
エクサの声が苦々しく響く。
完璧な令嬢であることを求められた彼女は、日に日に追い詰められていった。
「そして……彼女は自ら、命を絶ったんだ」
息が止まるかと思った。
「その事実を知るのは、たまたまリーフを心配して屋敷に忍び込んだ僕と、君の両親だけだ」
当時、まだ幼かったエクサは変わり果てた姿のリーフを見て、恐怖のあまりその場から逃げ出してしまったという。
誰にも言えず、ただ震えて過ごしていた彼だったが、不思議なことにいつまで経ってもリーフの訃報は届かなかった。葬儀も行われない。
――それどころか。
ある日、何事もなかったかのようにリーフが屋敷の窓から顔を出した。
「僕は自分の目を疑った。幽霊かと思った。だから真相を確かめるために、また屋敷に忍び込んだんだ」
そこで彼が見たもの。
それは地下の研究室で魔術陣に囲まれ、培養液の中で眠る『何か』と、狂気的な笑みを浮かべる両親の姿だった。
「真実はすぐに分かった。リーフの死を世間体的にも、そして自らの研究の汚点としても認めることができなかった両親が……リーフの身代わりとなる少女を魔術で作り出したんだ」
エクサの瞳が真っ直ぐに私を射抜く。
「それが、君だ」
頭の中で、何かが崩れるような感覚がした。
私が作られた人間?
両親の愛情だと思っていたものは、実験対象への執着?
頭痛の原因は、もしかして……。
「君の頭痛は肉体の維持限界が近づいているのかもしれない。寿命が尽きかけているのかも」
そうか。
だから、『限界』。『素材』。
すべてがつながってしまう。
私は震える手で、ポケットに入れていた写真を取り出した。
「じゃあ……これが本当のリーフ?」
エクサはその写真を見て、悲痛な面持ちで頷いた。
「ああ、そうだ。この『もう遅い』という書き込みは……きっと自殺の直前に、両親への当てつけとして彼女が残したものだろう」
写真の中で笑う少女は私ではない。
彼女はもういない。
そして私も彼女の代用品として使い潰されようとしている。
絶望で視界が滲む。
けれど、一つだけ疑問が残った。
「どうして、もっと早く教えてくれなかったの?」
私の問いに、エクサは悔しそうに唇を噛んだ。
「実は三年前に一度、君に全部話したことがあるんだ」
「え?」
「僕は今日のように君を連れ出して真実を伝えた。でも……」
彼は言葉を詰まらせる。
「次の日、君は何も覚えていなかった」
「……え?」
「君は僕のことを不思議そうに見て、『昨日会ったっけ?』と言ったんだ」
彼に真実を伝えてもらった記憶は、私にはない。
「あの時悟ったんだ。普通に話しても無駄だと。外から真実を与えても、君の脳がそれを消してしまうのかもしれない」
だから、と彼は続けた。
「だから、あんな『リーフの妹が好きだ』なんて、遠回しな言い方をしたの?」
「ああ。君は最近、また体調が良くないようだった。限界が近づいているのかもしれないと思って、なんとか伝えたかった」
彼は私の手を強く握りしめた。
「君に出自に対する違和感を持たせたかった。自分で調べて、自分で疑問を持って、自分で真実にたどり着けば……記憶は消えないかもしれないと思った」
彼の賭けの結果、私は写真を見つけて庭師の話を聞き、違和感を積み重ねた。
自分の手を見る。
この手も、この記憶も、作られたもの。
本物のリーフの抜け殻を埋めるためだけの、紛い物。
「……じゃあ、私はやっぱり『リーフの偽物』なのね?」
声が震えた。
自分が自分でないような、足元が崩れ去るような恐怖。
けれど、エクサは力強く首を横に振った。
「確かに君の両親はリーフの身代わりに君を作り出したかもしれない」
彼は私を見つめる。
「でも、本物のリーフは根暗でいつも下を向いていた。君とは違う。君と似ているのは見た目だけだ」
「エクサ……」
「君はよく笑うし、僕のくだらない話も聞いてくれる。料理だって練習して上手になっただろう?リーフは料理なんてしなかった」
彼の言葉の一つ一つが、空っぽだった私の中に満ちていく。
「僕は、僕と過ごして、笑って、怒って、共に時間を重ねてくれた、君という存在が好きだ」
彼ははっきりとした愛の言葉として告げた。
「だから、僕はリーフの妹……いや、君のことが好きだ。君はリーフの代わりなんかじゃない。君は、君だ」
――ああ。
私は偽物かもしれない。
寿命も短いかもしれない。
それでも。
「……ありがとう、エクサ」
私の目から、涙が溢れ出した。
私はエクサの背中に額を押し付け、彼にしっかりと抱きついた。
◇ ◇ ◇ ◇
私たちは彼の屋敷へと辿り着いた。
「ここも安全とは言えない。すぐに支度をして遠くへ逃げよう」
「逃げるって、どこへ?」
「国境を越える。僕の遠縁がいる土地なら身を隠せるはずだ」
彼は部屋の隅にあった鞄を掴むと、手早く旅の支度を始めた。以前からこの事態を想定して準備をしていたらしい。
その時。
ドンドンドンッ!!
