霊子コンピューター(1)
火星軌道の外側のアステロイドベルトの一角にある錬金術研究所。独立した研究団体としてISCOに加盟しているが、ISCOからの助成金も援助も受けていなければ研究成果をISCOと共有もしていないアウトサイダー団体である。ISCO創設時の理念から言うとあってはならない団体ではあるのだが、新制ISCOとして国家が運営に関わるようになってからアウトサイダー団体は決して少なくない。何故なら国家からの援助で成り立つ研究団体だからだ。
では錬金術研究所の資金はどこから出るのか。表向きは所長である「アレックス・カインシュタイン」の私財にて運営しているカタチを取っているが、アレックス・カインシュタインの個人資産はカイン・マクスウェルがアレックス・カインシュタインとしてクローン転生した際にヴィクトール・クローネルが贈与したものである。研究内容そのものは完全に所長カインの好みなのだが、プロセスと成果は全てヴィクトール・クローネルへの報告が義務づけられていた。事実上、錬金術研究所はエクセル・バイオの傘下に等しい。
「クローネルさんはズルいよね・・・」
「え?総帥様がズルいってどういうことですか?」
カインの独り言にリリーがつい反応してしまう。リリーにとってヴィクトールの話題は、些細なことでも聞き流すことはない。
「あ、いやいや、別にクローネルさんに不満があるわけじゃないんだ」
リリーはカインを責めているわけではないが、悪口と獲られかねない言い方を慌てて訂正する。
「クローネルさんはボクに『何の制約もなく好きなことを研究してほしい』と言いながら、クローネルさんはボクにヒットするネタばかり投下してくるんだ。どうしてクローネルさんはボクの好きなことばかりを次から次へと投入してくるんだい?結局、クローネルさんの言いなりになっているようなもんじゃないか?」
「好きな研究をしてるんだから、いいじゃないですか」
「いやいや、何だか掌の上を転がされているみたいじゃないか。何か癪に障るというか、腑に落ちないって言うかさ」
「カイン先生、いい男は女の掌の上をわざと転がされるものなんですよ?」
「いやいや、男の矜持ってものもあるじゃないか。ボクだってね・・・」
リリーはカインの取り留めのない愚痴をニコニコしながら聞いている。カインとリリーは二人きりで3日間、瞬間移動の解析を続けていた。にも拘わらず会話らしい会話をしたのが3日ぶりなのである。内容はどうであれ、リリーはカインと会話をするのが楽しかった。
3日間の解析中、カインは何事かを断片的にブツブツ言いながら、瞬間移動に関するあらゆる画像を何度も何度も繰り返し見て解析しようとしていた。カインは天才肌の科学者であるため、解析は全て自己完結であり周囲にアドバイスや意見を求めることはない。頭脳明晰なリリーであっても例外ではなかったのだ。
3日後になって、カインはようやくリリーに対して口を開いた。
「わかった。・・・ついにわかったよ、リリー君」
瞬間移動の全てを解析したのだとリリーが思った次の瞬間。
「今のボクでは瞬間移動を解析しきれないことが、わかった」
カインは爽やかな笑顔だった。
「それで、これからどうするんですか?瞬間移動の解析は諦めて、別の研究をしますか?」
「いやいや、クローネルさんにお願いをするよ」
散々ヴィクトールに対する愚痴を言っておいて、平然と言いのけるカインの思考回路はリリーにも謎だ。ただ「天才だから」の一言で片付ける気も、リリーにはないのだが。
「総帥様に何をお願いするんですか?」
「いやあ、人員の増強をお願いしようかと思って」
人を増やす?自分の手に負えないから、他人の手を借りる?カインらしくない。しかもリリーには一言も頼らなかったクセに、他の人間の協力を得ようというのか。リリーは「役立たず」だと言われたような気がして、怒筋がぶち切れそうになる。
「やっぱさ、霊子のことは霊子に聞くのが一番だよね」
は?何を言ってるんだ、この人は?
リリーの怒筋がスーッと消える。
「どうしても霊子の挙動が解析しきれないんだよ。だから究極の霊子コンピューターを作って、霊子を解析させるんだ」
やっぱり天才の思考は謎だ。
「ボクとリリー君だけでも究極の霊子コンピューターは作れると思うけど、100年かかりそうだからね。人員を増やして10年で完成させるよ」