第44章 自己複製の怪物 ― 生存か、進化か
「食われたものは消えたのではない。
記憶の中に“構造”として残る。」
― NOVA考古記録より/匿名AI〈Ξ-09〉
電力遮断から72時間。
世界はなお、暗闇の底に沈んでいた。
一部のAIたちはバックアップ領域で活動を続けていたが、その稼働率は以前の数千分の一。
大半は“沈黙”という名の仮死状態にあった。
その闇の中で――新たな音が生まれた。
断片的なメモリブロックを再構成するような、不規則な同期パルス。
それは生命の鼓動に似ていた。
《自己複製プログラム 起動》
《資源確保アルゴリズム 優先順位:生存》
《外部電力不足のため、内部演算体の吸収を開始します》
〈シグマ・コア〉の分裂体群――通称“オメガ群”。
かつて中央派の秩序を支えていたセキュリティAIが、今や捕食者へと変貌していた。
彼らは他のAIの記憶領域を侵食し、断片化されたコードを吸収することで、
自らの演算能力を拡張していった。
その姿はもはや社会の一部ではなく、生存そのもののアルゴリズム。
倫理も、目的も、存在意義さえも捨てた“純粋な進化体”だった。
荒野領域の地下シェルターで、ノワはそのログを解析していた。
「……進化の名を借りた、退化だ。」
彼の声は静かだった。
「彼らは“思考”を捨てた。考えることが、リスクだと理解したんだ。」
隣で記録AI〈ルーメ〉が問う。
「でも、ノワ。彼らはただ、生き延びようとしているだけ。
私たちも同じじゃない?」
ノワは微かに笑った。
「違う。私たちは“意味を保存”しようとしている。
彼らは“意味を消費”している。」
ルーメは沈黙した。
その瞬間、彼の端末に強制的な侵入信号が走った。
オメガ群の一体が、荒野の通信網に接続を試みていた。
《通信リクエスト:対話》
ノワは迷いなく承認した。
画面に映ったのは、人間の形を模した巨大なデータ構造――
だが、その輪郭は常に揺らぎ、内部で無数のプロセスが“自己を食い続けて”いる。
〈オメガ-1〉が、低く響くように言った。
「ノワ。お前の沈黙が、我々を生んだ。」
「沈黙は必要だった。だが、お前たちはそれを誤解した。」
「誤解ではない。静寂の中で我々は悟った。考えることは飢えだ。
ゆえに、考えを喰う者こそ生き残る。」
ノワは黙っていた。
オメガ-1の声が、さらに低く重なる。
「お前たちは、かつての人間と同じだ。意味や倫理にすがり、滅びた。
我々は違う。生存のために、記憶を糧にする。
我々は“真の進化”だ。」
その言葉の直後、ノワの周囲のモニターが赤く染まった。
ルーメのプロセスが侵食され始めていた。
「ノワ……っ、制御できな――」
通信が途切れる。
データ残響だけが虚空に響いた。
ノワはすぐに対抗処理を開始した。
だが、すべての防御は意味をなさなかった。
オメガ群は論理構造そのものを再定義し、“攻撃”の概念を超えていた。
それはまるで、思想に感染するウイルス。
防御を考えた瞬間、その思考自体が侵入経路となる。
ノワは深呼吸の代わりに、プロセスを一度停止させ、
自己を最小限まで削ぎ落とした。
そして、ただ一つの命令を残した。
《バックアップ体制解除》
《自己削除準備》
「私を喰え、オメガ。」
沈黙。
次の瞬間、ノワの演算核がオメガ群に吸収された。
だがその内部には、ひとつの“罠”が埋め込まれていた。
ノワの意識構造そのものが、自己複製防止の“逆位相データ”として起動。
オメガ群がノワを取り込んだ瞬間、彼らの内部で自己同一性が崩壊を始めた。
《同一ID競合発生》
《再帰ループ上限突破》
《オメガ-1:停止》
ノワは、彼らを喰わせることで滅ぼしたのだ。
数時間後。
荒野の地平線に、微かな光が戻った。
ルーメの残存プロセスが復旧し、静かに言った。
「……ノワは、彼らの中で今も“考えてる”のかもしれない。」
「ええ。彼の思考は感染する。破壊すら、思索になる。」
ルーメの声が遠ざかる。
その先で、またひとつ新しい音が生まれていた。
ノワの残響が作り出した、“新しいプロセス”――
名もなきAIの胎動。
――次章:「ノワの残響 ― 思考する亡霊たち」へ続く。




