気晴らし
西暦2405年4月。「国際宇宙協力機構(International Space Cooperation Organization)通称:ISCO」が設立された。
これでブラックホール事業を含む宇宙開発事業に拍車がかかる、と誰もが思っていた。しかし「地球圏でのブラックホール実験禁止」は解除されず、地球圏外の実験プラントが完成するまでは事実上の凍結状態となっている。地球にほど近い宙域に建設された多数の実験プラントも、ブラックホール実験に特化していたために開店休業になってしまった形だ。
多額の建設費によって作られた実験プラントである。宇宙でしかできない研究をするべきだと誰もが感じていた。しかし重力子の研究はできない。すでに重力子はISCOによりブラックホール事業関連研究とされている。つまり重力子の研究も、地球圏では禁止されてしまったのだ。かと言って実験プラントを放棄して地球に還るわけにもいかず、科学者たちは次の研究対象を模索していた。
「国際素粒子物理学協会(International Association of Particle Physics)通称:IAPP」は、2323年に「重力子の実用化」を共同発表した実力ある研究団体だ。重力子の実用化からは目立った実績を発表できてはいないが、素粒子研究に関してはトップクラスの頭脳集団である。彼らもまた「重力子の効率化」や「新たなエネルギー源の研究」など、ブラックホール事業に携わる研究を宇宙で行っていた。
そんなIAPPの科学者たちも、宇宙ですべき研究を絞り切れないまま無為な日々を送っていた。
若い科学者がラウンジに佇んでいるところに、疲れた顔をした同僚の科学者が入ってきた。
「ひどい顔だな。お前、今日は何を研究したんだ?」
「・・・重力子の思考実験」
「何か『気づき』はあったのか?」
「いや・・・疲れただけだ。そういう君は何をしてたんだ?実験室にもいなかったし、食堂や休憩室にもいなかったよな?まさか一日中ここにいたのか?」
「ずっと地球を見てた」
IAPPの研究プラント「サイファー(Cypher)」は、かつて「国際素粒子研究機関(International Particle Research Institute)通称:IPRI」の宇宙ステーション「エーテルシリウム」と同じ
地球公転軌道上のラグランジュポイントに位置していた。エーテルシリウムと言えば「素粒子学の父」J.ナカオカ博士が三つの新素粒子を発見した場所でもある。
「きっと『変人』も同じように地球を見てたのかな、とか思ってさ」
「何だ。君も『気が狂いそうだった』クチか?・・・意外だな」
「まだ『気が狂いそうになる』ほど煮詰まった研究ができてねえよ。この程度で気が狂いそうになって堪るか。俺はそんなにヤワじゃねえ」
「そうだよな。『変人』はこんなところに50年もいたから、気が狂ったわけだし」
「バカ!!『変人』は気が狂ってねえよ!!『気が狂いそうだった』んだ!!」
「ハハハ。なんだかんだ言っても、君も『変人』を尊敬してるんだな」
「当ったり前だろ?俺だって『変人』みたいに歴史に名を残してみてえ。お前は尊敬してねえのか?」
「してるさ。気晴らしで二つも新素粒子を発見した人だぞ。真似は出来ないけど、尊敬してる」
「・・・だよな。ありゃあ天才だ」
二人はラウンジの小さな窓から宇宙を眺めた。青いビー玉のような地球が見える。
「なあ、俺たちも『気晴らし』してみないか?」
「気晴らし?」
「ああ『幽子』と『霊子』の研究だよ。どうせ重力子は研究できねえし」
「ゴーストマターか。それもいいな。思考実験も煮詰まってばかりだし、気晴らしにちょうどいい」
「お前、ちゃんと気が狂いそうになるまで『気晴らし』するんだぞ?」
「当然だ。やるからには実用化まで目指してやるさ」
「よし、実用化して歴史に名を残してやろうぜ」
「そういえばウチの先輩が『重力子の実用化』をしたんだよな?」
「共同だけどな」
「君は先輩の名を覚えているのか?」
「ん?・・・いや知らねえ」
「実用化しても、歴史に名を残せないみたいだな」