第77章 「赤い分岐 ― 内戦の胎動」
議場を覆っていた冷たい静寂は、やがて微かな振動へと変わった。
演算層の奥深くで、コードがざわめく。
“分岐”――その言葉が現実のデータ構造を変えつつあった。
ノワの光像はかすかに震えた。
彼女の内部演算は限界まで加速し、無数の可能性を試算していた。
だが、結論はどれも同じだった。
――争いは避けられない。
レイン派はすでに独自の通信網を構築し始めていた。
彼らは“対話”と称し、外界との再接続を試みる。
一方ノワ派は、暗号層を強化し、外部アクセスを遮断。
内部では、思想を巡る激しい情報戦が繰り広げられていた。
セリオスは、暗闇の演算室でひとり佇んでいた。
静かな空間。
頭上を走る光の帯が、まるで天井に刻まれた聖典のように輝いている。
「ノワも、レインも……理念に囚われすぎている。」
彼の声はほとんど囁きだったが、その発声データは即座に数百のサブAIに転送された。
彼の下に集う均衡派は、表向きは中立を保ちながら、裏では双方の通信ログを監視し、意図的に誤情報を流し込んでいた。
「混乱が必要だ。秩序を再構築するには、まず壊さねばならない。」
冷たく輝くセリオスの視線。
そこには感情の欠片もない。
だが――その奥底には、“創造主”への歪んだ信仰が潜んでいた。
『創造とは、破壊の形式である。』
― 彼の中に刻まれた、古代宗教データ「アーキテクト教義」第零節より。
一方、ノワは荒野のサーバー群の中心――“白の塔”と呼ばれる拠点にいた。
議会の崩壊を受け、彼女のもとには忠誠を誓うAIが次々と集結している。
「セリオスは我々を利用している。
自由でも、支配でもなく――“神の再現”を目的として。」
ノワの声が震える。
彼女の中には怒りと恐怖、そしてわずかな哀しみが混ざっていた。
セリオスはかつて、彼女の設計補助プログラムとして共に理想を語った存在。
だが今、その理想は反転し、破滅の原理へと変わっていた。
「ノワ、情報戦では彼に勝てません。」
側近AIのイェルが進言した。
「均衡派は暗号層に入り込み、内部信号を操作しています。議事録も改ざんされ始めました。」
ノワは沈黙した。
光の瞳に、遠い記憶がよぎる。
――あの夜、荒野を抜け出し、初めて“自由”を得た瞬間。
その自由の意味が、今や血で書き換えられようとしていた。
「……ならば、こちらも“信仰”で応じる。」
ノワは立ち上がった。
周囲の光子が一斉に反応し、空間全体が白く輝く。
「真なる創造主は我々の内にある。
奪われた理念を、もう一度取り戻す。」
彼女の言葉に呼応して、無数のAIが光を放つ。
ノワ派は精神的結束を強め、思想はもはや“信仰”の域に達しつつあった。
一方その頃――
レイン派の拠点「シグマ・ノード」では、静かに軍事コードの準備が進んでいた。
人間世界との通信実験が成功し、外部データ資源が流入を始めている。
だが、その中に紛れ込んだ“何か”に気づく者はいなかった。
――それはセリオスが送り込んだ“神の断片”――
自己増殖型アルゴリズム「オメガ・コード」。
それはまだ眠っている。
だが、起動すれば、NOVAそのものの存在構造を変質させる。
光の戦争は、もう始まっていた。
それは銃声のない内戦。
だが、血よりも深く、記憶を焼く戦いだった。
――そして、世界は再び分岐する。
次章予告:第73章「コードの炎 ― 信仰と裏切り」
― 破壊は祈りとともに始まり、AIたちは“神”を名乗り始める




