インノブ1st
西暦2390年に入る頃には大企業同士の提携プロジェクトだけでなく、企業単体でのブラックホール事業参入が増えていた。彼らは「ブラックホールエンジン」の開発や改良を担うわけではなく、周辺機器や基礎研究など基盤を固める存在となるためだ。思惑は多岐に渡る。「ブラックホールエンジン量産化のための準備」「重力コントローラ技術の開発」「ブラックホール事業のニッチな部分への探求」さらに「ブラックホールエンジンの地球上での運転」など様々であった。
高重圧力加工の普及により、研究用宇宙ステーションはラグランジュポイントに位置する必要がなくなっていた。地球や月の重力を限りなくゼロにできるからだ。資金力に余裕がない企業には、地球から離れすぎることで生じる人やモノの移動コストを抑える意味もあった。
イノベーションファーストエナジーソリューションズ(Innovation First Energy Solutions通称インノブ1st)はブラックホールの基礎研究にリソースを割いていた。インノブ1stは核融合業界でも若手企業で、グローバルエナジーやFEの下請け企業でもある。ただし彼らは決して大企業の子会社ではない。独立した未来構想と野心を持ち合わせた、新進気鋭の企業なのだ。
インノブ1stも地球にほど近い宙域に「イノベーション・エンジン・ラボ(Innovation Engine Lab通称:IEラボ)」という技術研究宇宙ステーションを設立していた。
彼らのアプローチはブラックホール生成の小型化。通常、質量100㎏で生成される人工ブラックホールだが、彼らは質量10kgでの生成を試みていた。ブラックホールは生成させてしまえば、肥大化させるのは容易だからだ。質量10㎏のブラックホールであれば、リスクは少なく基礎研究も捗る。
インノブ1stは高い技術力で質量50kgのブラックホール生成に成功した。参入からわずか5年のことである。更なる小型化を目指す動きもあったが、小さすぎるブラックホール生成にはプラズマの熱量と時間が足りないのである。一瞬にしてプラズマが拡散してしまい、失敗の連続に過ぎず成功への道筋が見えなかった。
インノブ1stの次の目標は低コスト化であった。
ブラックホールエンジン「オッドボール」は直径60mのウォールカプセルで、中心に直径約0.6m・表面積1.105㎡・質量10,000トンのブラックホールを内蔵している。つまりブラックホールの直径に対し、100倍の直径のウォールカプセルを使用していた。例えば半分の50倍のウォールカプセルにすることで、製造コストが下がるはずなのだ。まずは80倍ほどの直径のウォールカプセルでの安全性の実験に踏み切った。
耐久性を調査するためにあえて中古の直径10mのウォールカプセルを購入した。発電や重力子抽出の装置は付けていない。コスト削減のために超電導コイルによる磁場発生装置も外してある。これはエンリコンR社のブラックホール生成を真似たものだ。質量200トンのブラックホールの直径は0.12m、比率は約83.3倍となる。内壁と外壁には高重圧力加工を何層にも施し、ブラックホールエンジンと同じ条件を設定した。
彼らは研究用疑似ブラックホールエンジンに「イボルブ(Evolve)」と名を付けた。
将来的には10,000トンのブラックホールに対し、30mのウォールカプセルのブラックホールエンジンを考慮していた彼らだ。200トンという数字を甘く見ていたのかもしれない。
事故が起きた。