レンズ交換
ウォールカプセル内壁のメンテナンスを終えた技術者が、一人、二人とハッチから外に出てくる。どの顔も疲労困憊といった表情だ。いくら慣れてきたとはいえ、ブラックホールを背にする緊張感、さらに塗り残しだけは絶対にできない塗装作業と神経は限界まですり減っている。メンテナンス作業が終わったわけではないが、各々一旦休憩を取った。
内壁作業のスピードは技術者によって違う。作業内容による得手不得手もあるのだが、内壁の確認作業の判断が難しかった。元々中古のウォールカプセルで素材に高重圧力加工素材は使用されていない。そのため購入初期からの軽微な傷は少なくない。加えて塗装リムーブの腕の差や、見る角度による影も生じる。自己判断で解決できるものだけではないのだ。同僚や上司の見解を尋ねることもある。作業が遅いのが決して悪いわけではない。むしろスピードを意識しすぎて、傷を見逃す方が大失態だ。もちろんインノブ1stの技術者は十分理解している。理解はしているものの、ついつい愚痴が出てしまうのも人情というべきか。
残る作業はグラビウムレンズの交換と、各種装置の取り付けだけだ。先にレンズ交換しているリーダーの元に、二人の技術者がやってきた。
「お待たせっす。相変わらずリーダーは早いっすね」
見ると、すでに2基のレンズ交換が済んでいた。直径35cmのレンズ交換は、慣れた技術者でも1枚30分はかかる。
「あれ?リーダー、休憩室にいなかったですよね?」
「ああ、休憩取らずにここに来た」
「さすが。タフっすね」
「もうバテバテだ。休憩すると根を生やしそうだから、休憩代わりにこっちに来たんだ」
「と言いながら、もう2基終わらしたんでしょ?さすが、器用っすね」
「あ、そうそう。俺が今回リムーブしたとこ、前回リーダーが塗ったとこですよね?薄く塗りムラなく綺麗で剥がしやすかったですよ」
「さすが器用っすね。立派なペンキ屋になれますよ」
「ちっ、嫌味か!ペンキ屋の息子が技術屋で悪かったな」
リーダーは笑顔だ。
「あ、そうそう。君が前回塗ったとこに入ったヤツ。まだ出てきてないぞ。どんな塗り方したんだよ。かわいそうに」
「俺はペンキ屋じゃねえって。こんなの業者にやらせりゃいいんだよ」
「業者じゃ不具合見つけられないでしょ?」
「どうせ最後に主任がチェックするんだから、主任が見つけりゃいいじゃん」
「主任一人でチェックしたら、主任死んじゃうよ」
「お前、主任に恨みでもあるのか?」
「前に塗り残しがあって、主任にメッチャ怒られたっすよ。今回もベッタベタに塗りたくってやったぜ」
「その割にはお前も早いよな。器用なんだか不器用なんだか」
「不器用じゃ技術屋にはなれねえっすよ?」
「いや『努力と根性』があれば技術屋になれるさ」
「違いますよ。『努力と根性』でなれるのは、科学者でしょ?」
「「「アハハハハ!」」」
三人の笑い声がドックにこだました。
「さて、お前たちので最後だな。さすがに疲れたわ。俺は休憩に入るよ」
リーダーが立ち上がって、残る二人に手を振る。
「お疲れっす。『イボルブ』の組み立ては俺たちと残りのヤツラでやっとくんで。リーダーは休憩じゃなくて、上がっちゃっていいっすよ」
「リーダーは働きすぎですよ。任せてください」
結局リーダーが4基のレンズ交換をして、二人は手にした1基ずつしか交換できなかった。
「じゃあ、お言葉に甘えるとしようか。お疲れさん」
リーダーの姿が見えなくなったのを確認して、二人は口を開く。
「あの人が主任ならな~。アイツ重箱の隅をほじくるみたいにグチグチ文句つけやがって」
「言えてるかも。この前も主任の目を誤魔化して、部品を多めに発注してくれたし」
「主任は細かいんだよ。無重力じゃ部品なんて、すぐどっか行っちゃうんだから。予備は多めでいいんだよ」
「その点、リーダーは現場よく知ってるからね」
「・・・よし、終わった!!」
二人が立ち上がる。
「あれ?レンズが一枚余ってる?」
「リーダー、レンズも予備用意したんだ。安くないのに」
「んじゃ、ちゃっちゃと取り付け終わらせますか」
「そだね~」