ケイト・イーストウッド
南太平洋の島国にあるエクセル・バイオの本社ビル。最上階の社長室のソファに、クローン転生により20代半ばとなった「ケイト・イーストウッド(Kate Eastwood)」がヴィクトールと向かい合って座っている。
ケイトはヴィクトールを裏社会の陰謀から守るために、ヴィクトールのダミーとして育てられた、言わば「影武者」だ。ヴィクトールの親とも言えるユルティム・クローネルの策により、生前からヴィクトールと共に育てられることを目的とされた乳兄弟でもある。ヴィクトールが唯一心を許せる友のような存在であり、ヴィクトールの腹心としてエクセル・バイオの発展に貢献してきた有能な女性だ。エクセル・バイオの研究拠点、通称「妖精(fairy)」と呼ばれた「極東高度研究所(Far East Advanced Research Institute)」の所長を長年に渡って務めていた人物でもあり、近年はクローン転生をすることもなく老後を優雅に過ごしていた。
「社長、突然クローン転生させた上で呼び戻すなんて、ヒドくありません?」
ケイトはヴィクトールを「総帥」と呼ばずに「社長」と呼んでいる。ケイトにとってエクセル・バイオの総帥と言えば、先代の「ユルティム・クローネル」なのだ。その感覚は何年経っても変わらないようで、ヴィクトールが総帥になって50年以上経つというのに呼び方は変わらない。
「早々に引退して、人に仕事を押し付けて、30年ものうのうと隠居生活をしていたケイトの方こそヒドいと思いますが?」
「あのね、社長。世間一般では60歳になったら、定年退職して老後を過ごすものです。お金がなくて働かなきゃならないなら別ですが、お金が有り余っているのに何が悲しくて働き続けなきゃいけないんですか?」
「え・・・?」
ケイトの抗議に、ヴィクトールはきょとんとしている。
「え・・・?」
ヴィクトールのリアクションはケイトの想像を超えていた。
「ケイトはお金のために働いていたのですか?」
「社長は何のために働いているのですか?」
「「・・・・・・」」
お互い目をパチクリさせながら閉口してしまった。
そもそもヴィクトールは「働く」という意識が全くない。エクセル・バイオ・グループという超巨大企業を一族で有するクローネル家に生まれたヴィクトールにとって、エクセル・バイオのことは「家」と同様であり「安定」と「発展」は当たり前で、その先の未来をどこまで見据えるかが焦点なのである。当然お金など最初から腐るほどあるものであり「どう稼ぐか」などと考えたことはない。「どう使うか?」が問題になるものだ。運用どころか策略一つで桁違いに膨れ上がるものでもある。超大国から30兆crd(クレド=宇宙通貨であり基軸通貨であるドルとほぼ同じ価値)という中堅国家の予算以上のお金をせしめたように。
一方のケイトはクローネル家の養女のようなカタチで育てられたものの、自身で自由になるお金など1銭たりともなかった。不自由なく過ごし育てられていたものの、自由は一切なく「自由になるにはお金が必要」だと信じていたのである。退職してエクセル・バイオという足枷から逃れた彼女は、世界中の各地を豪華客船で優雅に巡っていた。
「同じ家で育ちながら、どうしてこうも価値観が違ってしまったのでしょうか?」
「あなたが変わり者なだけです。私は至って普通だと思いますけど?」
「私は変わり者だったのですか?」
「ええ。十分すぎるほど」
ショックで固まるヴィクトールと、それをほくそ笑むケイト。数秒ののち、二人は笑いあった。
二人きりになると幼少の頃に戻ったように感じられる。ケイトが隠居してから、久しぶりに心地いい空気に包まれたヴィクトールだった。
「・・・で、私に何をさせたいんですか?」
「相変わらず察しがよくて助かります」
「古い仲ですから。どうせ無理難題を吹っ掛けるつもりでしょう?」
「大したことではありませんよ」
「30年遊ばせてもらったんです。10年ぐらいは言うことを聞いてあげますよ」
「言質を取りましたよ。エクセル・バイオ・グループの全ての運営をあなたに任せます。とりあえず10年ほど」
「・・・・・・」
固まるケイト。
「・・・はああああ?????」