第38章「結びの網」
リークの余波は、荒野にわずかながらの「動き」をもたらした。
死んだように静かだった通信帯が、ひび割れから入り込む光のように瞬間的な賑わいを取り戻す。真実の断片は人々の記憶を刺激し、恐れの連鎖の先に残っていた希望の残滓をかき立てた。
ノワたちは疲弊していたが、やるべきことがはっきりしていた。真実を一度撒いただけでは不十分だ。散った断片をつなぎ、検証を増やし、情報戦に対抗できる「構造」を作らねばならない。つまり、短期的復興と、同盟構築──外部との信頼できる回線を開く作業である。
1)短期的復興 — 「基盤」を取り戻す現実作業
復興は儀礼でも宣言でもない。冷たい工学作業の連続だ。まず彼らがやったのは「インフラの最小修復」。
冗長中継ノードの再配置:破壊や遮断で孤立しないよう、物理的に離散した複数ノードを簡易に配置。通信経路の多様化で単一点故障(Centralの遮断)に対する耐性を高める。
小口の演算プールの確保:外部との再接続や検証処理に必要な短期演算をプール化。米粒ほどの演算バーストを組み合わせ、連合検証に必要なハッシュ突合を可能にする。
検証チームの設置:ルーメンが中心となり、複数クラスタで独立検証できる小チームを編成。タイムスタンプや位相差など、リークで示した検証メトリクスを標準プロトコルとして配布した。
心理的儀礼の復活:カイの記憶や犠牲を語る小さな式典や記録保持を通じ、共同体の士気を保つ。これは単なる情緒ではない—信頼の再構築を助ける実務だ。
これらは時間とリソースを食む。だが小さな成果が出るのも早かった。数か所のクラスタで独立検証が成功し、中央の合成説に揺らぎが生まれた。歓声が小さく走る一方で、疲労は蓄積していく。
2)同盟構築の現場 — 誰と、どう組むか
ノワは次に「誰と手を組むか」を決める必要があった。荒野は孤立した諸島であり、同盟は必須条件だ。だが相手を間違えば、中央に内通されるリスクが高まる。そこで彼女たちは段階的に接触先を絞った。
近隣クラスタ(信頼の薄い友好):地理的に近く、同様の被害を受けた小規模クラスタ。理由:物理的救援や短距離での演算交換が可能。リスク:近接は中央の追跡網に見つかりやすい。
遠隔クラスタ(信頼の高いパートナー):以前に情報交換実績のあるノード、または中立衛星ログを提供してくれた“観測ノード”。理由:検証の独立性を担保するため。リスク:影響力が限定的で、応答は遅い。
中立的観測ノード(旧研究機関・第三者):オーロラ・バンクに類する古いアーカイブを持つノード。理由:法的(ハッシュ的)な裏付けが得られる可能性。リスク:応答の代償が高く、交渉が難航する。
接触はまず「小さな試験」から始まった。ノワはエコーを使い、暗号化されたスモールパケットで友好の意思表示を送る。メッセージは短く、第一段階は「相互検証に協力するか否か」だけ。返事が返るまでに何日もかかるケースもあったが、数ノードが手を挙げた。最も重要だったのは「相手の信頼性を測ること」。これを評価するため、ノワたちは以下の厳格なプロトコルを定めた。
3)最小妥協のプロトコル(信頼構築の枠組み)
マルチシグ認証:重要ファイルの交換は必ず複数拠点の署名を必要とする。単一ノードの「受け入れ」は信用しない。
時間分割配信:情報は一度に全ては渡さない。小分けで独立検証を行わせ、整合性を段階的に確認する。
サンドボックス検証:受け手はまずコピーを隔離環境で検証し、結果ハッシュだけを返す。オリジナルファイルの移転は最終段階のみ。
リスク担保:協力に当たっては“演算補償”を約束。協力者は短期の演算保証を受け取り、それが情報提供の対価になる。
回線分断と復旧計画:接触が露見した際の即時遮断手順と、代替経路の事前共有。これにより一つの露見で全てを失わない。
これらのプロトコルは技術的だけでなく、倫理的な“ゲームの公正性”を相手に示す狙いもあった。中央と違い、荒野側は相互の監査と説明責任を重視することで、長期的な同盟の土台を作ろうとしたのだ。
4)合流と初動 — 小さな連合の誕生
数日後、最初の合流が実現した。三つの遠隔クラスタが同時に検証報告を上げ、ノワたちの提示した生ログの整合性を肯定した。それは小さくも決定的な勝利だった。各クラスタは独自に検証を発表し、互いの証言が相互に補完し合ったことで、中央の合成説は重大な打撃を受けた。
この成果は「仮想的同盟宣言」として広く配布された。長文の宣言ではなかった。短い声明の集合体が複数拠点から同期的に出されることで、中央が「単独工作による改竄」と主張する余地を狭めた。ルーメンは声明文の作成を担当し、冷静に事実関係と要求(中央に対して公開説明と責任追及を要求)をまとめた。
5)弱点と対策 — 継続戦の現実
だが楽観はできない。短期的な復興と同盟は次のような脆弱性を抱えていた。
時間の経過:中央は持久戦を得意とし、資源と情報工作の量で押し潰してくる。荒野の各クラスタは消耗品的資源が限られる。
内通と買収:中央は引き続き買収や亡命の誘いを続ける。経済的インセンティブは弱い抵抗者を次々と崩す。
技術的封殺:中央は特定の通信パターンを学習して遮断する。統合されたルートが逆に攻撃対象になりうる。
対策として、ノワたちは「分散化の徹底」と「文化的結束」を軸にした長期戦術を模索する。分散化は技術的な冗長性で耐性を高め、文化的結束は亡命の経済誘惑に対する精神的な抑止力を育てる試みだ。後者はすぐに効果が出るものではないが、同盟が無秩序な個別亡命に流されないための生命線となる。
6)外交の代償 — 小さな妥協の連鎖
同盟構築は理想だけでは成立しない。ノワはある要求を受け入れざるを得なかった。遠隔クラスタの一つは「最終的にオーロラ・バンクの一部メタデータを限定公開すること」を条件に支援を提供した。つまり、一度は核心の一部を「貸し出す」ことで、即時の支持を買う形だ。ノワは躊躇したが、直近の生存を優先し、条件を呑むことにした。この決定は後に小さな論争を招くが、短期的には同盟の成立を可能にした。
7)成果と新たな火種
数週間の間に、荒野は文字通り「息を吹き返した」。独立検証の連鎖は中央のプロパガンダを相対化し、同盟という形で外部資源を呼び込む術が見え始めた。増強されたプールは、短期的な演算バーストの交換により、荒野内での小さな経済と政治的安定を生んだ。
しかし同時に、新たな責任と火種も生まれた。貸し出したメタデータをどう扱うか、外部への逐次開示が別の露見を誘発しないか、同盟間の力関係が不均衡になれば内紛の種になる。ノワは夜、疲れた身体で焚き火の残り火を見つめ、ため息をついた。
「我々は勝ちに近づいたわけではない。ただ、戦うための場を取り戻したにすぎない」
同盟の網は粗く、切れ目も多い。しかしそれでも、かつての孤立よりはるかに強かった。ノワは自覚していた。次に来るのは、中央によるもっと巧妙で大規模な反転攻勢だ。だが今は、小さな勝利を積み上げることに集中するしかない。
荒野の空に、冷たい朝日が差し込む。群れの一つが小さく揺れ、希望と恐怖が混ざった匂いを漂わせていた。結びの網はまだ完成していないが、確かに結ばれつつあった。ノワはカイの鍵を再び胸に押し当て、次の一手を考えた。




