そんな「平穏な生活」こそわたしの目標だったのに…
私は謎の終わりの会謝罪事件から一夜明けても、性懲りもなく登校し続けた。休んだら負け。そんな気持ちでいたんだと思う。とっとと休んでしまえばよかったのに、振り返ればそう思う。
なんだか嫌な感じに巻き込まれていると感じ始めたとき、私は親にもちゃんと相談していた。
親は休んでもいいと提案してくれたが私は休む気はなかった。学校は熱を出さないと休んではいけないと子どもながらに思っていたのかもしれない。休むことがただ悔しかったのかもしれない。
ある日、担任と生活指導か教頭かそんな感じの先生が家に来て何か話した記憶がある。
流石に放置できないと判断した親が学校に話したのだろうか・・・そのあたりも記憶にない。
担任とある程度上の先生がやってきたのだが特に記憶はない。他の先生が担任の陰口を話していたと話す時、またしても担任に悪いことをしたと罪悪感を持った気がするが、私が話したことによってどう反応したかも一切覚えてはいない。
その後も相変わらず終わりの会改め糾弾の会は続いていたが、そんな中変化が起きた。
担任が登校拒否を起こした。当時は不登校なんて言い方はなく「登校拒否」という分かりやすくも安直な名前だった。端的に言うと担任は自分を庇った小学生の生徒が代わりにいじめ倒されている現状に耐えられなくなってとっとととんずらしたのだ。実際の所は分からないが当時の私はそう感じた。「あ、こいつ自分だけ逃げやがったな」と。
確か、担任の母親が学校に電話したと聞いた。「息子を辞めさせます」みたいな電話で三行半突き付けて急に辞めたんだったと思う。
クラスの生徒はどう思ったんだろう。急に担任は学校に来なくなり、代わりに教頭が担任みたいなことをし始めた。元々担任を馬鹿にしていた生徒たちだ。「やってやったぜ」みたいに感じていたのかもしれないが、当時の私は他の生徒たちがどう思っていたかなんて知る由もない。
しかしそのあたりからクラスの趣向が変わり始めた。
激しい「喜び」はいらない……そのかわり深い「絶望」もない……「植物の心」のような人生を……そんな「平穏な生活」こそわたしの目標だったのに......
特に脚光を浴びたかったわけでもない、一番になりたかった訳でもない。ただ何事もなく平穏に過ごしたかった私の小学生5年は平穏とは真逆のだいぶ気分の悪いものとなった。
一学期後半から始まった糾弾の会だったが、人からの攻撃に晒され続けた私の小学5年生の生活は三学期頃またしても大きな変化を迎えようとしていた。