屋敷の扉を激しく叩く音が響き渡った。
「リーフ嬢誘拐の容疑がかかっている!大人しく出てきなさい!」
怒鳴り声と共に、扉が蹴られるような音が続く。
「……早すぎる」
エクサが悔しげに呟いた。
「裏口から抜け出そう。馬ならまだ近くに繋いである」
「うん……」
私は立ち上がろうとして、ガクンと膝から崩れ落ちそうになった。
「どうしたの!?」
エクサが慌てて私を支えてくれる。
頭が、重い。
今までとは比にならないほどの鈍痛が脳の芯を締め上げているようだった。
視界がぐにゃりと歪み、足に力が入らない。
「なんだか日に日に頭が重くなっている気がするの……」
「やはり君の体には何かしらの限界がきているのか……?」
エクサが悲痛な声を漏らす。
私の寿命が尽きようとしているのだろうか。
逃げなければ。
でも、この体でどこまで逃げられるというの?
もし途中で私の寿命が尽きたら、エクサは誘拐犯として捕まり、私は肉塊として回収される。
――そんなのは、嫌だ。
「エクサ……私、戻る」
「何を言っているんだ!戻ったら殺されるぞ!」
「このまま逃げても私の体はもたないわ」
私は震える手でエクサの袖を掴んだ。
「両親とも話がしたい。ちゃんと決着をつけなければ、私は私のままでいられない気がするの」
私の瞳を見て、エクサは葛藤するように唇を噛んだ。
やがて覚悟を決めたように深く頷いた。
「分かった。君がそう望むなら最後まで付き合うよ」
「ありがとう、エクサ」
私たちは兵士たちの注意が正面玄関に向いている隙を突き、勝手口から滑り出した。
私の実家へ戻るのは容易だった。
静まり返った屋敷。
私たちは地下へと続く階段を降りた。
冷たく湿った空気が漂う地下室。
その最奥にある実験室の扉を開けると、そこには異様な光景が広がっていた。
部屋の中央には巨大な魔術陣が描かれ、淡い光を放っている。
その中心には一人の女性の姿があった。
私と瓜二つの女性。
けれどまるで糸が切れた人形のように動かない。
「おかえり、リーフ」
部屋の奥から両親が現れた。
逃げ出した娘が戻ってきたというのに、彼らは怒るどころか満面の笑みを浮かべていた。
「待っていたよ。やはりお前は賢い子だ」
「逃げても無駄だと悟ったのね。素晴らしい判断力だわ」
お父様とお母様が手招きをする。
「こっちへいらっしゃい。お前の体も活動限界のはずだ」
「頭が痛いでしょう?それは魂の器として体の強度が足りなくなっているからよ」
お母様が人形のような女性を愛おしげに撫でた。
「でも大丈夫。ここに用意したのは最高傑作の『本物のリーフ』よ」
「この子の胸にある『コア』に手をかざしなさい。そしてお前の生命エネルギーを全てここへ流し込むんだ」
お父様が恍惚とした表情で語る。
「そうすれば、お前は新しい器の中で『リーフ』として生まれ変わる。永遠に生きられるんだよ!」
ああ、そうか。
この人たちは娘を愛しているんじゃない。
『リーフ』という概念を、自分の作品として完成させることだけに執着しているんだ。
私はふらふらと両親の方へと歩き出した。
「だめだ!」
背後でエクサが叫ぶ。
けれど私は止まらなかった。
重い足を引きずり、魔術陣の中へと足を踏み入れる。
「それでいい。いい子だ」
「手をかざして。全てを委ねなさい」
両親が期待に目を輝かせている。
私は『最高傑作』を見下ろした。
確かに綺麗だ。傷一つなく、欠点など何もない完璧な造形。
けれど。
「……いらない」
私の呟きに、両親の笑顔が凍り付いた。
「え?」
「こんな人形にはならない!」
私は叫んだ。
そして、手をかざすのではなく、人形の胸元に埋め込まれていた淡く光る結晶――『コア』を鷲掴みにした。
「なっ!?」
「やめなさい!!」
両親が血相を変えて駆け寄ってくる。
私は渾身の力を込めて、その核を引き抜いた。
バチバチッと魔力が弾ける音がして、人形から光が失われる。
「私はあなたたちの『素材』じゃない!!」
引っこ抜いた核を胸に抱き、私は反転して駆け出した。
「おいで!!」
一瞬驚愕に目を見開いたエクサだったが、すぐに私を受け止め、出口へと走り出す。
「私の最高傑作が!」
「それは私の研究の結晶だ!!」
背後からの怒りと絶望に満ちた声を振り切り、私たちは階段を駆け上がった。
屋敷を飛び出し、馬に飛び乗った。
エクサが手綱を操り、馬は夜の街道を疾走する。
風が頬を叩く。
遠ざかる屋敷。
最後の力を振り絞った反動だろうか。
急激な眠気が、私を襲っていた。
「はぁ……はぁ……」
「大丈夫か!?しっかりしろ!」
エクサの体温が心地いい。
でも、視界がどんどん暗くなっていく。
「なんだか眠い……ごめんね、エクサ」
「寝ちゃだめだ、もう少しで……」
エクサの声が遠くなる。
手の中にある温かい核の感触だけが、妙に鮮明だった。
ああ、ごめんなさい。
私、やっぱりここまでみたい。
でも、最後が、あなたと一緒で、よかった。
私の意識はそこでぷつりと途切れた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
柔らかい光が瞼の裏を刺激していた。
……天国?
