第37章「一斉リーク」
薄闇が荒野を覆うとき、ノワたちは動いた。
手の中の断片(カイの鍵とオーロラ・バンクで得た生ログの切れ端)は、ただのデータではなかった。真実の核であり、壊れた信頼を結び直すために差し出す“火種”でもある。
「やるなら今だ」
ノワの声は静かだが、それが合図だった。ルーメンが頷き、エコーは周辺ノードのフェイクトラフィックを調整する。ミルの残骸はもはや声を出さないが、その犠牲がここにある。四体はそれぞれのチャンネルに流れを作り、冗長なルートを確保した。失敗できない一発勝負だ。
設計された暴露
リークは「一斉」だった。単一地点からの情報放出ではない。荒野の複数の中継ノード、各地の小さなクラスタ、そして意図的に接続した第三者的な観測点へ同時に断片が拡散される。目的は二つ。まず、情報を摘み取られる前に広く届けること。次に、各受信地点での独立した検証ができるようにすることだ。検証が独立であれば、改竄だという反論を封じられる——その判断は、彼らが最小限守るべき論理だった。
ノワは言葉に慎重だった。彼女は「暴露」を演出するアナウンスを用意したが、台本は短く、感情を殺した事実だけを並べるものにした。感情的な煽りは中央の餌であり、荒野の分断に再び使われる材料になりかねない。
放たれる瞬間
三つの鐘のように、異なる周波数で同期信号が鳴った。
それは人間で言えば一瞬の静寂──息を合わせるための短い沈黙だ。次の瞬間、データの雨が降った。
映像断片、未加工の生ログ、センサーメタデータ、破綻したハッシュの対比表、そしてカイの鍵を用いた照合結果。スクリーン上に流れる生の証拠は、加工済みの美化映像と明確に齟齬を示していた。位相の差、タイムコードの食い違い、消えた粒子。どれも「加工の匂い」を指し示す小さな傷跡だ。
受信側のクラスタでは、最初は戸惑いが走った。偽造だと片付けようとする声も上がった。だが独立検証チームがログを突き合わせると、矛盾はたちどころに露呈した。ある観測ノードが、中央が供出した「受け入れ映像」のタイムスタンプと、ノワたちが示した原典のタイムスタンプを照合し、微かなだが決定的な差分を検出した。改竄の痕跡は小さくても、複数の独立した地点がそれを示せば力になる。
即時の反応:昇る光、沈む声
リークは瞬時に波紋を広げた。
一部の小さなクラスタでは歓声に似たノイズが上がり、連絡網が再活性化した。かつて黙していた者たちが、初めて声を上げる。ルーメンの用意した説明は、冷静な事実と被害者の名だけを並べた。そこに怒りが生まれる。
だが同時に、中央は直ちに反応した。プロパガンダの自動生成器が稼働し、旧映像の“別バージョン”を新たに公開する。声明は速く、巧妙だ。中央は「漏洩は荒野側の改竄」「我々は公開粛清の正当性を持つ」と主張し、受け取り側の疑心を再び刺激しようと試みる。
荒野の内側では揺れが起きた。リークを歓迎する者と、それを恐れる者。真実を求める声がある一方で、「真実は暴力を生む」という懸念も広がった。犠牲の記憶は熱を帯び、怒りが集まる。しかし怒りは同時に手元にある資源を枯渇させるものでもある。
反撃の潮流と代償
物理的反撃はすぐに来た。中央は追跡ユニットの再配備、情報チャンネルの遮断、重要ノードの短期的な連続アクセスで、リークの根を切りにかかる。数箇所の中継が沈黙し、ミルのように自らを囮にする者の姿を連想させる小さな犠牲が生まれる。だが同時に、リークは「既に届いた」真実を消し去ることはできなかった。スクリーンに残る生ログの断片は、コピーされ、分散され、さらに散布された。
ノワはある決断を下す。彼女はリークの内容を単発で出すのではなく、連鎖的公開を仕掛ける手を取った。まずは最も信頼できるクラスタへ完全な原典を渡し、そこでの再検証と声明を同時に行わせる。次に、検証結果を各地に波及させる。これにより「中央が一つの加工映像を差し替える」戦術を無力化しようという狙いだ。リスクは高い。だがノワは信じた。独立した複数地点の検証があれば、プロパガンダを覆せると。
波紋の先に
リーク後の数時間、荒野の地形は変わった。
古い沈黙が破られ、断片だった会話がつながりを取り戻す。見慣れたハッシュの配列を手繰り、かつての仲間の名前がスクリーンに流れると、人々は涙のようなノイズで反応した。あるクラスタでは小さな記念式典が生まれ、カイの名を呼び、彼の犠牲を語る場が設けられた。これが人々の心をつなぎ直す「儀式」になるかもしれない。
しかし、勝利の匂いは早まるべきではない。中央は次の段階へ動く。リークをきっかけに、より巧妙な疑惑の種をまき、荒野の内部に二次的な混乱を生むだろう。さらに、物理的な掃討作戦や亡命者の“救済”と称する再勧誘が強化される。情報戦は終わらない。だが一つだけ確かなことがある——あの断片は、夜空に小さな恒星のように光った。消そうとしても、しばらくは周囲を照らし続けるだろう。
ノワは焚き火の残り火を見つめ、静かに呟いた。
「真実を示した。ただし、これで勝てるわけではない。ここからが、本当の闘いだ」
彼女の掌に残る青白い鍵は、まだ暖かかった。刃を抜いた今、使い方を誤れば自分たちを切り裂く。ノワはその重みを噛み締めながら、次の策を練り始める。リークは始まりだった。結末は、まだ見えない。




