Fox-Veil(8)
他愛もない話をしていた佐藤洋子が、レイラの前で突然カクンと項垂れる。顔を上げた佐藤洋子の目つきは鋭く、怒ったように眉間に皺を寄せてレイラを睨んでいた。
「ゼー姉ちゃん!」
佐藤洋子が裏人格であるゼーと入れ替わったのだ。ゼーは佐藤洋子が押し殺していた怒りや恨みなどの「負の感情」が表に出てきた人格だ。天真爛漫で笑顔を絶やさない佐藤洋子とは対照的に、ゼーは常にむすっとした表情で怒りを貯めこんでいる。
「レイラ・・・」
ゼーの目がレイラを確認すると、表情が一変し柔和になった。ゼーの声色は洋子のハイトーンと比べて、かなり低く落ち着いている。
「久しぶり・・・でもないか。いらっしゃい。宇宙までよく来たね」
「・・・任務だから」
レイラとしてはキューピーの護衛任務で宇宙にある錬金術研究所に来たのであり、私用で来たわけではない。
「それでも会いに来てくれたのは素直に嬉しいよ」
ゼーが穏やかな笑顔を浮かべた。
ふとレイラは不思議に思う。二重人格は心的要因が解消されると統合されることが多いと聞く。しかしゼーと洋子は完全に別人格であり、二つの魂が一つの体に同居しているようなものだ。何故ゼーは消えてしまわないのだろうか。
「それは洋子がアタシを一人の人間として尊重してくれるからだな。洋子はアタシに消えてほしくないんだよ。・・・ったく、アタシだって洋子の一部だってのにね」
ゼーの笑みはどちらかというと自虐気味だ。壊れかけた洋子の精神を守るために表面に出てきたゼーだ。洋子の精神が安定したら、本来はゼーが消えるべきだった。なのにゼーは洋子の肉体に同居している。洋子自身がゼーの消失を認めていなからだ。
「それもある意味、洋子の霊能力の高さなのかもしれないな」
「ゼー姉ちゃんは、どうしたいの?消えたいの?」
「いや、消えることは良しとしないよ」
「なんで?」
「洋子が悲しむから。アタシの存在意義は洋子を守るためのモノだからさ。今でも守ってるんだぜ?」
「え?」
「洋子のクローンは霊媒として、3Sの素体に使われているだろ?憑依しているダイバーの心理が流れ込んでくるんだよ。洋子が解離性同一障害を発症したのは、他人の意識を受け止めきれずパンクしそうになったからだ。アタシが洋子の代わりに受け止めてるから、洋子は無事でいられるんだよ」
「ゼー姉ちゃんは、平気なの?」
「シカトしてるからね。全部無視。雑音だよ」
ゼーは事も無げに笑う。
「・・・強いね」
「良く言うよ。アンタの方が強いじゃないか」
「ううん。ゼー姉ちゃんは、強いよ。私よりも・・・強い」
レイラの強さは表面的なものだ。ゼーの強さは守るべきものがある者の精神的な強さであり、今のレイラには無いものだった。