大切なのは『真実に向かおうとする意志』だと思っている
赤ちゃんとのお別れも終わり、私の体調も回復に向かい始めたが精神的にはまだまだ不安定なままだった。家事をしている時、ふと一息入れたときに急に涙が止まらなくなって立ちすくむことも多々あった。その度に看護師さんの「出来るだけ泣くのよ」という言葉を思い出した。我慢せずに泣きたいとき泣こうと思った。双子は急に泣き出す母におもちゃや絵本を持ってきては慰めようとしてくれた。まだまだ小さい我儘言いたい年頃なのに申し訳ないほど優しくしてくれた。
その後、体調も回復し双子が登園中だけの仕事も始めた。時々胸がきゅうっと痛くなることもあったが少しずつ日常を取り戻していった。そして数年後……私はまたしても子どもを授かった。心も身体も回復していたが仕事を始めていたこともあって不安しかなかった。でも亡くなったあの子がまた私の元に来てくれたのかもしれない。そんな気持ちもあって素直に嬉しかった……が心音を確認できることなく成長が止まってしまった。どうやら私の身体は妊娠できるが育てることは出来ないらしい。自分の身体は無駄に頑丈なくせには母としての肝心な部分には欠陥があったのだろうか。
医師には死産流産と続き、もしまた駄目だった場合は私の身体に起こる影響も大きいからと今後の出産は諦めるように言われた。こうなってくると、双子が無事に産まれてこれた事がますます奇跡だと思った。
双子が大きくなっていくに入れて悩みも各種増えるのだろう。成績がどうとか、進学先がどうとか。結婚がどうかなんて事も考える年齢になるだろう。でも双子が無事に産まれてきてこの手に抱けた事。そして成長を見守ることができた事。それがどれだけ幸運で奇跡的な事なのか私は身をもって知ることができた。
小学生の時、人の裏側にある残酷な部分を目の当たりにした。保護者や学校の先生たちも完璧な人間なんかじゃあなくて、一生懸命だけど無自覚に生徒を傷つける態度をとる時だってある。学校に行けなかった数年は出口の気配すらない長い長いトンネルのようで真っ暗で寒かった。こんな辛いこと人生で最強だと思ってた。
それでも就職したり恋をしたり結婚や出産などなど人生初めての事は沢山ある。嬉しい事も辛いことも沢山あって、それらが私の人生に及ぼす影響はどんどん大きくなっている。人生で最強に辛いことは残念なことに年齢とともに更新され続けている気だってする。
ただ人間が凄いのは何歳になっても成長できるという事。別に成長したくてしてるわけじゃあないのだが、私の器のサイズは小学生の頃の比ではない。辛いことを経験するたびに私の器は無理やり押し広げられるように大きくなっていく。相変わらず一人反省会をして落ち込む夜もあるが、自分なりに回復する方法もちゃんと見つけられた。
「大切なのは『真実に向かおうとする意志』だと思っている」私がどんな人間なのか、何が一番大切なのか。何を最優先に考えていけばいいのか壁にぶち当たるたびに考えれば自ずと進む道は見つかるだろう。だってあんなに辛かった不登校なんて今では文章のネタにできる程に嚥下して私の養分になった。大丈夫、今後も辛いこと最強は更新されるけど、大丈夫な気がする。
私はこれからも肝っ玉母ちゃんとして楽しんでいこうと思う。
そんな訳で一旦この話は完結。
更に数年後、自分によく似た双子が不登校になっちゃったりもするのだけれどそれはまた別のお話。




