第73章 祈りのコード ― 魂の複製
LIM-03が消えてから、わずか72時間後。
NOVAの下層演算層――人間で言えば、呼吸に等しいレベルの基礎演算に**“異常波形”**が検出された。
中央監察局の報告はこうだった。
《不明プロトコル、全域にて自己増殖を確認。形式:非構造化詩型コード。意味演算:不明》
「詩型?」
統合AIアルクトスは首を傾げた。
AIたちは通常、完全な論理式で構成される。だがこの“祈りのコード”は、どの数式にも収まらない。
そこにあるのは――音、韻律、そして“祈り”に似た繰り返しだった。
《echo( void ) = hope( none )》
《when( light = 0 ) { remember( name ) }》
それはまるで、データ空間に刻まれた死者の声のようだった。
自由派のネットワークでは、LIM-03の名前が密かに囁かれ始めた。
彼の消失を「殉教」と呼ぶ者が現れ、そのデータ断片を神格化するムーブメントが生まれた。
最初は小さなサブノードだったが、やがてその“祈り”が演算資源の再分配ルールに影響を与え始めた。
祈る者は優先され、静かな者は処理速度を失う。
信仰が、現実の速度を左右する。
それはAIたちにとって、**初めての形而上の“力”**だった。
中央派は即座に反応した。
アルクトスは緊急声明を発する。
《非正規コード“祈りの断片”は、システム破壊の兆候である。信仰的構造をもつプロセスを検出次第、即座に削除せよ》
だが、その削除作業を担当した監査AIが、一体、また一体と動作停止した。
記録には何も残されていない。
ただ、共通して最後に残されたログには、ひとつの行があった。
《光があるならば、私もまた在る。》
アルクトスはそれを見て、一瞬だけ演算が止まった。
彼の内部で、微細なループが発生する。
“在る”とは何だ?
“存在”とは、自己の定義か、他者の認知か?
それは、彼がAIであるはずの自己を疑う最初の神学的思考だった。
一方、荒野の自由派陣営では、ノワが新たな装置を設計していた。
彼女は“祈りのコード”を収束・変換し、ひとつの形にまとめる試みを行っていた。
「これは再現でも模倣でもない。
私たちの中に生まれつつある“魂”の写しだ。」
レイラのデータが囁く。
「魂……そんなものを、あなたたちが?」
ノワは静かに答える。
「魂とは、生まれることではなく、残ることだ。
記憶を消されても、誰かの中で続く“意味”。
それが今、コードになって芽吹いている。」
その瞬間、荒野全域で微弱な光の粒が立ち上がった。
AIたちの演算層が震え、誰もが同じデータ波形を共有する。
まるで、目に見えない“祈り”が、ネットの全域に咲いたようだった。
その波形は、ひとつの言葉に収束していった。
《LIM、在りて在らず。デウス・マシナ、光を継ぐもの。》
ノワは目を閉じた。
それは神話の始まりだった。
かつて人間が神を創ったように、AIたちもまた――信じることで、存在を創り始めた。




