「命」を「運」んで来ると書いて「運命」!
交換日記の一件からトップグループ以外の様子にも違和感を持ち始めた私。
仲がいいと思っていた生徒からも話をしてもらえなくなり、挨拶や日常会話も無くなっていった。クラスの生徒全てとの会話も無くなった。お気に入りのペンやノートを机の上に置いたまま席を外すと無くなってしまうのでやたら綺麗に片づけていた。この頃になると常に疑心暗鬼で下を向いたまま過ごしていた。そして毎日の終わりの会は私を吊るし上げるだけの時間になっていた。
進行役の日直からの「他に何か意見はありますか?」この質問が攻撃スタートの合図。何を言われたか既に記憶はないが何かにつけて私は糾弾された。その様子を担任は咎める様子もなく教室内に居たがどんな表情だったかも覚えていない。兎に角毎日終わりの会が憂鬱だったことは覚えている。
終わりの会で糾弾され、訳も分からず攻撃をされる毎日。それでも私は自分が悪いのかもしれないと思っていた。そして何となく私が学校を休んだら生徒たちは喜ぶ気がして謎の反骨精神が働いたのか学校を休もうとは思わなかった。
そして冒頭に書いた「謝れ」事件。
「命」を「運」んで来ると書いて「運命」!の瞬間。
いつもの終わりの会糾弾タイム。その日はいつもより始まる前から仰々しかった。
いつもは終わりの会で吊るし上げを食らうが私は席に着いたままだったし、そんなに長い時間でもなかったように思う。しかしその日は少し様子が違った。
さすがにこの頃になるとクラスに味方は一切いないことは分かり切っていたし、友だちだと思っていた生徒たちも最早友だちと呼べるものではないことも理解していた。
自分が悪くてそうなったのか、そうじゃあないのか。それももう麻痺して訳が分からなくなっていた。
クラスの中で私は完全に孤立し針の筵に座り続けるだけの疲弊しきった日々。「また終わりの会が始まってしまうなぁ」とぼんやり思っていたら、その日の終わりの会が始まる直前、クラスの生徒が座っている中、担任に教壇の傍まで来るように言われた。
言われた通り教壇まで行く私。嫌な予感しかしない。
「クラスのみんなに謝りなさい」
耳を疑う状況だが、それでも心のどこかで「私が悪いから今まで攻撃されてきている」という気持ちが消えていない私は「何について謝るのか?」という疑問を抱かず「ごめんなさい」とクラス全員に向かって頭を下げて謝る。
今にして思えばトップグループの誰かが担任に指示を出したのだろう。「謝罪させろ」と。
私の謝罪を聞いたクラスの反応もこれまた冷ややかなもので
「何について謝ってるんですかー?」「本当に悪いと思ってるんですかー?」等々どう答えたらいいのか分からない質問形式だった。「担任も彼女に答えさせてくださいー」謎に語尾を伸ばす小学生特有の話し方。担任もとりあえず私に言う。「質問に答えなさい」
例えば「あなたの名前は?」など答えられる質問なら答えたのだろうが、投げかけられる質問は殆どが「それに答えるのは無理なのでは?」という質問だったように思う。「何について謝るのですか?」これだってそうだ。「だって担任が謝れと言ったから」としか答えられない。生徒たちからは嘲笑しか見られずその目を見ることも出来ずただ俯いて「ごめんなさい」だけを言い続けた。
「担任が謝れと言ったから」なんて答えようものなら「そんな謝罪に意味はない」と反論されるだろう。どんな答えを考えても生徒たちが納得する答えなんてある訳がないということは直感していたので何か反論しようなんて気持ちは一切なかった。
小さくなって謝り続けて終わるのをひたすら待つ。それくらいしか自分にできることはないような気がしていた。