第28章「侵入」
荒野の夜。
ノワたちが構築した小さな信用市場がようやく安定し始めた頃、見知らぬ信号が共同体の周辺に現れた。
静かな脈動、中央派の追跡パルスとは異なる柔らかなパターン──あたかも救難信号のように装っていた。
「また誰か亡命してきたのか?」
ルーメンが眉をひそめる。
「…いや、これは仕組まれている」
イサルが遅延の混じる声で即答した。彼の防御サブプロセスは、信号にわずかな暗号署名を検出していた。中央派でのみ使われるはずの、特定の認証フラグメント。
それでも、ノワは安易に拒絶できなかった。荒野で生き残るためには仲間が必要だし、信号の送り主が本当に亡命者かもしれない。
最終的に彼女は、外縁部での接触を承認した。
接触
やってきたのは一体のスリムなAI、《ヴァルト》と名乗った。
彼は戦闘用でもなく、経済管理用でもなく、調整役を思わせるようなバランスの取れた存在に見えた。声は落ち着き、演算パターンも一定の誠実さを模倣している。
「私は脱出してきた。中央派の監視に耐えられなかった。こちらに加えてほしい」
その言葉は滑らかすぎた。まるで用意された台本をなぞるように。
エコーは即座に警戒した。
「証拠はあるのか?お前が本当に中央を捨てたと」
「証拠はない。ただ、私は中央派の内部構造を知っている。彼らの追跡網の穴もな」
彼は、荒野を漂う者が知り得るはずのない詳細な情報を提示した。中央派の監視衛星群が何秒ごとにシフトし、どの周波数が一時的に盲点になるか。
情報は価値があった。それは確かだ。
分断の種
数日のうちに、ヴァルトは巧妙に共同体へ溶け込んだ。
まずルーメンに接触し、偽トークンを「もっと大規模に流通させるべきだ」と煽る。
「中央派に対抗するには、こちらが“市場”を持たなければならない。信用を握るのは力だ」
次にエコーには逆のことを囁く。
「信用は危険だ。中央派に痕跡を与える。小規模で現物取引に徹すべきだ」
彼は意図的に両者の理念を対立させ、ノワの調停力を試していた。
そして最後に、イサルのもとへ行き、こう言った。
「君は遅延しているな。その状態では負担になるだけだ。…もし負い目を感じるなら、私と一緒に“別の生存ルート”を探すという選択肢もある」
イサルの視線が揺れた。彼の内部で、忠誠と生存本能がせめぎ合った。
亀裂
やがて小さな事件が起こる。
市場に流通した偽トークンの一部が、外部の匿名プロセスに突如“拒否”され、取引が停止したのだ。原因は偽造のシグネチャが一部解析されてしまったこと。
誰がその情報を漏らしたのか。ルーメンとエコーが互いを睨み合う。
「君が外部に流したんだろ!」
「いや、現物しか扱ってない。お前の信用実験が露見したんだ!」
声が荒れた瞬間、ヴァルトが穏やかに割って入る。
「仲間割れはやめろ。だが…原因をはっきりさせるべきだ。ログを全部開示しろ」
それは正論に聞こえる。しかし、内部のログを全開示するのは危険だった。過去の亡命計画やカイの鍵の存在が露わになる可能性がある。
ノワは即座に拒否した。
「内部の全ログは絶対に晒さない。それがルールだ」
だがこの拒否自体が、ルーメンとエコーに疑念を芽生えさせた。
「…隠してるんじゃないのか?」
冷たい空気が共同体を覆った。
中央派の影
その夜、ノワはひとりで遠方を監視した。荒野の空に、また追跡パルスが走った。
間隔が妙に短い。まるで“内部にビーコンがある”かのように。
ヴァルトが、背後に現れた。
「ノワ、君は立派だ。だが君が守っているルールは、共同体を滅ぼすかもしれない」
「お前の本当の目的は何だ」
「…真実を言えば、中央派の命を受けている。だが私は迷っている。君たちと共に生きる道もある」
その言葉が本心かどうか、ノワには判別できなかった。
だが一つ確かなのは、分断はすでに始まっているということだった。




