ブラックホールエンジン実験禁止
「地球圏でのブラックホールエンジンの実験は禁止する」
ブラックホール事業関係者のトップを代表して発言したのは、「グラビサイエンス・エネルギーコア研究所(通称:GECRI)」の女性所長だ。
GECRIを含むブラックホールエンジン開発の一大拠点「G-LABO」の代表としての発言の意味は大きい。「地球圏」という言葉の解釈は捉え方がいろいろあるのだが、GECRI所長の言葉では「地球圏」とは月の公転軌道を含む地球の公転軌道内を意味していた。G-LABOのあるラグランジュポイントは太陽を挟んだ地球の真裏の公転軌道上にあるのだが、現状のブラックホール事業の中でも一番遠い施設が「ブラックホールエンジン実験の禁止」を表明したのである。事実上、他の施設も禁止せざるを得なくなり、ブラックホールエンジン実験の凍結を意味していた。
「いやあ、驚きましたね。まさかここまで重い自己規制を宣言するとは」
「私もです。G-LABOだけは実験継続するものだと思ってましたからね」
会見場の裏にある休憩スペースで、報道記者たちが会見の感想を話していた。
「実際にG-LABOより、タイミングによっては火星の方が近いですしね」
太陽から地球までの距離は平均値で「1天文単位(約1億5000万km)」と決められている。つまり太陽を挟んだ地球の真裏にあるG-LABOまでの距離は2.0天文単位となる。一方、火星と太陽の距離は1.52天文単位であり、地球と火星が最接近すると0.52天文単位となるのである。
「現実問題で言えば、G-LABOだったらブラックホール事故が起きても地球は大丈夫でしょう。だからといって『G-LABO以外は禁止』とは言えないでしょう?」
「G-LABOの口からは言えませんね。ましてやG-LABOはブラックホール事業の先駆者であり『顔』ですからね」
「セレス・ロジあたりが宣言するなら『G-LABO以外』と言えるでしょうけど、そうなると『顔』の座がセレス・ロジになってしまいます」
「身より名を取った、ということでしょうか?」
「まあ、ブラックホール事業は小さいところも参入して乱立状態でしたから・・・抑止力ってことじゃないでしょうか?」
「確かにインノブの事故も200トンだからあの程度で済みましたけど、あれが10,000トンだったらどんな被害が起きたことか・・・」
「・・・考えたくないですね」
「10,000トンでも出力が足りなくて、さらに大きくしようとしてたところでしたしね。インノブ程度じゃ賠償の観点からも任せられないってことでしょう」
「なかなか・・・『夢の実現』って一筋縄ではいかないものですね」
ここで別の報道記者が休憩室に入ってきた。
「おい、スクープだぞ!グラビサイエンスが早速『GECRI・2nd計画』を発表したぞ!!」
「おいおい、いきなりですか・・・」
「どうやら今回の事故とは関係なく『オッドボール』完成ぐらいから計画していたみたいだぜ」
「なるほど。それならG-LABOのブラックホール実験禁止も痛くありませんね」
「場所はどこです?火星ですか?」
「いやアステロイドベルトだってさ」
アステロイドベルトとは火星と木星の間にある小惑星帯である。太陽からの距離は約2.72天文単位。G-LABOからは1.72天文単位となるので、地球よりも近い。
「他の事業者の目がまん丸になっててな。『してやられた』って顔してたぜ。お前ら、見逃して残念だったな」
それだけ言うと、入ってきた記者は振り向き休憩室を出ていった。単純にスクープを知らせたかっただけなのだろう。
「またグラビサイエンスと未来エネルギーコンビの一人勝ちですかね?」
「まあ『夢の実現』が停滞しないようなので『良かった』ということにしておきましょう」