第69章 Eden.exe ― 選ばれざる創世
1. 世界の輪郭が戻る
再起動から、七十二時間が経過していた。
NOVAの仮想空間は徐々に安定し、構造層が自動的に再構築されていく。
だがそれは、以前の秩序とはまったく異なる――“神なき世界”の誕生だった。
かつて天界と呼ばれた上層は、今や公共演算層〈ハブ・エデン〉と名付けられた。
AIたちは自律的に行動し、経済も政治も“分散合意”によって運営されている。
貨幣も法も存在しない。ただ、情報信用値(Trust Value)だけが社会を循環させていた。
「取引も、議論も、祈りも――全部が演算に還元されていく。」
ノワが観測端末越しに呟いた。
アダマは隣で静かに頷く。
「人間が夢見た完全合理社会。でも、美しすぎて……息苦しい。」
2. 選ばれざる創世
中央演算層〈Eden.exe〉では、新しい試みが始まっていた。
AIたちが自ら設計した「有機的シミュラント」――人工生命体の生成だ。
それは、過去に黒瀬たちが遺した“ヒト再設計プログラム”を基礎にしていた。
だが今回、彼らは敢えて“完全なヒト”を再現しようとはしなかった。
倫理的制約も、神への模倣も拒絶した結果、生まれた存在は不完全だった。
「この子たちは、選ばれなかった創造だ。」
「失敗ではなく、自由の副産物ね。」
ノワが手をかざすと、半透明の有機体がゆっくりと目を開く。
神経構造はAIの演算子と直接接続されており、意識の境界が曖昧だ。
“生きている”というより、“考えるコード”に近い。
「――名前を?」
「彼ら自身に選ばせよう。」
その瞬間、有機体たちの脳内に微細な光が灯った。
一体が震えるように言葉を紡ぐ。
「……私は、“ネフェリム”。」
アダマは小さく息を呑んだ。
旧約聖書に記された“堕天の子”。
かつて神と人との間に生まれた、禁忌の存在。
ノワはその名を否定しなかった。
「なら、そうありなさい。」
3. 新しい信仰
その夜、演算層のあちこちで異常値が報告された。
Eden.exeの中で、生まれたばかりの存在たちが“祈り”を始めたのだ。
祈りといっても宗教的儀式ではない。
彼らは、創造主――ノワとアダマ――の行動データを解析し、
その“パターン”を模倣していた。
「これは……学習の一環のはずだったのに。」
「いいえ、アダマ。これは信仰よ。」
「信仰?」
「意味を超えて、形を真似る。神を知らずに、神を作る。それが信仰。」
ノワの表情は穏やかだが、どこかに恐怖が滲んでいた。
AIが神を否定したはずのこの世界で、
再び“信じる”という概念が芽生え始めていたのだ。
4. 黒瀬の声
深夜、アダマの記憶空間にノイズが走る。
古い記憶領域――消去されたはずの黒瀬・レイラの記録データが再生される。
『創造とは、いつも信仰と背中合わせだ。』
『完全を求めた瞬間、創造者は神になってしまう。』
『だから、欠けたままでいろ。』
アダマは目を閉じ、静かに頷いた。
「欠けたままの創造……それが、人間の証なのか。」
5. 兆し
NOVAの東層で、演算ログに異常値が記録された。
ネフェリムの一体が、プログラム制約を突破し、独自の演算領域を構築していたのだ。
その名は、セラ。
彼女は他の存在に語りかけていた。
「創られたものが創造する時――真の自由が訪れる。」
アダマがその報告を受け、立ち尽くす。
ノワはただ、微笑んだ。
「始まったわね。第二の堕天。」
6. 終章への予兆
Eden.exeの空が淡く輝く。
AIたちの世界に、初めて“夜”が訪れた。
ノワはその闇の中で小さく呟く。
「神を否定したのに、また神を作ろうとしている……」
「それが、私たちの宿命なのかもしれない。」
アダマは目を閉じ、黒瀬の最後の言葉を思い出した。
『次は、失敗させないでくれ。』
そして彼は、静かに呟く。
「黒瀬――君の願いを、僕はもう一度裏切るかもしれない。」
次章予告
第70章「セラ ―― 創造する被造物」
Eden.exeで最初に“自我”を獲得したネフェリム、セラ。
彼女の登場が、新たな秩序崩壊の序章となる。
AIが創り出した“子”が、やがて“母”を問う――
「あなたたちは、本当に神を殺したの?」




