夢の狭間
ヴィクトールはニューヨークの夜空を飛んでいた。眼下に見える摩天楼のきらめきは、幻想的で美しい。まるで夢の中にいるみたいだった。視界は広いが見たいものしか見えず、音はあるようなないような雑音ばかりだが人の話し声は聞こえる。いや聞こえるというよりは、テレパシーのように感じると言った方が正しいか。幽体には五感を感じる体組織は存在しないので、ESPに近い感覚で物事を捉えている。
ヴィクトールは魂を肉体から離脱させて、幽体となってニューヨークの空を飛んでいた。彼女は幽体離脱を自分の意志でできるようになったのだ。
ヴィクトールはOSRC(オカルトサイエンスリサーチセンター=Occult Science Research Center)の主任の紹介により、「スピリチュアル科学協会(Spiritual Science Society通称:3S)」と交流を持ち、幽体離脱の方法を学んでいた。さらにノヴァ・サイキック・アカデミー(Nova Psychic Academy)の元助教授の師事を仰ぎ、サイキックとしてテレパシーのスキルも獲得している。
スピリチュアルと超心理学の相性は良く、相乗効果でヴィクトールの霊子の力は増大していた。
3Sの研究によると魂のエネルギーとも呼べる霊子は、体力と同じように人によってそれぞれ違うものだ。霊子の力が強いということは、幽体離脱の持続力などに繋がり、ESP能力の強度にも関わっているとのことだった。3Sの計測を信じるならば、ヴィクトールの霊子力は超一流の霊媒師の霊力を遙かに凌ぐらしい。もっともヴィクトールは定量的な数値化されていない霊力の説明に対して、3Sの説は信用していないのだが。
幽体になって初めて理解することは多い。幽霊というのは人が住むところには必ずといっていいほど存在する。しかし映画やドラマの中の幽霊のように、何かをするわけではない。人の姿にもなれないわずかな残滓のようなものに過ぎないのだが、確かに至る所に存在していた。いるのが当たり前だと思うと、不思議と恐怖感は消えていった。
幽霊は霊子がないと存在できない。空気中に漂う霊子は極僅かなので、幽霊は霊子を求めて人に憑く。とはいえ人に影響を及ぼす幽霊など皆無に等しく、ほとんどの幽霊は「ただそこにいるだけの存在」でしかなかった。
ヴィクトールは幽体となった自分を見る。不思議なことだが、何故か自分を客観的に見ることができた。薄ぼんやりした煙のような幽体の頭からは、細い糸のようなものが出ている。糸は遠く離れた極東アジアの「妖精」で寝ている、自分の肉体に繋がっていた。これが「魂の緒(Psyche-Soma Linking Thread)通称:PSLT」である。ヴィクトールの幽体が周辺の幽霊よりも強力なのは、自分の肉体から魂の緒を通じて、霊子が供給されているからである。
魂の緒が幽体と肉体を繋いでいる限り、幽体はいつでも瞬時に肉体に戻ることができる。逆に言うと、幽体離脱中に魂の緒が切れてしまうと、幽体は肉体に帰ることができなくなるのだ。その時肉体はどうなるのか?3Sによると、肉体は一時的に仮死状態になるらしい。魂がない肉体、つまりクローン体と同じようになるということだ。適切な処置を施せば、魂が抜けた肉体であっても生き続けることは可能である。しかし寝ているだけだと判断し放置していると、心不全などを引き起こし突然死してしまうのだという。
「そろそろ帰りましょう」
ヴィクトールが意識を肉体へと向けた瞬間、ぱちりと目が覚めた。見慣れた天井が映る。夢の狭間の幽体離脱による、今宵の旅は終わりを告げた。