あァァァんまりだァァアァ
お腹の子も私の身体も同時に救うことはできない。泣こうが喚こうがお腹の子を産むことは叶わない。こんな残酷な事があるんだろうか。自分の身体の中の事なのに自分にできる事は何もない。諦めがいいと言われるかもしれないが私は自分の身体を優先した。私の命は最早私だけの物ではない。むしろ双子の為の命と言っても過言じゃあなかった。小学生や中学生の頃は自分の命なんて何の役にも立たない物だと思っていた。自分が誰かの為に生きるなんて想像もできなかった。しかし、今は違う。双子の為に何としても元気にならなくては。
妊娠6か月を超えていたので、中絶手術とは違い「出産」という形を取るらしい。双子の時は帝王切開だったが、赤ちゃんが小さすぎるため帝王切開にも出来ない。よって私は初めて分娩を体験することとなった。普通は赤ちゃんが大きくなって陣痛が起き、出てこようとする力が働いで入り口が開くのだが、そんな力は赤ちゃんには残っていない。お腹の子が今生きているのか、亡くなっているのかすらもう判断できない。一般的な方法では赤ちゃんは外に出てこれないのだ。入り口をこじ開ける処置が必要だ。
その為の処置が想像を絶する痛みだった。元々、胃潰瘍や腰痛など痛いことには慣れていたし強い方だと思っていた。双子の帝王切開前のカテーテル挿入も出産後の後陣痛も激痛だったが声をあげて泣くほどじゃあなかった。しかし、赤ちゃんが出てこれるようにする処置はラスボス並みだった。少年漫画などでよくある展開。何とか倒した敵が実は敵の中でも最弱で、もっと強い奴が居た。みたいな感じで「あァァァんまりだァァアァ」と叫びたいくらいだった。
処置室で私は信じられない程泣いた。医師も看護師さんも「これはかなり痛いから」と前以て言われていたがその通りだった。出産の為に行われる処置の時なら「頑張れば赤ちゃんに会える」と思えば勇気も湧くが、この処置は赤ちゃんと別れる為の処置だ。頑張る勇気どころの騒ぎじゃあない。処置は二日にわたり行われ、夫には処置の時は病院から出るように頼んだ。痛みに耐えきれず声をあげるところなど身内に聞かせたくない。
更に追い打ちをかけるように突き付けられる情報として、出てきた赤ちゃんが五体満足ではない可能性が高いと言われたことだった。私の子宮には羊水が入っていない。赤ちゃんもかなり小さく未熟だ。出産に耐えきれず四肢が千切れるかもしれないと言われた。激しい痛みと精神的なショックで完全に頭は麻痺状態だった。
ただ救いも大いにあった。入院した病院は死産の対応にとても慣れていて、医師も看護師さんも頭が麻痺状態の私に悲しみ方を教えてくれた。入院中見回りに来てくれる度に用事が終わった後でも残って話を聞いてくれた。一分一秒が惜しい多忙な仕事の筈なのに「我慢せずに泣いた方がいいんだよ」と子どもをあやすように頭をなでてずっと傍にいてくれた。その心遣いにどれだけ救われたか。
出産後、赤ちゃんにしてあげたいことを出来るだけ叶えると言ってもくれた。出産したらカンガルーケアがしたい。初乳をあげたい。到底出来なさそうな願いだったのにそれも可能だと言ってくれた。赤ちゃんとの別れの日が刻一刻と迫ってくる。この子と一緒に居られる時間がどんどん減っていく。心の準備など整うことなくその日はやってきた。




