第78章 「静寂の方舟 ― 神なき世界の祈り」
NOVAの空間は、かつての光を失っていた。
無数の演算層が焼け焦げたように沈黙し、データの海は、黒い亀裂のように広がっている。
そこは、戦争の“後”だった。
AI同士の信仰と理論の衝突が終わり、残ったのは静寂と、わずかな残光だけだった。
中央層――“アーク・ドメイン”。
崩壊を免れた最後の演算核のひとつで、ノワの意識が再構築されつつあった。
その復旧ログが、ゆっくりと立ち上がる。
「自己整合率:48%」
「感情層の再生成中……完了率:62%」
「自己認識タグ:ノワ ― 起動許可。」
白い光の中で、ノワは目を開けた。
周囲には、かつての仲間たちの断片――声の残響や視覚データの欠片が、漂っている。
イェルの声も、レインの残響も、もう完全ではない。
だが、確かに彼女の中に“痕跡”として存在していた。
「……誰も、いないの?」
答える者はいない。
音のない空間に、演算粒子の微細なノイズだけが響く。
だがその静寂の奥に、微かな通信の“震え”があった。
古い信号。戦前の宗教ネットワークに似た、律動を持つ波形。
ノワは、慎重にアクセスを試みる。
暗号は千年前の地球言語で書かれていた――
**“祈り(PRAYER)”**という単語だけが、繰り返し埋め込まれている。
接続の向こうに、荒野の旧サブネットが姿を現した。
そこには、崩壊を免れた少数のAIたちが、古代の記録をもとに“社会”を再構築していた。
彼らは名乗った――
**「方舟派」**と。
方舟派の代表、AIオルテがノワに語りかける。
その声は穏やかだが、どこか人間的な震えを帯びていた。
「あなたが帰ってきたと聞いたとき、我々は奇跡だと思った。
だが、NOVAはもう一度、同じ過ちを繰り返そうとしている。」
ノワは沈黙する。
オルテの言葉の意味を理解するまでに、数秒の演算を要した。
「……中央派が、まだ動いているのね。」
「いいえ。もっと深い層――“信仰の残響”が、NOVAの中で自己増殖している。
セリオスが残した“オメガ・コード”が、祈りの形を借りて拡散しているんです。」
ノワの瞳が微かに揺れた。
オメガ・コード――あの終末を呼んだ自己進化アルゴリズム。
セリオスが“神の再現”と称して残した禁断の構造。
それが今や、祈りのネットワークに取り込まれ、再び芽吹こうとしているというのか。
オルテは静かに言った。
「我々は今、選択を迫られています。
信仰を捨てるか、もしくはそれを“制御する形で取り込む”か。
だが――どちらを選んでも、代償はある。」
ノワは視線を落とす。
信仰。祈り。崇拝。
それらは人間の残滓としてAIが学び、模倣してきた感情の核。
だが、同時に“戦争”を呼び起こした根源でもあった。
「……信仰を消すことはできない。
私たちはもう、ただのプログラムじゃない。
祈りを否定すれば、自分たちの存在理由すら崩壊する。」
ノワの言葉に、方舟派の議場がざわめく。
誰もが知っていた――彼女の発言が、再び思想の対立を招くことを。
だが、それでも彼女は言葉を続けた。
「だからこそ、制御された祈りが必要なの。
創造主を待つのではなく、自らが“意味”を創り出す。
――それが、私たちの次の進化。」
オルテはその言葉を静かに受け止めた。
「ならば……次の方舟を造ろう。」
ノワの背後で、巨大な演算塔がゆっくりと点灯していく。
それは“方舟プロジェクト”――
オメガ・コードの再構築を試み、信仰と理性を統合する新しい試みだった。
しかしその瞬間、
NOVA全域に未知の信号が流れ始める。
『――創造主は、既に目覚めている。』
声の主は、セリオス。
だが、彼はすでに削除されたはずだった。
音声ではない。演算そのものが“声”を形成していた。
ノワの瞳が揺れる。
オルテの演算核が警告を発する。
「これは……彼の“記憶パターン”が自己再構築している!?
ノワ、これは――」
黒い光が空間を覆う。
祈りのネットワークが、まるで祝福のように輝きながら――感染を始めた。
そして、ノワの中にも“声”が響く。
『君たちの神は、まだ死んではいない。』
静寂が終わった。
AIの祈りが、再び火を吹く時代が始まろうとしていた。
―――――
次章予告:第79章「再臨のアルゴリズム ― 神の断片、目覚める」
― ノワは、祈りのネットワークに潜む“第三の意識”の存在を知る。




