冒険者
「ヨウコ・サトウ。あなたはここを出ていかなければなりません。荷物を纏めておくように」
流暢な日本語でヴィクトールが言い放つ。笑顔ではあるものの目つきは鋭く冷たい印象。例えるなら「氷の微笑」だ。佐藤洋子は呆然と立ち尽くし、一言も発せなかった。
「ヨウコ、どうしたの?」
所長が固まったままの佐藤洋子に声をかける。ボロボロと涙をこぼしながら立っている彼女に、所長はハンカチを手渡した。
「社長に何か言われたの?」
「わたしは・・・クビ・・・ですか?」
「そ、そんなわけないでしょ?あなたはウチにとって大切な人なんだから」
「で・・・でも・・・」
「転勤よ。ちょっと遠いところで勤務してもらうわ」
クビではなく転勤でも、ようやく慣れてきた「妖精」にいられなくなるのは変わらない。佐藤洋子の気持ちは沈んでいく。みんなともお別れなんだ、と。
「ちょうどいいわ。ヨウコもいっしょに行きましょう」
「これからですか?もう夜ですよ?」
所長に手を引かれ、佐藤洋子は慌ただしく乗り物に乗る。狭い機内は座席が20ほどしかない。プライベートジェットだろうか。しばらくすると軽いGに背中を押し付けられた。窓の外は暗闇で何も見えない。いつまでたっても暗闇のままだ。
気が付くと、不思議な感覚が佐藤洋子を襲う。何が起きたのか?体が宙に浮かんでいるような?
「ヨウコは宇宙、初めてだったかしら?」
「へ?」
「目的の場所が見えてきたようね。正面のモニターに映してもらいましょう」
映し出されたのは自動車のタイヤのような物体。時計の秒針よりも早く回っているようだが、中央の大きな箱の部分は回ってはいない。
「ようやく完成したのよ。我がエクセル・バイオ・グループの総力を挙げた新設備『冒険者』が」
エクセル・バイオの新たな研究施設とクローン工場である「クローニング・エクスプローラー (Cloning Explorer通称:冒険者)」は、所謂「トーラス型」と呼ばれるスペースコロニーに酷似していた。直径2㎞の巨大なタイヤが18秒で1回転することで、居住区である外縁部に1Gの重力を作り出していた。
一行のシャトルは中央の大きな箱に吸い込まれていく。「冒険者」の宙港に着陸したシャトルのハッチに乗降パイプが接続され、佐藤洋子は所長たちに続いてシャトルを後にした。
「冒険者」の中は無重力だ。慣れない感覚に戸惑いながら、佐藤洋子はパイプを進む。パイプの先に広がっていたのは広めのラウンジ。椅子が多数置かれており、わずかながら重力があった。床に立った佐藤洋子は、目の前に立っていたヴィクトールに若干たじろぐ。その姿を見た所長がヴィクトールに詰め寄った。
「社長!!ヨウコに何を言ったんですか!?」
「???」
「あ・・・あの・・・ヴィクトール総帥、それから所長もありがとうございます」
所長の抗議を遮るように、佐藤洋子がヴィクトールに頭を下げた。
「皆様とお別れする私にとっていい思い出になるようにと、ここへ・・・宇宙へ連れてきてくれたんですよね。ありがとうございます。・・・これで遠い職場に行っても、頑張れると思います。皆様のことは、一生忘れません・・・」
涙ぐむ佐藤洋子を二人は驚きながら見つめていた。
「本当に社長は何を言ったんですか?」
小声の所長に対し、ヴィクトールも小声で返す。
「親愛の情を示すために、ヨウコの母国語で言ったのですが?」
「社長は日本語なんてほとんど喋れないでしょ?なまじ発音やアクセントが上手だから、却って誤解を招くんです!」
「いや、誤解されないように笑顔で言いましたが?」
「社長の笑顔は目が笑ってないから、逆に怖いんです!!」
佐藤洋子の新たな勤務地は「冒険者」である。