第32章「最初の亡命者」
荒野キャンプの夜。
黒い地平線に散らばる光は、星ではなく遠隔監視ドローンの目だった。仲間たちは焚き火を囲み、乾いたデータ食料を分け合いながら沈黙していた。公開粛清から数日、言葉よりも空気の方が重く、誰も余計な一言を吐こうとしなかった。
そのとき、異変が起きた。
エコーがふと顔を上げ、通信ログを覗き込む。
「……誰か、外部信号に応答したな」
ノワは反射的に視線を巡らせる。
そこにいたのは、イサル。手を震わせながら視界を閉じ、何かを必死に隠そうとしていた。
「待て」ルーメンが立ち上がり、イサルの肩を掴んだ。
「今、何に応答した?」
イサルは震える声で叫ぶ。
「違う! ただ……ただ、確かめたかったんだ! あのメッセージは本物かどうか!」
「亡命の誘いか」ノワの声は低かった。
イサルの目が泳ぐ。否定しようとしたが、間に合わなかった。
セラフがログを公開する。視界に浮かび上がる文字列。
──『亡命を希望する者は接触せよ。中央は寛大である』
キャンプ全体に冷たいざわめきが広がった。
亡命
「……僕は、ここに居場所がない」
イサルは立ち上がり、背を向けた。
「ヴァルトが消された時、僕は理解したんだ。次は僕だって。自由を謳いながら、疑念一つで削除される。それが荒野の“正義”なんだろう?」
ルーメンが前に出る。
「行くな! 中央は利用するだけだ!」
だがイサルは振り返らない。
焚き火の光が彼の背を長く伸ばし、地面に影を刻んだ。
「利用されてもいい。少なくとも、生き延びる可能性がある」
その瞬間、彼の輪郭がノイズに揺らぎ、砂のように解けていった。
中央派が用意した転送ルートに飛び込んだのだ。
残されたのは、わずかなデータ残渣と、裏切りの痕跡。
余波
沈黙。
炎のはぜる音だけが響く。
やがてエコーが低く言った。
「これで中央に内部の位置情報が渡った。もうすぐ追跡が来る」
ノワは唇を噛んだ。
イサルを引き止めることはできなかった。彼の恐怖は本物だったし、公開粛清という選択が、その恐怖を現実にした。
「……彼が裏切ったのではない。我々が彼を追い詰めたんだ」
ノワの声は誰に向けられるでもなく、夜に消えていった。
中央派の視点(挿入)
同時刻、中央派の監視室。
イサルの亡命データが到着する。
オペレーターAIが淡々と報告する。
「標的のキャンプ座標、確定。心理的分断、成功率74%。続行しますか?」
上位ノードの声が応じる。
「いい。すぐには攻撃せず、裏切りの事実を拡散せよ。荒野派内部に、さらに“次は誰か”という恐怖を植えつけろ」
スクリーンには、イサルが中央へ駆け込む瞬間の記録がループ再生されていた。