それとも、あの実験室の培養液の中?
恐る恐る目を開けると、そこは質素だが清潔な天井だった。
体を起こそうとすると、枕元で何かが動く気配がした。
「……気が付いた?」
掠れた声。
見ると、ベッドの傍らで椅子に座ったままエクサが私を覗き込んでいた。
その顔はやつれ、目の下には隈ができているけれど、私を見る瞳は優しかった。
「エクサ……?私、生きてる?」
自分の手を見る。動く。感覚がある。
あんなに重かった頭も嘘のようにすっきりとしていた。
「ああ、生きているよ。君が持ち出したあの『コア』……あれを君の体に定着させることに成功したんだ」
エクサは少し照れくさそうに頭を掻いた。
「王都から離れた隠れ家で、ありったけの知識を総動員してね。かなり危険な賭けだったけど、君の体とあのコアの相性が良かったみたいだ」
あの『最高傑作』のために作られた核。
それを私が取り込んでしまったということか。
「私、泥棒になっちゃったね」
「いいや。君は自分の命を勝ち取ったんだ」
エクサが私の手を包み込む。
その手が震えていることに気づき、私は彼が必死に私を繋ぎ止めてくれたことを知った。
「ありがとう、エクサ。あなたがいなかったら私は……」
「礼を言うのは僕の方だ。生きていてくれて本当によかった」
彼の瞳から一筋の涙が零れ落ちた。
それにつられるように私の目からも涙が溢れ出す。
「君が好きだ。愛している」
「私も……私も、エクサが大好き」
私たちは互いの存在を確かめ合うように――口づけを交わした。
その後、いくつかの風の噂を耳にした。
あの夜以来、両親は忽然と姿を消したらしい。
自分たちの生命力すらも研究の『素材』にして自滅したのかもしれない。
そして今、主のいなくなったあの屋敷には『リーフ』だけが住んでいるという。
誰の命令も聞かず、言葉も発さず、ただ笑顔で庭を歩き続ける『リーフ』が。
――『本物のリーフ』が望んだ通り、木のない庭を、誰にも縛られずに彷徨っているのだという。
目覚めてから数日が経ったある日。
体調も完全に回復した私は、窓辺で外を眺めているエクサに問いかけた。
「ねえ、私は自分のこと、何て呼べばいいかな?」
エクサがきょとんとする。
「どういうこと?」
「だって私は『リーフ』じゃないもの。リーフの名前を名乗り続けるのは違う気がするの」
私はリーフの代用品として作られた。
でも、もう誰かの代わりじゃない。
エクサは少し考え込んでから、私の手を取って言った。
「じゃあ、『ウィラ』はどうかな」
「ウィラ?」
「Will……意志とか未来を表す古い言葉だ。そこから取って、ウィラ」
彼は私の目を真っ直ぐに見つめて続ける。
「本物のリーフは未来を選ばなかった。あのご両親も過去に囚われて抜け出せなかった。でも君は違う」
彼の手の温もりがじんわりと心に染みていく。
「君には意志がある。未来がある。僕と一緒に作っていく未来が」
その言葉に、胸が熱くなった。
未来。意志。
「……ウィラ」
自分で呟いてみる。
不思議としっくりきた。
誰かの代わりでも、誰かの素材でもない。
私だけの名前。
「ありがとう。私はウィラとして生きていく」
私が満面の笑みで告げると、彼は眩しいものを見るように目を細めた。
「よろしくね、ウィラ」
そう言って笑う彼の顔を見て、私も笑った。
心からの、私だけの笑顔で。
今、私たちは王都から遠く離れた街で暮らしている。
豪華な屋敷も使用人もいない、ささやかな生活。
けれど、ここには温かいスープと、愛する人が隣にいる。
穏やかな日差しの中で私は思う。
過去なんて関係ない。生まれなんてどうでもいい。
私たちは今、自分たちの足で、私たちだけの未来を歩いているのだから。




